新国立劇場 宮田慶子芸術監督の任期最後を飾る『消えていくなら朝』の稽古場の様子をレポートいたします。
「JAPAN MEETS...―現代劇の系譜をひもとく―」シリーズでは日本演劇界に影響を与えた世界の優れた作品たちとの、「かさなる視点-日本の戯曲の力-」での昭和30年代に書かれた秀作との、たくさんのしあわせで刺激的な演劇との出会いを届けてくれた宮田監督、シーズンラストに上演されるのは「現代の、日本の、とある家族」を描いた蓬莱竜太さんの新作です。
「......今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」 主人公の定男は蓬莱さんの分身、作家の経験をふんだんに織りこんだ作品。そう聞くだけで、なんだかそわそわしてしまうのですが、控え目に言って衝撃作なのではないでしょうか。宇宙人がやってくるとか、そういう衝撃はないのですが、「いいの?それ、いいの?」といった、なんとも生々しい衝撃波が押し寄せるような(笑)。
いびつながらもなんとか転がってきた家族という集合体が抱えていたアレコレ……ひとたび化学反応が起こると連鎖、連鎖、連鎖で、ものすごいことになる。「えっ!」「あっ……」「あぁぁぁ…」「うーーー」、そんな風に頭で考えるより、心の声が出てしまうような瞬間がたくさん訪れました。そして時折、クスッと笑ってしまうことも。もしくは笑うしかない?!
舞台は海辺の家。羽田家の次男・定男の5年ぶりの里帰りから物語がはじまります。羽田家の家族構成(すなわち登場人物)は僕・定男(鈴木浩介さん)から見て、父・庄次郎(高橋長英さん)、母・君江(梅沢昌代さん)、兄・庄吾(山中崇さん)、妹・可奈(高野志穂さん)、彼女・レイ(吉野実沙さん)。
【屈折する家族たち】
彼女を連れて里帰り。そこから連想される展開は冒頭から気持ちよく裏切られます(笑)。この日は、そこから怒涛のドラマが繰り広げられ、いよいよ最終決戦?!という場面のお稽古が行われていました。
主人公の定男(鈴木浩介さん)
家族のことも俯瞰し分析するのは作家という職業ゆえなのか。でも、幼い頃を知る家族によると元来そういう気質だったとか…だから作家になったのか。
兄・庄吾(山中崇さん)
ある理由から、とりわけ母との関係が濃い兄。作家として売れてきた弟はどんな存在なのか……。
“そもそも演劇って仕事なの?好きなことをやっているだけじゃない”という兄の感覚、「ひどーい」と思うと同時に「リアル~」とも思ってしまいました。
妹の可奈(高野志穂さん)
母への思い、父への思い……娘の思いが痛いほど伝わる可奈なのです。強い口調、目線で攻撃する可奈ですが、背中合わせの脆さも印象的。
そんな羽田家の3人の子どもたち。鈴木さんのひょうひょうとした台詞回しや、気づくと一歩引いたところにいる立ち位置が醸し出す「家族でいながらよそ者」の雰囲気が絶妙です。それでいて家族のことを話し始めると、なんだか上からのように感じられる。そんな定男にイラッとする兄や妹。みんな屈折しまくっています。でも、兄弟だからこその嫉妬や諸々の複雑でいじわるな感情って思い当たらないわけじゃない!そう感じさせる戯曲であり、みなさんのお芝居です。定男と家族との溝は深い。
続いては、屈折を通り越した感のある父と母。
数十年夫婦生活の中でため込んでいたものは、もうエネルギーが違います!年季が違うやりとりには、ちょっと面白さも。
家族にとって長期間にわたり影響した問題、ここ1年ばかりの問題、いろいろと抱えた母(梅沢昌代さん)。
娘の可奈の追求を柔らかくかわす、剛柔の対比は人生のキャリアの差か。
家族のために一生懸命働いたんだ!昔気質な父(高橋長英さん)。
梅沢さんの朗らかさや声のトーンが救いになるか……と思いきや、なんかちょっとその朗らかさってズレている?!不思議な存在感です。高橋さんが演じる父・庄次郎は「しあわせな家族」を築きたかった。その思いは深かったのだけど。家族の、夫婦の間の問題というものは、どちらか一方が悪いということでもないのかな。
彼の実家で思わぬ場面に遭遇してしまう彼女レイ(吉野実沙さん)
父と母、兄と弟、父と息子、母と娘、父と娘……全ての人が相関関係にある家族の中で、唯一「僕」とだけ繋がっている「彼女」という存在も侮れません!
【台詞の一文の裏にある家族の歴史】
実はこのシーンの稽古をするのは、この日がはじめてとのこと。手探りでシーンを作っていく、まさに第一歩に立ち会ったのです。ですので、何度か同じシーンを繰り返すたびに、立ち位置も動きも変わっていく。そうやって視覚的にもどんどん変化していくのですが、それによって一番変わったと感じたのは「会話のリズム」です。
母と娘
母と兄
僕と彼女と…
お父さん
前のシーンから連続せずに、ポーンと台詞が投げ込まれ、カットインする形で始まるシーン。直前のやり取りは戯曲に具体的には描かれていません。
そこで、高橋さんの「どんなやりとりが行われて、この台詞に繋がったんだろう。(その台詞を発する)可奈はどう思っているのかな?」という問いかけから、宮田さんを交えたディスカッションが始まります。可奈役の高野さんが感じていること、そして山中さんが演じるお兄ちゃんはそれをどこまで知っているのか……。決して1対1の関係ではないからこそのパズルのような、複雑な個々の心情が積み上げられていきます。それによって、その場に、ふと投げ込まれるひと言の響きが変わっていくのです。
変化したことによって、観ていて「ずどんとキタ!」のですが、でも、決してそれで固まるわけではなく、「もしこうだったら?」「ここ、むしろお兄ちゃんいなくても……」とさらなるアイデアが飛び出すのです。
そうやって、ちゃんと伝わるけれど、なんとも言えない家族の会話になっていくのです。
宮田慶子芸術監督(演出)
さらに宮田さんからは「もう少し固まってきたら、“直前のやりとり”をエチュードでやってみましょうか」との提案。それも見たい気が(笑)。そうやってきちんと裏付けされた家族の関係が根底があって、この芝居が立ち上がるのですね。
そして、もうひとつ「必死で働いてたんだよ!」という父の叫び。母子家庭で育ち、自らの中に父親像がない中で家族のために“必死に”働いてきたという父の歴史を改めてひも解く、ひと言の裏側にある深い深いドラマを探る作業も印象的でした。
冒頭の「......今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」、これは劇中の定男の台詞です。蓬莱さんが、今、この作品を書いたそのココロは。ものすごいメッセージ性にあふれるというのとはちょっと、いや、だいぶ違うかもしれませんが、でも、「ものを書く人」の覚悟というものをひしひしと感じるのです。そして戯曲で描かれる世界と、上演される現実の世界、その奇妙な連続性はなんだかすごく新しい!
久しぶりに揃った家族のやり取りは、本当にややこしくて、面倒くさい(笑)。家族との溝は埋めなくてはならないのか?家族というのは無条件に愛さなくてはいけないのか?蓋をしがちな問題を独特のリズムで描く『消えていくなら朝』、ぜひぜひご覧ください!ちょっと下世話なことを言うと、よその家族をのぞき見るような……そんな感覚もあったりします。
宮田さんが芸術監督として手掛ける最終作品は『まほろば』(2008年初演、2012年再演)、『エネミイ』(2010年)に続く蓬莱竜太さんの書き下ろし『消えていくなら朝』。新国立劇場の、私たちの財産がまたひとつ増えそうです。
劇中では……なお二人ですが、稽古場ではとっても仲睦まじい♪
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人