4月12日に初日を迎える新国立劇場『1984』の稽古場の様子をレポートいたします。演劇部門次期芸術監督の小川絵梨子さん演出、井上芳雄さん主演という顔合わせはもちろん、1948年、今からおよそ70年前に書かれたジョージ・オーウェルによる原作がトランプ政権誕生後のアメリカでベストセラーになるなど作品のテーマも大きな注目を集めています。そんな2014年にロンドンで初演、その後ブロードウェイで上演された話題作が新国立劇場に登場します。
時は2050年以降の世界。人々が小説『1984』とその“附録”「ニュースピークの諸原理」について分析している。過去現在未来について語る彼らは、やがて小説の世界へといざなわれる──。
気になる舞台『1984』の稽古場は、丁寧にじっくりと“空気”を作っていくようでした。
【じっくりと】
仮のセットが組まれている稽古場。上手側にはいくつもの引き出しのある収納棚、下手には大きな窓のような格子、舞台奥に向かって狭まっていく空間。そこから受けるのはシンプルできちんと管理されている印象を受けます。
そこでは記憶、記録、言葉、存在…、人の思考の根源のような事柄が描かれていく本作のキーアイテムのひとつ「日記」を巡るお稽古が行われていました。
1984年。3つの超大国オセアニア、ユーラシア、イースタシアに分かれ、常にその3国間で戦争が繰り広げられる世界。主人公ウィンストンが暮らすオセアニアでは、"ビッグブラザー"を頂点とする党が支配し、全ての行動が監視されていた。──ビッグブラザーは見ている。
思考警察の名のもとに思想や言語が統制された中で、「日記」を書くことはもちろんご法度。それをわかっていながら、ウィンストンは日記を書く。彼は何のために、何を記したのか。
主人公ウィンストン(井上芳雄さん)は真実省の役人という 一党員ながら、党の在り方に疑問を抱きはじめる。同時に記憶があいまいになることが…。
チャリントン(曽我部洋士さん)のアンティークの店を訪れ、日記帳を手にする。
日記は過去や現在を記録し、未来へ残るもの。
ウィンストンの緊張やとまどい、井上さんの繊細なお芝居には自然と心を寄せたくなります。
時間軸も含め、明確な起承転結とはちょっと違う展開。台詞も示唆が多かったり、そのやりとりも目を見たり見なかったり、さらに小道具や歌など含め“空気を感じるお芝居”といった感じ。その中で、日記という視点でお芝居を繋いでいくことでクリアになることがあることを実感しました。
小川さんの「一緒に悩ませてください」という言葉、稽古場ではみんなで辿り着くような感覚。何度も繰り返し、さまざまなアイデアを行ったり来たりしながらトライし、一つひとつの過程を積み上げ、空気を作っていくのです。
写真中央:小川絵梨子さん(演出)
【怖さ】
“ブロードウェイでの上演では観客が失神”などセンセーショナルな報が届いた本作ですが、この日のシーンではショッキングな描写とはまた違う、怖さも感じました。
ウィンストンの仕事は、劇中で“非個人化”と呼ばれる、人物に関する記録の消去・改ざん作業。人の存在は主観に基づくのか、それとも記録=客観的事実が消去されることで存在そのものが無くなってしまう?!誰にも気づかれずに…。
党員たち。写真左より淡々としたマーティン(武子太郎さん)、熱っぽく語るサイム(山口翔悟さん)、ちょっと鬱陶しいパーソンズ(森下能幸さん)、ウィンストン
写真右は宮地雅子さん(メインの役はパーソンズ夫人、ほかにもさまざまな役で登場)
ウィンストンの友人サイムが惚れ込んでいるのが、党が推し進める語彙を少なくしていく“ニュー スピーク(新語法)”。言葉、思考、行動…管理されていく恐怖がじわじわ襲ってきます。
食事の席のいつもの会話。当たり前のルーティンの中の異変、しかしそれが語られることはない。言わないのか言えないのか、支配する“空気”が怖いのです。
【ヘイト・タイムの違和感には…】
テレスクリーンと呼ばれる双方向メディアから発せられる“ヘイト・タイムの開始通告”。スクリーンの前に人々が集まり、思考犯罪者に対し怒りを爆発させる時間です。熱気を帯びる人々、もはや歓喜の表情へ変化していくことの驚き。これもまた恐怖ではあるのですが、じゃあ自分があの中に居たらどうなるだろうか。「こんなことおかしいよ」と言える“空気”では…。
ウィンストンはとある人物を強く意識する。
高級官僚オブライエン(神農直隆さん)により体制の裏側と反政府地下組織の存在を知ることになるウィンストン。
神農さんの低音美声と柔らかな佇まいは安心感を与えます!
熱心な党員のように見えたジュリア(ともさかりえさん)だが…、彼女もまたウィンストンに大きな影響を与える人物。
恋愛や結婚もまた、党から制約を受ける行動だったのです。
【ここでまさかの人狼ゲーム】
ゆっくり確実に積み上げて行く稽古の中で、突然、小川さんから「ここでまさかの人狼ゲーム」の言葉が。取材班は、え?今?と驚きを隠せなかったのですが、その様子を見ていたら…納得。
村人に紛れた人狼(3人)を追放し、村を守るというミッション。役割はカードで決まり、人狼同士は互いに誰が仲間かを認識し合う(ざっくりとした説明ですが)。
限られた時間の会話の中で、人狼は必死に人狼であることを見破られないようにし、村人はだれが人狼か暴こうとする。つまり、隣の人が言っていることが本当なのか嘘なのか、敵か味方かわからない状況。あるひと言をきっかけに急激に風向きが変わり、生まれる「あの人が怪しい」という空気。そして、村や自らを守るために誰かを追放する感覚、次の瞬間お隣が空席になる展開。このヒリヒリ感は劇中のそれと繋がるのです。こちらはゲームなので、勝った負けたのことですが、ウィンストンらにとっては命がかかっている。それはさらなる恐怖となるのです。
終盤のともさかさんと宮地雅子さんの決選投票もあり、ゲームはスリリングな展開に!
ゲーム終了後、人狼だったともさかさんに「あのときのシラを切り通したところ、すごかったね」と語った宮地さんですが、宮地さんのゆるぎない「違うから、私は違うから」という発言の説得力もすごかったです。
互いを見る目…
ジャッジされる瞬間の恐怖などが繋がるのです。
ちなみに、最初に追放されたのは井上さん(人狼)でした。
特に発言なかったのに…と思ったら、どうやら井上さんがなにもしゃべらないのが怪しかったとのこと(笑)。みなさんの洞察力、すごい!「バレてはいけないと思ったら、とっさに言葉が出なかった」という井上さん。それもまた人間のリアルな心理なのかもしれませんね。
ゲームタイムは俳優さんが劇中で行われていることを我が事ととらえるヒントとなる、大切な時間だったのですね。
◆ 劇中のウィンストンの言葉に「自由とは二足す二が四と言えることだ」とあります。そんな当たり前が当たり前でない劇世界のいくつかのやりとり、現実世界でも「ひょっとしたら無きにしも非ず」、それこそがこの作品が持つ一番の怖さなのかもしれません。『1984』は過去なのか、未来なのか、現在なのか、劇場で感じ、考える日が待ち遠しい稽古場取材でした。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人