メモリアルイヤーの『レ・ミゼラブル』本格始動!期待高まる製作発表会見後、ファンテーヌ役でご出演される和音美桜さんにお話をうかがいました。2011年、オリジナル演出版のファイナル公演から同役を務められる和音さんが感じる作品の魅力、ファンテーヌという女性は…。では、インタビュースタートです。
【今回で一度区切りをつける、そんな心持ちで臨みたい】
──『レ・ミゼラブル』、そしてファンテーヌという役とも長いお付き合いになりますね。2011年からですので…。 6年ですか…。あれ、なんだかすごく“ひとごと”みたいなテンションですね、私(笑)。
──それも和音さんらしい反応です(笑)。その6年の間には、オリジナル版のファイナル、新演出版のスタートなどの節目もありました。ご自身で感じる、作品や役との向き合い方の変化はありますか。 はっきりと「これです」と言い切ることはできないのですが、やはり初めて出演したときは、宝塚歌劇団を退団してすぐだったこともあり、宝塚色を払しょくしようという意識がどこかにあったのかな。もともとあまり気負うタイプではないのですが、今思うとそんな気がします。あとはとにかく一生懸命やって、一生懸命なまま終わってしまったような気がします。
そして、2度目、2013年の公演でようやく役を演じている自分から少し離れて、冷静に見ることができるようになりました。ちょうど新演出初演ということもあり、これまでの解釈を一度壊して、ゼロから、いや、ゼロ以下と言ってもいいくらいのところから、あらためて組み立てていけたのも大きな経験でした。
この作品は、みなさんご存知の通り、たいへん完成度の高い楽曲で構成されています。そのため、誤解を恐れずに言うと、演じながらもどこか楽曲に依存し甘えてしまっていたところもありました。一度原点に立ち返り、「本当にそうなのだろうか」、そのときの感情の本質を追求していき、その感情を積み重ねていくことで、新たな解釈や表現につながったと思います。
──新演出版では、コゼットやファンテーヌの印象が変わったように感じます。 強くなりましたよね。儚げな印象が強かったものが、地に足をつけて懸命に生きているのだけれど空回りしてしまっているように。映画版をご覧になった方もお感じになったと思いますが、強く生きているからこそ、それが崩れ去った瞬間、見ているのが辛い、苦しいというのもありますよね。
ファンテーヌだけでなく、コゼットも。もちろん愛され、守られて育ってきた女性ですが、かわいいだけでないしっかりとした芯のある女性です。それは母娘で受け継がれる強さなのかなと思っています。
──この親にしてこの子ありですね。そう思うと、エポニーヌやマダム・テナルディエ、娼婦たちや市民…、女性の強さという意味では一本筋が通っていますね。 見方によっては“女性が強いから、世の中回っている”くらいのイメージになっていると思います。
──なんだかすごくリアルです(笑)。 そうなんですよ。リアルに自分を重ねやすいようになっているんです。それは演じていても、見ていても、それぞれの人物像をより身近に感じられるからではないでしょうか。コゼットはお姫様ではないですし、テナルディエ夫妻もやっていることは泥棒ですが、どこかに自分自身を見るような感覚があるんですよね。
──そのあたりが新演出の魅力なのかもしれませんね。これまでのお稽古のなかで印象的だったエピソードはありますか。 前回公演のとき、演出補のエイドリアン氏とのお稽古で忘れられないことがあります。ファンテーヌが病院のベッドにひとり横たわっているシーンです。
それまでも自分たちなりに感情とお芝居をリンクさせていたのですが、もう一歩入り込めていなかったのでしょう。まず、エイドリアンは稽古場の照明を落として、本当に病院のような薄暗さにし稽古場でありながら、非常に集中できる環境を作ってくれました。そこで、「君にとって、大切な人は誰」とおだやかに語りかけてくれました。「それは、おじいちゃんでもおばあちゃんでも、人でなくてもいいんだよ。もし、その大切な人との別れが迫っているとしたら…」と感情を導いてくれたんです。そのときは、感情が溢れだして歌えなくなってしましました。トリプルキャストでしたので、ほかの2人の様子も見ましたが、やはり同じように歌にはならない。でも、その瞬間の感情が、姿が本物だから伝わるものがあり、圧倒されました。人はその「本物の感情」に心を動かされるということを実感しました。
──母(ファンテーヌ)として、娘(コゼット)を想像して感情を作りあげるというのとは、また違うアプローチなんですね。 私には子供はいないので、子供との別れ、その苦しみや悲しみは、正直まだわからない部分がたくさんあります。そういうこともあり、あまりにも物語性だけで感情を作ろうとすると、どうしてもちょっと嘘が入ってしまいます。それとは違う、リアルなものを感じました。
──実際、その時の感情というか、ご自身中で沸き起こった衝動というのは…。 はっきりと覚えています。そして、一度それを掴むと、呼び起こしやすくなるんですよ。
──丁寧な作業の積み重ねが、あのドラマをつくり出すのですね。そして、いよいよ今シーズンのお稽古も始まりますね。 今回は、私にとって4回目の挑戦となります。30年受け継がれてきたなかの、6年という短い時間ではありますが、その一部を作るお手伝いをさせてもらっていて思うことがあります。いいものであり続けるために、引き際も大切なのかなと。これは役どころにもよるでしょうし、長く続けること、長きにわたり求められることは本当に素晴らしいことです。何が正解かということは誰にもわからないことですが、私自身の気持ちとしては、今回で一度区切りをつける、そんな心持ちで臨みたいと思います。それによって一回一回にかける思いが変わってくると思うので。
こういう発言をすると、言葉が独り歩きしてしまうのが怖くもありますが、これが絶対に最後ということではないですし、それによって変に感傷に浸りたいわけでもないんです!ただ、それぐらいの気持ちで、丁寧にリアルに役を生きられればいいなと。本番にかける思いとしては、今は、そういうスタンスでいます。
【人生をクリエイトしていきたいんです!】
──そのスタンスも、和音さんらしいですね。すごくカッコイイです!
最近のご出演作品をみても、ミュージカルだけでなく新国立劇場『月・こうこう, 風・そうそう』など様々な挑戦をされていて、表現者として充実されているなと感じます。 「あの人だったらこれだよね」と言う決まったものでなく、様々なものに挑戦する機会を頂戴していることは本当にありがたいと思っています。「もう30歳も過ぎたし、初めては嫌だわ」とか、そういう感覚は全然ない人間なので(笑)。
──「あの人だったらこれ」、やはり真っ先に思い浮かぶのは歌です。大きな魅力である歌のない、お芝居に挑戦するのもそのあたりに…。 そう思っていただけるのはうれしいことでもあるんですよ。以前は、与えられた歌をしっかりと歌おう、私自身もそちらに偏ってしまっていたところもあったように思います。でも、やはり演劇が根底にあっての歌。一歩引いて自分を客観的に見ることができるようになったときに、お芝居の部分も深めていけたらもっと違うものに出会えるのではないかと思ったんです。もちろん、歌の技術を磨くことも大切。これもずっと精進していかなければならないと思っていますが、それだけではそれだけで終わってしまうような気がするんです。
──まずは一歩を踏み出してみる!そこに怖さは感じませんか。 一歩を踏み出すまでのほうが怖くて、踏み出してしまったほうが怖くないです!もともとひとつのところに留まることが、あまり好きではないんでしょうね。居心地のいい場所にいて満足するより、うまく出来なくても挑戦できる場へ飛び出したくなるタイプ。そして、いざ踏み出してみたら、意外と大丈夫だったなんてことが、結構あるのかなって(笑)。人生をクリエイトしていきたいんです!
──そんな和音さんのこれからの目標は。 私自身、人の舞台を見ていて感じるのは、役を演じていながらも舞台にはその人の人生や人となりがにじみ出るなということ。そういうお仕事なんだと思います。技術を磨くのももちろんですが、根本の“人間性を磨き続けられる人”でいたいと思います。
──『レ・ミゼラブル』も新キャストが加入し、その中で和音さんがどのようなファンテーヌを見せてくれるのか、そして、これからのご活躍も楽しみにしています!素敵なお話をありがとうございました。和音さんは5月27日の『レ・ミゼラブル』おけぴ観劇会にもご出演です
【──レミゼのその先に…】
──だいぶ先になりますが(笑)、この秋には『レディ・ベス』も控えています。アン・ブーリン役もまた違うむずかしさがありますよね。あの役はちょっと特殊というか…。幽霊で漂っているような感じですからね。台詞のやり取りがあるわけではなく、歌のみで、その楽曲も壮大。再演に際しては、あまりにも「歌です!」となりすぎないようにというところが課題になりそうですね。
「レディ・ベス」おけぴ観劇会は10/16(月)夜です♪
和音美桜さんは、『レディ・ベス』では、ベスと自らの愛の行方を見守り続ける亡き母アン・ブーリン役。2014年の初演では、帝劇を包み込んだ和音さんの澄んだ歌声に心洗われた方も多いと思います♪ 『レディ・ベス』おけぴ観劇会は10/16(月)18時!詳しくはこちらから
おけぴ取材班:chiaki(インタビュー・文) 監修:おけぴ管理人