人生は舞台 ひとは皆役者に過ぎぬ
そんなシェイクスピアの言葉がふと頭をよぎる帰り道… 新国立劇場のこけら落としとして、1997年に書き下ろされた井上ひさしさんの戯曲
『紙屋町さくらホテル』。2003年よりこまつ座にて鵜山仁さん演出で上演されている歌と笑いと芝居愛にあふれた作品が、キャストを一新して10年ぶりに上演されます!
開幕を間近に控え、作品が磨き上げられている稽古場にお邪魔してまいりました。
<あらすじ>
終戦の年、昭和20年師走。東京・巣鴨プリズン内の一室。
一つの机に向かい合って座る二人の男は元台湾総督にして海軍大将の長谷川清と元陸軍中佐で現在はGHQに雇われている針生武夫。
「自分はA級戦犯だ」と訴える長谷川、退ける針生。
かつては監視する側(針生)とされる側(長谷川)だった二人。戦中は、ことの次第によっては長谷川を刺す決意だった針生。
「しかし、きみはわたしを刺さなかった。なぜだ?」
「たぶん、あの三日間のせいでしょうね」
緊迫したやり取りの中、二人の表情がふと緩む…。
二人の脳裏に浮かぶのは…。
こうして昭和20年5月、広島・紙屋町のホテルでのおかしく哀しい三日間の物語が始まるのです。切羽詰まったやりとりから、
♪すみれの花~咲くころ~ 軽やかなピアノの音色と歌声がふわりと物語の世界へ連れて行ってくれます。
さくらホテルにいたのは「新劇の団十郎」こと丸山定夫(高橋和也さん)、宝塚少女歌劇団出身のスター園井恵子(松岡依都美さん)が率いる移動演劇隊「さくら隊」。慰問のための公演『無法松の一生』のために集められた にわか役者たちはホテルの女主人・淳子(七瀬なつみさん)、その従妹で共同経営者の正子(伊勢佳世さん)、宿泊客の言語学者・大島(相島一之さん)とピアノが弾きたいと劇団員に応募してきた玲子(神崎亜子さん)。
そこにアメリカ生まれの日系二世である淳子を敵性外国人として監視するためにやってきた特高警察の戸倉(松角洋平さん)、さらには富山の薬売りに扮して宿を訪れた天皇の密使・長谷川と、そのあとを追うように現れた林と名乗る傷痍軍人(実は針生)もやってきて…。
お互いの立場、思惑がありながら、丸山らによってあの手この手で役者に仕立て上げられる人々。なかでも特高警察の戸倉までもが演じることになるくだりでの丸山と戸倉のやり取りはテンポよく進み笑いがこぼれます。実は、みんな演じることは嫌いじゃない!そんな人々です!
高橋和也さんが演じるさくら隊隊長の丸山は、芝居への真っ直ぐな情熱と誠実な人柄、ユーモアが同居していて非常に魅力的!その側で、方言を研究中の言語学者大島先生をひょうひょうと演じるのは
相島一之さん。そんな穏やかな大島が唯一、声を荒げ思いのたけをぶちまける場面では、何とかこらえようとしてもこみ上げてくる涙が止まりませんでした。
精一杯生きる、そのために自分は何をするのか。極限状態でも人生を輝かせるために懸命に生きたひとりひとりがこの物語の主人公なのです。
「N音の法則」も興味深い!
また、日系アメリカ人の淳子と彼女を支える従妹の正子、
七瀬なつみさんの柔らかな雰囲気とカラリと明るい
伊勢佳世さん、宝塚少女歌劇団出身の新劇スター園井恵子を演じる
松岡依都美さんら、かわいらしさと強さをもった女性陣も注目です。伊勢さんは『マンザナ、わが町』に続いての鵜山作品ご出演。それに納得の溌剌とした“一般人・正子”を演じきっています。正子の素直さや普通の感覚が、この物語に投げかけるものは大きい!
こうして物語は、“本土決戦”が迫り、広島がヒロシマとなる「その時」に向かう時代の流れ、そして、『無法松の一生』の初日が刻一刻と迫る中での白熱した芝居の稽古、ふたつの大きなうねりのなかで進んでいきます。
さらに劇中劇創作の過程でのセリフには、
芝居の力を信じた井上ひさしさんの演劇・役者讃歌もいっぱい詰まっています。はじめはバラバラだった人々が、「発声練習」「本読み」「立ち稽古」…稽古を重ねるにつれ、独自の解釈をはじめたり、アイデアを出したり、自然と友情のようなものが生まれてくるのは微笑ましい光景です。歌ったり踊ったりしながら、みんな生きているんです!
一人ではできないこと、演劇の魅力ってそれだよね!とうれしくなってきます。
また、歌舞伎でも新派でも宝塚でもない、新しい演技術
“新劇”に人生を捧げ、築地小劇場で活躍した小山内薫らをはじめとした先人へのリスペクトもいっぱいです。
登場人物の丸山定夫、園井恵子のお二人も実在の新劇役者。さくら隊の隊長、役者として活動されていました。もちろんこの物語はフィクションですが、弾圧を受けながらも新劇の発展に尽くし、慰問のための移動劇団として市井の人々に娯楽を提供し続けた彼らの想いは、きっとリアルなものでしょう。
そうそう、劇中の
恵子による宝塚流演技術の解説は一見の価値ありですよ!
話を物語に戻しますと!
さくら隊による『無法松の一生』は果たして無事に上演されるのか…。それはご覧いただくとして、この作品の仕掛けはもう一つ。
プロローグ、そしてエピローグという形で、戦後に長谷川(実は長谷川清も実在の人物!)と針生が語るという場面です。あの三日間がキラキラと輝けば輝くだけ、その後、あのホテルに起きる誰もが知ることが暗い影を落とします。
長谷川と針生の二人の姿を見ていると、これは
私たちの問題でもあるという意識が生まれます。
言葉(『國語元年』)、芝居(『黙阿彌オペラ』)、日系アメリカ人(『マンザナ、わが町』)、ヒロシマ(『父と暮せば』)など、井上作品のエッセンスが詰まったともいえる『紙屋町さくらホテル』。そのメッセージの強さも含めて、ひとつの集大成のような作品です。
久々の上演となる今年、新しいキャストで新しい息吹を宿す『紙屋町さくらホテル』を訪ねてみませんか。
公演は7月5日より新宿南口・紀伊國屋サザンシアターにて!<おまけ>
【築地小劇場】【丸山定夫】【園井恵子】【さくら隊】などで調べてみると、この作品の底のほうからビリビリと響いてくる思いの源を感じることができます。
さらには、初演時に演出された、新国立劇場演劇部門芸術監督渡辺浩子さんのことや、井上さんが当時どのような思いでこの戯曲を執筆されたのだろう…などを考え始めると、うまくまとまりませんが、市井の人々ひとりひとりを細やかなやさしさで描いたこの作品は、とてつもなく大きな作品なのだという気がしてくるのです。
稽古場写真提供:こまつ座
おけぴ取材班:chiaki(取材・文) 監修:おけぴ管理人