『人間風車』東京公演中に行われた
成河さんのトークイベント、さらにそのアフタートーク?!のような…そんなインタビューを敢行!『人間風車』の核心に迫るお話から、演劇のこれから、夢のお話まで。盛りだくさんでお届けします。
『人間風車』おけぴ開幕レポート
──まずは『人間風車』のお話から。開幕前から、グロテスクな描写があると聞いていて、ドキドキしていましたが、実際に観ると一番怖かったのは「死ぬまで生き続けてください」という山際刑事の言葉でした。ズシーンときます…。 そうですよね。リアルに目を覆いたくなるような描写というのは、他にもいくらでもありますから。ホラー映画のほうがよっぽどね。
──それ以上に、人間の業の深さが残ります。 だからこそ、
スタートはだれもがどこにでもいるような普通の人間であるべきだと思ったんです。特別な人間の特別な話ではなく。平川には物語る才能があったのでしょうが、それをコントロールすることを学ばない、学べないままああいうことになってしまった。そういう話だと思います。
──あとは、アキラが平川の家を訪ねたシーンでのふたりを観ていると、お互いにためらわずに言い出すことができたなら…というやるせなさが襲ってきます。アキラがサムのことを話そうとして、少し言いよどんだとき「お願い、早く言って!」と心の中で叫んでいたような気がします。 ふたりともそうなんですよね。平川だってアキラに「違う、サムのこと、大好きなんですよ」と言えばよかった。平川はサムの存在が嬉しかったし、誇らしかったんだから、それを言えばいいだけだったのにね。
──ちょっとした行き違いからあそこまで行ってしまう。 そういうことっていくらでもあると思いますよ。
遠いお話ではない。──あの瞬間のアキラに対しても、初めて見たときはわかるような、わからないような。 ミムラさんもすごく悩まれていました。平川に対して「あんたのゴミみたいな話」って言うところですよね。あそこまで言う、それが彼女にとって何なのか、そのリアリティをずっと追及されていました。まぁ、
あのときのアキラは怖いですよ。平川が凍り付く瞬間です。──その後の平川の言動がおぞましい事態を招くのですが、実はその前に大きな恐怖があるのですね。 事件はその後ですけど、あの時点で始まっています。
──作品を紹介する上で、その魅力、カラーをどうお伝えするかというのは私たちが頭を悩ませるところでもあります。この作品でいうと、ホラーとカテゴライズしてしまうのはどうなのかな、でもやっぱり恐怖が特色と言えばその通りですし。 ホラーという言葉の意味の幅というか、思い浮かべるものが人によってだいぶ違いますからね。
でも物語が急転直下するところ、ジェットコースターの一番上に来た!下が見えた!落ちるのね、ハイ落ちた!という瞬間の仕掛け、そこまでの全てが仕掛けだと思うので、それはこの作品の一番の
特産品ですよ。その瞬間を客席でも体感して、みんなびっくりする。舞台上でやっていて、
これだけ客席の空気が締まったり緩んだりすることを感じられる演目はあまりないので、やっていて面白いですよ。 その日によって、ここは締まり切っていないかな、そうかと思えばキュッと締まってそこからパーンと緩んだり…。客席の空気(密度)を科学的に分析したら、何か数値に表れますよ、きっと。
そういう作品なので、劇場が大きくなると物理的な距離だけで難しさは感じます。劇場は空気を感じに行く場所、その空気が他人事なのか、自分の周りにまとわりつくのかで届けられるものは違ってきます。それでも、こんな広くてもここでは空気がキュッとなれるんだと。
このお話の構成、仕掛けの見事さは、やる毎に感じます。──それが劇場の大きさに起因しているのかはわかりませんが、その瞬間に共有する空気のほかに、時間差で伝わる、つまりあとからジワジワくるところもたくさんある作品のように感じます。 それもいいですねー!
──観劇後にいろいろと思いを巡らせている方も多くいらっしゃると思います。 とてもありがたいことに、手紙などで、みなさん自信を持ってしっかりとご自身の解釈、考えを伝えてくださいます。平川について、作品について、そしてみなさんがどんな思いで劇場へ足を運んでくださっているのか。すごく嬉しいです。そこには自分では考えもつかなかったこともたくさんあります。多様性があればあるほど嬉しいです。
僕は演劇を必要としています。みなさんも演劇を必要としている。そこで一緒になれることが一番の幸せだな、それを今回特に感じています。──平川という人物については、確かにさまざまなとらえ方があると思います。現行法では裁かれることのない罪を犯した。でも、どこかで心を寄せてしまう。そう思ってしまうことはいけないことなのかなと…。 そうそう、みなさん混乱されていましたね。どんな解釈も正しいと思うのですが、あの話をどう受け止めるかが、鏡写しで自分がどうであるかということ。例えば、平川を是とするか非とするか。一生懸命生きているだけなんですけどね。
特に2017年版のラストの解釈はさまざまだと思います。僕自身は後ろ(赤い魔王)は見えてないのですが…。あの後、平川くんはどうなったと思いますか。
──あまり人とは関わらず、人里離れたところで農業でも営みながら罪を抱えて生きていくのかなぁ…と。 あまりこういう話をしたことはないし、押し付けてしまうのは嫌なのですが、実はどう考えてもという、その後の5日間くらいがあってね(笑)。初日のころから割とはっきり浮かんでいて、やればやるほど確信に変わっていったんですけど。
あんなことがあって…その先には狂気しかないですよ。生きていくことは出来ないのかな。
──うーん、生きていくことは出来ない…ですか、やっぱりどこかで他人事と思っていたのか…。 そんなことないです。たくさんの答えがあっていい。
お芝居の幕が下りた後の想像はたくさんしてほしいし、全部が正解ですからね。 ただ、あの場面、とても現実的に考えるとすべて平川の幻聴ですよ。狂気はもう始まっている。あれをファンタジーととらえるかリアルととらえるか。演出上はそこをあいまいにしているので受け止め方はどちらでもいいんです。でも、やる側としてはやはりリアルな線を作っておかないと出来ないですからね。演じる上で、平川のゴールをそこに定めています。
──やっぱり願望も込めて、私は救われてほしいと思ってしまいます。それはダニーの物語を紡いでいるとき、あのときの平川は物語の中でダニーを殺せば、サムも死んでしまうことをわかっていましたよね。それでも彼自身の手で物語を終わらせた。 そうですね。平川がそれまで子供たちに話してきた童話は他人(ひと)の話ですよね。親友の話をネタにして面白おかしく話していた。つまりそこに自分はいない
。自分の話はビルとダニーの話だけ。あれは全て自分の話、自分の話の裏と表なんですよね。 よく、優れた小説はどこかに作者自身が投影されているとかいいますよね。そう思うと、平川はビルの話の時点で作家としての大きな成長を遂げています。さらにそれを回収するために、もうひとつ自分の話、ダニーの話をする。そこでは自分の人生、悪意、それまで見て見ぬふりをしていたこと全てに向き合うことになります。その中で必然的に筆を折ることになる。サムが死ぬということは平川にとってはそういうこと。役の中身のことをいうとそういうことになります。
──あのときの懸命な平川の姿が彼の本質だと思いたくなります。 そうだと思いますよ。公演の中日くらいに思ったのは、この話の根っこはとてもシンプルで、
子供が大人になる話なんだということ。ダニーの話をしている時の平川はようやくありのままの姿になれたと言えます。でもね、魔王から電話がかかってきてしまうんですよ。それは大人になる方法を間違えたら許されないということ。後藤さんはそれを最後に提示したかったんじゃないかな。作家として今の社会をシビアに見るとそうならざるを得ないと思うんです。
──本当にジェットコースターのびっくりや、その後の空想などとても自由に楽しめる作品ですね。それが演劇の楽しさとも言えます。劇場の大きさ、伝える密度など今回の公演でも「演劇」について肌で感じることも多かったようですが。 僕、頑張りますよ、5年10年。そこで何をするのかが大事。10年後には、何か道が見えている気がしますが、演劇にどう貢献できるのか。普通のことを普通に感じて、考えて、言う。目の前にある不幸に目をつぶってイエスと言い続ける時代ではないと思うんです。だって、『人間風車』もやっぱり500席でロングラン公演出来たほうが幸せなんですから。
僕は欲ばりなのでね(笑)、演劇はまだまだ先がある!一緒に上に行きましょう。
──いま、感じていることは。 演劇を作る小さな実験工場がない。それは我々にとってもお客さんにとっても不幸なことです。台詞劇にもミュージカルにもね。小さな工場を作り、守っていく。これは賛同者、深く欲する人が増えれば実現することだと思います。レプリカ量産品を消費していくばかりでいいのかって話です。でも、きっとそうでないものを求める機運が高まるときは来ると思うんです。
──声を上げる人は多くなっているような気もします。 そうなると、いよいよお客さんの出番ですよ。作り手、つまり伝える側と観客のみんなでそう思っていかないと。
そこを考えていくと興行としての矛盾や問題が出てくるけれど、それも見て見ぬふりをしていてはいけない。たとえばチケットの売り方ひとつをとっても、もっと統計を取ったり分析をしたり、その上で解決策を模索していく必要がある。満席を目指して工夫していくのは当たり前のことですよ、でも、そこも疑ってみる。どんな人が観に来ているのか、そこに自由度もあってほしい。満席の、もう一歩先を目指す気概っていうのかな。前売で完売必至の作品こそ、1,2割の余白を残すとか。当日席が空いてしまうリスクはあるけれど、それでも意味のあることにするために、そこで役者は何をするべきかを考えていくから。僕らもどこかで身を削る覚悟です。
──今ある不幸。役者さんにはよい作品を作ることだけを考えていてほしいように思いますが。 今、無意識にそう言ってくれたと思うんですけど、実はその考え方に甘えてきた結果が現状を生んでいるとも言えるんです。
役者にも広義の演劇について、あるべき構造を夢見る権利も義務もある。むしろそれが役者をやっている醍醐味なんじゃないかな。そして、能動的な姿勢というのは必ず芸に出ると思うんです。演劇は双方向のコミュニケーション、ある意志をもって受け手に何らかの矢印を渡すわけですから、役者こそ考えてナンボですよ。考えずに流されてイエスと言っていてはいけない。それをしていく時代に突入していると思います。
そして、そこは役者だけでなく、お客さんと、そして制作する人たちと一緒に考えて、歩んでいくもの。 まだまだいろんな策が必要、きれいごとだけではうまくいかないこともわかっています。いろいろと果てしないですが、一緒に考えていきましょう。そして、こうして夢をお話できることが、僕の自信にもなっています。
演劇ってその公共性を例えるなら公園。(小さな公園って)減ってはいるけど、なくなってほしくないですよね。そして、そこでのふるまいでは文化の成熟度が問われると思うんです。本当の豊かさに繋がるもの。だから、誰かが独占するものでもないし、汚していいものでもない。ふらりと偶然訪れた人にも、なにかをもたらし必要とされる場所。
そういう豊かさを増やしていくために、昔から演劇があると思うんです。だからこそ、いろんなことを空想しながら夢を持っていきましょう! ──ありがとうございました。◆ お話をしていてたくさん思考のスイッチを押されるような時間でした。成河さんに負けずに欲ばりに夢を見ていこう!そんな風に思いました。そして、この変化の胎動がこの先どうなるのかは、私たち観客が担う役割も確かにあります。これからも一緒に歩んでいきましょう!
おけぴ取材班:chiaki(インタビュー・文) hase(撮影) 監修:おけぴ管理人