管理人インタビュー企画第4弾は、「ひめゆり」「ルルドの奇跡」などの国産オリジナルミュージカルを
数多く創り出しているミュージカル座代表のハマナカトオルさんにお話をお伺いしてきました。
インタビュー前に次回公演「スウィングボーイズ」のお稽古場も見せていただいたんですが(稽古場レポはこちら)、
演技やダンスのお稽古の後は、パート別や個別に楽器の練習がはじまり、
サックス、トロンボーン等の金管の音に加えて、インタビュー中には三味線の音が♪
そうした音達に包まれた中でのインタビュー。ハマナカさんのミュージカルに対する熱い思いを
皆さんにお届けできれば嬉しいです。おけぴ管理人
劇団の歴史は、人間の年齢に似ている
ミュージカル座が生まれたきっかけを教えてください
僕は、宝田明さんが主宰した宝田芸術学院というミュージカル専門学校を卒業したんですが、
脚本家・演出家として独立して、30歳くらいの時はストレートプレイを中心に書いてた時期もあったんですけど、34歳のときに、
舞台芸術学院の学長さんから「ミュージカル部で演技を教えてくれないか」と声をかけられまして、
そこで音楽教師をしていた山口e也さんとコンビを組んで、ミュージカルを教えはじめたんです。
その舞台芸術学院の卒業生たちを中心に、区民集会室のような場所を借りて、
週1回ずつ無料の稽古をはじめたんですが、八ヶ月位稽古をしていたら、
レッスンだけでは物足りない、小さなホールを借りて発表会をやろうということになったんですね。
ホールを借りにいったら、申込書に「団体名」という欄があって、
カウンターでその場で思いついた名前を書いたんです。それが「ミュージカル座」という名前です。
そしてこの1日限りの発表会をやったのが1995年、これが創立の年になっています。
すると今年で12年目ですね
上の団員の年齢が、ようやく30代になりました。
あと10年経てば40代が出てきますので、40、30、20代と揃います。
そうすると、一つの劇団の中で、親の役も娘の役もやることができるんですね。
劇団の歴史というのは、人間の歳に似てるかなぁと思ってるんです。
12歳、人間でいうと小学6年生。
やっぱり20年たって成人式じゃないけど、
20年以上続けた劇団というのは本格的になりますよね。
俳優が自分で演奏をしていることにこそ価値がある
1月25日から東京芸術劇場で公演される「スウィングボーイズ」はどんなお話ですか
原作は「ブルーコーツ」というビッグバンドの話で、
昭和10年頃から現在に至るまで、約70年の歴史を描いたものなんです。
その原作の戦前から終戦までの部分をミュージカル化したのが「スウィングボーイズ」です。
太平洋戦争が本格化するにつれて、ジャズは「敵性音楽」だといわれて演奏できなくなり、
石がとんでこないように雨戸を閉めてジャズを演奏してるような状況。
そのうち召集令状が届いて戦地に赴くことになり、
彼らは生きていた証として、神田のスタジオでレコーディングをする。
それを最後に戦争に行ってしまうというのがミュージカルの主な流れです。
知っておくとより見方が広がる的なところがありましたら
主人公の男爵夫妻に踊りがうまい長女がいるんですが、
彼女がレビュー団のスターになっていくんですけど、
レビュー団もまたジャズと同じ運命なんですね。
この彼女をレビュー団にひっぱりこむ演出家の役は、
レビュー作家の菊谷栄さんをモデルにしてます。
中国戦線で、”戦場にいてもなおレビューを愛している”というくだりを残して亡くなってしまったレビュー作家なんです。
「スウィングボーイズ」の脚本はどのくらいで書かれたのでしょうか
書いてる時はニ、三ヶ月くらいですね。
脚本はどういうところで書かれてるのですか
ワープロを使って、家の書斎で書いてます。
脚本ができた後に音楽とか歌がつくのでしょうか
僕はいつも脚本先行で、脚本を作曲家にみせて、という形ですね。
脚本ができあがる前にお稽古がはじまる?
ミュージカル座は商業演劇と違って一ヶ月じゃなくて二ヶ月以上稽古の時間をとることができるので、
初演(2006年2月)の最初の稽古開始の時には1幕だけ脚本を書き上げてやってました。
楽器の稽古の方は、初演の時は夏から練習してましたね。
初演の際に一番大変だったことは何でしょうか
初演に関してはやっぱり楽器ですね。出演者の半分が「楽器は初めて」という状態でしたから。
本番ニヶ月前になっても音楽らしくならず、
間に合わないのではと思ったこともありました。
でも僕は、下手でも面白いと思っていたんです。
俳優が自分で演奏している、ということに価値があると信じていましたから。
しかし、あまり練習しすぎると唇が切れてしまうという状況のなか、
みんな涙ぐましい努力をしてくれました。
その初演から、1年経たないうちに再演ですね
ミュージカル座では、今年5月の新作で合計20作品になるんですが、
年間2本再演をやれば、10年に1回しかまわってこない計算になりますので、
そこまで頻繁に再演をしないんですね。
そんななかでこの作品を再演するのは、ひとえに劇団員がせっかく身につけた演奏を忘れないため。
それからそのスキルをよりグレードアップさせるためです。
振り付けは全シーン一新されたと聞きましたが
物語の舞台である1930年代というのは、タップがショーの主流だったんです。
じゃぁ時代の雰囲気をより反映できるタップのナンバーを取り入れ、
タップの先生に振り付けをお願いしようと。それとともに結構変えました。
脚本は変えられたのですか?
脚本自体は毎回どの作品も一から全部書き直してます。今回も1ページ1ページ全部。
てにをはを変えるだけのところもありますが、全部書き直しました。
やっぱりひとつ舞台やると、次の再演まで何年かインターバルがあくわけじゃないですか。
その間、ここをこうした方がいいかなとか、それぞれの作品について、ずっと考えてますね。
次やるときはここはこうしたいとか。もう台本だけじゃなくて、
演出的なとこまで。10年位悩んで変えるとかそういうのもありますね。
幕があいた後は客席には?
全公演はみないですけど、初日近辺はみてます。客席の一番後ろの方でみてますね。
アドリブとかは?
基本的に、うちは、アドリブはあんまりないかもしれない。
あまり僕自身がうるさいタイプではないんで自由に演技してますけど、
だいたい書いたまま、しゃべります。
基本的に、僕はアドリブはコメディでもあまり使わないタイプですね。
初演とはかなりキャストも変更されていますが、キャスティングの際に大事にされることは何でしょうか
バランスですね。主役にこの人をもってきたら、相手役・恋人役には、
やはり同じぐらいの実績を持った人をキャスティングしようということは考えます。
若手主体の公演にしようと思えばできるだけ若手を揃えますし、
スターを並べようと思ったら相手役にもスターを持ってきます。
あまりに違いすぎるとバランスが悪くなりますから。
「舞台の上の虚構」を見せてしまったほうが、刺激的で面白い
楽器はミュージカル座さんの持ち物として?
はい、購入してます。
でも、自分で楽器を購入した団員もたくさんいるんですよ。
だいたい皆初演が終わって少し余裕ができたときに、自分のMY楽器が欲しくなったようです。
団員の方たちがライブ・コンサートもされているとか
これがね、すごいんですよ。
きっかけは初演の際に演奏を教えてくださったプロのミュージシャンの方々なんですが、
去年の2月に初演が終わってから始めたのですが、12月まで十ヶ月の間に3回もやったんです。
7月には「スウィングボーイズ・コンサート」という催しをファンクラブのイベントとしてやりました。
「ボーイズ」なので当初女性はやっていませんでしたが、最近では女性も興味をもって楽器をやりだしていますね。
今ではミュージカル俳優が楽器を演奏することはわりと自然な雰囲気になってきてます。
これはすごいことだと思うんです。
歌って踊って演技ができて、ギャグやコントもできるミュージカル俳優が、もし楽器の演奏もできたとしたら、
それこそ無敵のエンターテイメントだなと。
楽器が好きなミュージカル俳優を集めて、バンドを結成して、
オリジナル曲作って、レコード・CDレビューして、音楽活動して紅白を目指そうかなと・・・。
最近ではコンサート形式の舞台も増えていますね
ブロードウェイ・ミュージカルも、
「WE WILL ROCK YOU」や「ジャージー・ボーイズ」「ムーヴィングアウト」など、
コンサートをそのまま舞台化したようなスタイルが増えていますよね。
どうしてそれを始めたのか、それは、ライブ・パフォーマンスとしての成り立ちを、
全部見せてしまおうという理屈なんですよ。
舞台を転換する人間、演奏しているバンドやオケなどの「舞台の上の虚構」を、隠すか隠さないかの差なんです。
それらを隠さないで全てを見せてしまったほうが、刺激的で面白いんですよ。
ミュージカルにおいて、音楽というのは第一要素ですから、
その要素を俳優が担うと非常に主体的なものになるんです。
音楽が知らない間にどこかから流れてきて、それで歌が始まるという、
よくいわれる「ミュージカルの嘘」ではなく、
その音楽自体を自ら演奏して、それを見せてしまえと。
例えば、登場人物が不安な気持ちになるシーンで、
俳優から少し離れたところでヴァイオリニストが不安気なイメージで弾いていると、
ヴィジュアル的にそっちの方が「ライブっぽい」んです。
弾いているヴァイオリニストも俳優さんで、すっごく切ない顔をして弾く。
その顔がすごくよくて・・・。どこからかなぜかわからず音楽が鳴ってくるというのではなく、
音楽があって俳優が演じるということをそのまま見せるわけです。
ブロードウェイでそれができるのは、
俳優なのにミュージシャンもできてダンスもできて、という人が多いから。
もともとミュージカルというのは、そういう人の集まりなんです。このあいだ脚本賞を取った人が今年は主演男優賞だとか。
ニューヨークのタイムズ・スクエアの中心に、「ブロードウェイ・ミュージカルの父」
と呼ばれているジョージ・M・コーハンの銅像があるんですが、
彼自身が、脚本書いて作詞して作曲して振り付けして制作して主演して踊って、という人ですから。
だからこそ日本でも、何でもできるような環境を作っていかなければいけないと思っています。
ダンスは得意だけど歌が苦手だから歌いたくないというのはだめで、
ミュージカルをやるならダンスも歌も芝居も全部勉強して、全てできた方がいいと思うんですよ。
なおかつ楽器も演奏できると。
DVDにされないのは生(ライブ)へのこだわりとかでしょうか
そうでもないですよ。今は資料用でしかなくて。
でも確かに、本田美奈子さんがお亡くなりになった後とかは問合せも多くいただきました。
舞台はどんどん変わってきてますから、今まで100%同じメンバーの
舞台はないので、その時記録として残しておいてもいいし、
この人の何歳の時の舞台というのは将来的には貴重ですよね。
「スウィングボーイズ」をニューヨークで公演したい
最後に、「スウィングボーイズ」の見どころを教えてください
実話を舞台にした戦争時代の文化ですね。
9.11のテロのときに、ブロードウェイが一斉に閉鎖したことには、
ちょっとびっくりしたんですよ。
復活はしましたけど、「イマジン」は放送禁止だとか、
アメリカ全体が愛国的な方向に流れたことに危機感を感じました。
ミュージカルや音楽は、平和な時でないと自由にできないのかな、と。
自由の国アメリカでさえそういった雰囲気に包まれてしまったことにショックを受けました。
自分達の歌いたい歌、演奏したい曲、、自分の作りたいレビュー、
そういったものをやれずに亡くなってしまった方々がいたのだということを、
もう一度描いて舞台化することで、今の時代への警鐘にしたいと思っています。
また、平和の大切さを訴えるために、
当時のジャズマンたちが一生懸命ジャズや楽器を研究していたのだということを、
俳優さんたちが頑張って再現しようと努めていますので、生演奏も楽しみにしていただけたらと思います。
そして、ニューヨークで公演したいなぁと思っているんです。
作品中にこんなシーンがあるんです。日本とアメリカが敵味方にわかれて殺しあっているときに、
日本の兵隊が「頼む、グレン・ミラーが乗っていないでくれ、
ベニー・グッドマンが、ルイ・アームストロングが乗っていないでくれ」と願いながら、
B29を撃つんです。戦争中に、自分たちの音楽であるグレン・ミラーを愛していた人たちが
敵のなかにもいたのだということを、アメリカの人たちにも知ってほしいし、
日本人が演奏するグレン・ミラーを聴いてほしい。
このミュージカルが日本とアメリカの文化の架け橋になるんじゃないかと思っています。
公演チラシにも日の丸と星条旗を描いているんですが、
文化が、戦争を回避する一つのキーになるんじゃないかというメッセージが、
この作品から発せられたらいいなと思っています。
【おけぴ管理人編集後記】
一緒にお話をお伺いにいったおけぴスタッフは「スウィングボーイズ」の作品に
込められた多くの人たちの思いを感じてうるっときてたようです。
インタビューの後、生のお声を映像か音声で聞かせてほしいとお願いしたのですが、
「ボーイズ達を大きくしてもらって、私の写真も小さく控えめに載せていただければ」
とハマナカさん。そのあと、劇団としての成人式(20周年)を迎える頃にどんな劇団で
あってほしいですかとお聞きすると、「ある予算規模で成功すると他の作品もその予算規模
でできるようになっていくのが面白いなと思っていて、成人式の頃にはより大きな規模で
オリジナルミュージカルを上演したい」と熱く語って下さいました
お話を聞いていて、ハマナカさんの頭の中にはやりたい作品が順番待ちでたくさんあって・・・。
私は興奮して話に入り込んでしまい、メモの手が止まることもたびたび。
そのハマナカさんの頭の中にある構想をおけぴネットのユーザの皆さんだけに少しだけ公開♪
一つはドストエフスキーの「罪と罰」を全編歌で綴るミュージカル。
坂とか階段とかが入り組んだ迷路のような街ペテルブルグの再現をはじめ、
何年かかるかわからないけど作りたいとおっしゃってました(15周年あたりで観たいなぁ)。
もう一つは、舞台が江戸時代の、日本の美を持った日本発の創作ミュージカル「大江戸ミュージカル」。
これはストーリーをざっとお聞きしたんですが衝撃のラストシーンです。
身振り手振りを交え、時には立ち上がるなどしてお話をして下さって、聞いてる私達も大興奮の2時間でした
(当初は30分の予定でした)。
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