劇作家井上ひさしさんが紡いだ、敗戦のひとつの真実。
あの頃、誰もがラジオを聞いていた。 戦後のラジオ局を舞台に、ひたむきに仕事に取り組む放送局職員達と、日系二世の軍人、そして“自分がだれだかわからなくなってしまった”風変わりな青年の、歌あり、踊りあり、ミステリーあり、笑いありの音楽劇!10年ぶり、待望の再演です。
初日を前に、キャスト4名ご登壇の囲み取材が行われました。
写真左より)平埜生成さん、吉田栄作さん、朝海ひかるさん、尾上寛之さん
【ご挨拶】
朝海ひかるさん(川北京子役)
「川北京子という元NHKのアナウンサーで、今は「尋ね人」という番組を制作している女性を演じます。あの時代のひとりの女性の生き様、想いを皆様にお届けできるように、頑張ります」吉田栄作さん(フランク馬場役)
「本当に今やる意味のある舞台、戯曲だと思っております。僕自身、世界や日本が岐路に立っているのではないかと思います。そんな今、井上ひさしさんが残してくださったこの戯曲を、現代を生きる我々がしっかりと演じ、皆さんに見ていただくことで、バトンを渡していく。それが大切なのではないかと思っております」尾上寛之さん(高梨勝介役)
「演出の栗山さんが、稽古で常々おっしゃっていたのは「舞台上で生きる、そして相手が言っていることを聞く」ということ。僕たちが芝居の中で(役を)生き、新鮮に、魂のぶつかり合いが起こる稽古を重ねてくることができました。楽しみにしていてください」平埜生成さん(山田太郎?役)
「劇場に足を運ぶということは、決して簡単なことではありません。その中で観に来て下さるお客様と一緒に、その瞬間その瞬間、魂をぶつけあって、時を超えて、戦後日本の物語を追体験できればいいなと思います」【演出:栗山民也さんからのメッセージ】
今回、10年ぶりに『私はだれでしょう』と向き合いながら強く思うのは、井上さんがまるで今回の公演のために書き下ろした台本のように、恐ろしいほど「今」の日本を鮮烈に描き出しているということです。「終戦から2年で、また元に戻るの?」という象徴的な台詞が劇中にありますが、戦争責任の在処も曖昧に、宙ぶらりんのまま歩みだしてしまった日本と日本人の無責任が、そのまま今の私たちの姿だと、強い怒りを持って戯曲は書かれています。昨今のこの非常識で最悪な政治状況のいくつもの断面が、見事に映し出されています。そんな井上さんの「今」の声が聞こえてくるのです。
日本と日本人が、無責任と曖昧を生きる術に選んだ過去は変えられないけれども、そのことに気づき、新たな歩みを考え、これからを選ぶのは私たちの課題でしょう。この舞台が、その一つのきっかけになることを心から願っています。【質疑】
──井上戯曲の面白さとむずかしさについて。朝海さん)
井上先生の戯曲にたびたび登場する歌。今回は、その歌がパッと入ってくることで楽しさが生まれます。演じる上では、そのスピーディーな展開、切り替えがなかなかむずかしくて。そんなむずかしさを感じて稽古しておりました。吉田さん)
この戯曲からまず強く感じたのは、井上ひさしさんがとても怒っているということ。その強烈なメッセージがある台詞劇ですが、それと同時に音楽劇でもあり、エンターテイメント性もあるというそのバランスが絶妙だと思いました。僕らは、舞台上で生きること、それが全てだと思っております。平埜さん)
井上さんは日本語をとても大切にされた方です。その戯曲の台詞、日本語をしゃべることがこんなにもむずかしいのか、日本語はこんなにも美しいのか。そのことにまずビックリしてしまいました。自分が生まれたこの日本の母国語なのに。自分は日本人では無いのではないかと感じてしまうほど、そこにむずかしさを感じました。尾上さん)
今、生成(平埜さん)が言ったこととも重なりますが、日本語のむずかしさは僕も感じました。語尾が上がるか下がるかだけで、伝わる意味が全く違ってくる。本当に、自分は今まで何語をしゃべっていたのだろうかと思った稽古場でした。
そして、もう1つ感じたのは、井上さんの言葉のリズムです。それを読み解くむずかしさと、解けたときのうれしさがあり、それを探していく作業が大変でしたが、楽しかったですね。──栗山さんの演出について。朝海さん)
栗山さんがおっしゃっていたのは、この作品はメッセージだけを伝える芝居ではないということです。やはり戦争の話となると、メッセージを伝えようと、役者はとても力強く演じてしまいがちです。けれども、そうではなくて、普通の生活の中での話なんだよということが印象的でした。吉田さん)
今回、初めてご一緒しましたが、栗山さんのなかにはゴールが見えていて、そこへ向かって少しずつ積み重ねていくような稽古でした。印象的だったのは役者ひとりひとりに対して、「このパスを拾え」と、とにかく的確で、明確なパスを出してくださること。そうすることで芝居を高めていく、深めていく演出をされる方です。そして、舞台上で生きるという言葉が心に刺さっています。千秋楽まで、それを突き詰めていこうと思っております。平埜さん)
栗山さんから言われて印象的だったことは、すごく個人的なことですが、「君は俳優の仕事をしていない」ということです。本当にその通りで、僕は今まで何をしていたのだろうかという絶望の稽古場を過ごしてきました。もしかしたら、それが山田太郎という再生する人間の役作りにつながったのかもしれませんが、本当に僕は、絶望、どん底の稽古場でした(苦笑)。 平埜さんが演じる山田太郎という役、ご覧いただくとわかりますが、とてもとても大変な役どころ(どの役もそうなのですが)。平埜さんの名誉のために申し上げますが、絶望の稽古場から、希望の本番へ!大きな飛躍を遂げております。
尾上さん)
「聞く」ことのむずかしさを改めて感じた稽古場でした。栗山さんの「耳なんだよ、耳から入ってくる情報が全てなんだよ」という言葉。耳から入ってくる情報、それに反応して身体がどう動くのか、心がどう動くのかを追求しました。芝居の基本でもありますが、今回は「ラジオ」がテーマでもあるので、より「聞く」ことの大切さを教わったような気がします。──好きな台詞。朝海さん)
私が山田太郎さんに言う台詞「それで、今はしあわせ?」です。栗山さんにも何度もアドバイスいただきましたが、その「しあわせ」の4文字の優しさ、そこから発せられるイメージを改めて素敵だなと感じました。吉田さん)
尾上君が演じる高梨の台詞「あらゆる戦争に大義も正義もない」です。僕が演じる日本人の血が流れるアメリカ人、彼に向けられて発する台詞ではないのですが、彼の心が大きく動いていくのも、それを感じたからなのだろうと思います。平埜さん)
歌の歌詞ですが、「あれこれ考えるとき、何人(なにじん)なんですか、おそらく人としてものごとを考える」です。尾上さん)
太郎が言う「そちらには、春が来ますか」という台詞ありまして、日本語としてもすごくすごく美しいです。これから(実生活で)ちょっと使ってみたいなと思います(笑)。 最後に、吉田さんの「今やる意味のある芝居」についてのさらなるお話をご紹介します。
吉田さん)
この物語は、ひとりの記憶をなくした青年をとおして、みんなが「私はだれでしょう」から「私はだれであるべきなのか」ということに気づいていく物語です。体制や政治の流れとかではなく、ひとりひとりがどう生きるべきなのかを考えて、覚悟していかなければいけない時代がもうやってきているのではないか。その意味で、この10年前に書かれた戯曲は、まさに今のために書かれていると感じるのです。 朝海さんの京子はじめ、凛とした生き様の人々が登場しますが、みんな完全無欠な聖人君子ではございません。GHQに思うところがあっても、やっぱりチョコレートは美味しいし、ステーキは食べたい…。うっかり流されそうになりながらも、必死に恥のない人生を生きようとする市井の人々。彼らへの愛とエールにあふれた戯曲から、感じることの多い、本当に多い、作品です。
凛とした佇まい、スーツもとっても素敵!
おけぴ開幕レポートも近日公開予定です。お楽しみに!
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人