2015年の映画『母と暮せば』公開当時、舞台『父と暮せば』、『木の上の軍隊』と映画『母と暮せば』の三作品を、井上ひさし「戦後“命”の三部作」としよう、と山田洋次監督が命名。それから3年を経た本年、三部作がこまつ座の舞台作品として完成します!
初夏に新キャストを迎えての『父と暮せば』を上演、秋に舞台『母と暮せば』を二人芝居として初演。『父と暮せば』新キャストの山崎一さん、伊勢佳世さん、演出の鵜山仁さん、紀伊國屋書店 高井昌史 代表取締役会長兼社長、山田洋次監督、こまつ座代表井上麻矢さんご登壇の製作発表が行われました。
こまつ座らしい、素敵な言葉がいっぱい、これからの上演が楽しみになる会見の様子をレポートいたします。
写真左より)井上麻矢さん、山田洋次監督、伊勢佳世さん、山崎一さん、鵜山仁さん、高井昌史会長
【初夏に開幕『父と暮せば』】
鵜山仁さん(演出) 「これまでこまつ座では7本の新作書下ろしの演出を担当しましたが、ちゃんと初日が開いたのは24年前の『父と暮せば』だけなんです(笑)。そのとき、井上さんから「この作品を20年はよろしくお願いします」と言われた覚えがあります。その後、8年前に井上さんは亡くなってしまいましたが、作品は生き続け、今に至っています。
そうして24年の齢を重ねる中で、いつの間にか作品を見つめる僕の目線が、娘の美津江から父親の竹造にシフトしていきました。この話を伝えることをどこかで重荷に感じていた娘から、我々が伝えなくてどうするという父親の目線に。
そして、山崎さんは僕より年下。ついに年下の竹造が出現します(笑)。かく言う僕も昭和28年生まれなので、戦争を知らない世代です。我々の知らない戦争をどう伝えるかということには思うところもあります。ただ、大きなことを言えば伝説のトロイ戦争を2500年前の現代劇に仕立てた当時のギリシャの演劇人たちのように、井上さんがよくおっしゃっていた“演劇の力”を借りて、我々の表現力を進化させて挑む、それしか方法はない。(キャストのお二人に)プレッシャーをかけているわけではないのですが、何とかこの話を語り継いでいきたい」
(2018年版へ鵜山さんが期待することは、との問いに)
「今の僕らの“現代劇”“ライブの芝居”を作るというのが目標。(新しいキャストから)新しい声と新しい表現が必ずや出てくるでしょう。“新しい”ことに期待しています。
看板だけの反戦平和、それに対してのエクスキューズになるようなことでは、ことは進まないことを感じる昨今。我々の表現が、どれだけの力を持つのかが試されています。そこでは若い力が助けになると信じています。
また、せっかく「“命”の三部作」というヒントを頂いたので、命が輝いている素晴らしさを表現したいと思います。それが今回の宿題」
山崎一さん(福吉竹造役) 「このお話を頂いたとき、すごくうれしかったと同時に、ものすごい不安とプレッシャーを感じました。この芝居が井上作品の中でも名作中の名作だということに加え、演じてきた俳優さんたちが名優と呼ばれる方々である、果たして僕でいいのだろうかという気持ちが大きく膨らみ、しばらく悩みました。
でも、ある日、ふと「そんなに気負わなくてもいいんじゃないか」と思ったのです。これは伊勢さんともお話しましたが、僕らは僕らの『父と暮せば』をやればいいんじゃないかって。竹造と美津江の物語というのはいっぱいあっていい、何千何万の父と娘の物語があっていいと思えたとき、ようやく「やります」と言いました。
それともうひとつ、心を大きく動かされた言葉があります。この作品の前口上として井上さんが書かれた「二つの原子爆弾は日本人の上に落とされたのみならず、人間の存在全体の上に落とされたものと考える。被爆者は、核から逃れられることのない我々20世紀後半の人間の代表として、あの地獄の火で焼かれたのだ。その地獄を知っていながら『知らないふり』をすることはできない。だから私は書く」という言葉です。それに感動して、よし!と思い、未熟で微力ながら、一生懸命竹造を生きようと思いました。まぁ、○○○いますけど(笑)」
伊勢佳世さん(福吉美津江役) 「この作品はこれまで本当に素敵な先輩たちが演じてこられた作品なので、プレッシャーはもちろん感じています。でも、私にはとっても頼もしい山崎一さんと演出の鵜山さんと素敵なスタッフの方々が居るので、楽しんで作っていければと思います。私はこまつ座で戦争を題材にした作品をいくつかやらせて頂いており、そのたびに壁にぶつかり、終わった後は身体も心もボロボロ。毎回、寿命が縮まる思いです。それを先日、初演の(美津江役の)梅沢昌代さんにお話したら、「私も同じように思っていたわ」とおっしゃっていて。今回も、寿命が縮まる気持ちで、この役をしっかりと演じていけたらと思います。
この作品は戦争を題材にしていますが、私は父と娘の愛情を描いた温かいお話の印象を抱きました。いろんな世代の方に観ていただけるとうれしいです」
お互いの印象を「とても可愛くて、伊勢さんが娘で光栄です!」(山崎さん)「とっても頼もしい。共演が本当に楽しみ」(伊勢さん)と語るお二人♪どんなおとったんと美津江になるかワクワクです。
【戦後“命”の三部作】
山田洋次監督(舞台『母と暮せば』監修、映画『母と暮せば』監督) 「重く激しい主題を秘めながら、こんなにも軽やかな作品を書くことができたのは井上さんが天才だから、井上さんにしかできないことだと感心しながら、僕はかつて舞台『父と暮せば』を観ました。
4年ほど前、麻矢さんから舞台を長崎に移した『母と暮せば』の映画化を委ねられたとき、喜びとともに、僕が作らなくてはと勇んで引き受けました。吉永小百合さんも二つ返事で引き受けてくださいました。映画のほうは母と息子、その恋人と、お母さんに恋をしている援護者の中年男性を据えた4本の柱にしました。それを二人芝居にして劇化する。井上さんに負けないだけの脚本を書くというのは大変なチャレンジだと思いますが、畑澤聖悟さんという非常に優れた作家が手掛けることを聞き安心しています。彼ならではの魅力的な『母と暮せば』の脚本になるでしょう。
この三部作がこれからも繰り返し上演されることが、今のこの国にとって、戦争の匂いがプンプンするこの世界にとって大事なこと。観客もその意識を持って、熱烈に迎えてくれるだろうと思います。それに応える『母と暮せば』を期待しています」
(「戦後“命”の三部作」、命名への監督思いは、との問いに)
「井上さんは『父と暮せば』を書くにあたり、広島に何度も通い、被爆し生き残った人たちが書き残した資料をお読みになった。そして、大事なところをノートにあの独特な几帳面な字で書き写した。そのとき、コピーじゃダメなんだ、全部手書きでなくてはいけないと思ったということを聞いたことがあります。
僕も長崎で膨大な記録を見ていたら同じ気持ちになりました。井上さんの真似をして、大事なところはノートに書き写しました。
おそらく僕が読み、書き写した言葉を残した人のほとんどは、今はもう生きていないだろう。祈るような気持ちで書き記しました。死者を悼むというより、この人たちが生きていたらどんな人生を歩んでいたのだろう。その一人ひとりの人生がキラキラと輝いたのだろう。それをなにも体験することなく、この人たちは亡くなったんだなということをしきりに思いました。僕の中で命のイメージが掻き立てられたのです」
【ゆかりのある紀伊國屋書店高井会長、こまつ座代表井上麻矢さんのご挨拶】
高井昌史会長 「紀伊國屋の歴史に、井上ひさし先生はいくつもの印象的なエピソードを残してくれました。こまつ座旗揚げ公演『頭痛肩こり樋口一葉』が昭和59年に初演されたのも、平成6年の『父と暮せば』初演もここ紀伊國屋ホールでした。そして、本年10月にここで『母と暮せば』が初演される。井上先生晩年の構想をもとに、山田洋二監督により「戦後“命”の三部作」と名付けられ作られた映画が、こまつ座の製作で舞台化されることは大変喜ばしく、共に歩んできた当社にとっても感慨深いものがあります」
井上麻矢さん 「井上ひさしは『父と暮せば』で広島を書き、続いて沖縄と長崎を書きたいと言ったまま他界しました。その思いを継いで、こまつ座「戦後“命”の三部作」として立ち上がったことをうれしく思います。
私どもこまつ座は、演劇を通して平和を考えていくということを設立当時から理念といています。このように混とんとした時代に、消耗品でない演劇を一つひとつ丁寧に作っていこうと思っております」
【コメントご紹介】
最後に、この日はご登壇されませんでしたが、三部作に携わる畑澤聖悟さん(『母と暮せば』作家)、栗山民也さん(『母と暮せば』『木の上の軍隊』演出)、富田靖子さん(『母と暮せば』母役)、松下洸平さん(『母と暮せば』息子役)、蓬莱竜太さん(『木の上の軍隊』作家)のコメントをご紹介いたします。
畑澤聖悟さん(『母と暮せば』作家) 井上ひさし氏の講演を拝聴したのは1999年夏の山形市民会館。第45回全国高校演劇大会の記念講演であった。全国から1000人の高校生に向かって父親のように母親のように優しく強く語りかける氏の言葉に、いい年をした顧問の私も胸を熱くした。『ひょっこりひょうたん島』で産湯をつかり、『ネコジャラ市の11人』で物心つき、大学1年で踏んだ初舞台が『十一ぴきのネコ』である私も、紛れもなく氏の子供だったからである。そういえばあの大会で最後に上演されたのは近畿ブロック代表・大阪府立長尾高校の『父と暮せば』であった。 今回の夢のような大任は、あの時の緑が運んできてくれたのかも知れない。氏が構想し、山田洋次監督の手によって映画化された『母と暮せば』を戯曲としてどう立ち上げるか。泣きたいほど恐縮しつつも腕が鳴って仕方がないのである。
栗山民也さん(『母と暮せば』『木の上の軍隊』演出) その話が「母と暮せば」のためだったのかはわからないが、生前、井上さんと長崎について、何度か雑談をした。ある医師の話や、教会や、坂の多いことや、長崎の鐘などについて。
そして、「とにかく、広島、長崎、そして沖縄を書かないうちは、死ねません。」と、いつも最後は、力強くそうおっしゃった。
その時の記憶が、新たな作品に熱い温度を与えるだろう。人間をこなごなに砕いた不条理に向き合い、大事なことをしっかりと受けとめ、今、語り継いでいかねばならない。
富田靖子さん(『母と暮せば』母役) 映画版では上海のおじさん役の加藤健一さんや近所のお母さん役の広岡由里子さんがいらっしゃり、また、駆け回る子供達の姿もあって、楽しい雰囲気や長崎の空気感・生活感が様々に表現されていましたが、今回の舞台は、息子役の松下洸平さんと私が演じる母親の二人きり。不安もありますが、二人だけで創造するのではなく、映画という共通項を持って稽古を始められることを、とても心強く感じています。私は舞台の長崎から近い福岡で育ちました。九州で起きたことを、舞台で未来につないでいくことに、身の引き締まる思いです。頑張りたいと思います。
松下洸平さん(『母と暮せば』息子役) この作品を愛する多くの方の想いが詰まった「母と暮せば」のバトンを受け取った時、喜びと同時に改めて演劇について考える使命を頂いたと感じました。
今を生きる僕らにとって大切なメッセージを持つ「母と暮せば」の一部になれる事をとても光栄に思います。そして、それに恥じぬ様、精一杯息子を演じさせて頂きます。
蓬莱竜太さん(『木の上の軍隊』作家~2016年の再演に寄せたコメントより~) 井上ひさし氏の未完の作品を執筆してほしいと依頼されたときは、ひっくり返りそうになった。
しかも残っているのはメモ書き程度の文章。それすら僕には解読出来ない。
「題材とタイトルはある。後は自分で作りなさい」と井上ひさし氏が言っているようだった。
重圧しかないこの依頼を引き受けて僕に何か得なことがあるのだろうかと考えた。
何よりも「戦争」を描く権利が僕にあるのかと。
戦争中そして戦後の空気を肌で感じて生きてきた 井上ひさし氏が描くことと、何も知らない僕が描くことでは質も意味もまるで違いすぎはしないだろうか、と逃げ腰になっていた。
しかし、僕には僕なりに真っ向勝負をする覚悟を決めた。
僕が継承しようと思ったのは井上ひさし氏の文体でもなければ思想でもない。その前のめりな姿勢である。
そして知った。「戦争は終わっていない」まだ今もそこにあるということを。
僕たちは戦争を知らない世代ではない。戦争がまだそこに存在していることを知らない世代だ。
そういう世代にも観てもらいたいと思って書いた作品でもある。
この作品が再び上演されることを嬉しく思う。
何故なら2人の兵士が木から下りることが依然叶わない状況だからである。
これは依然「今」の物語である。
おけぴ関連レポ『木の上の軍隊』観劇レポ 『木の上の軍隊』稽古場レポ 『父と暮せば』舞台稽古レポ
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人