左から、井上麻矢さん(こまつ座代表)、畑澤聖悟さん(脚本)、富田靖子さん、松下洸平さん
ヒロシマ:
『父と暮せば』、オキナワ:
『木の上の軍隊』に続く、
“ナガサキ”を描いたこまつ座渾身の一作!
山田洋次さんにより、
井上ひさし「戦後"命"の三部作」を名付けられた3つの戯曲の3作目。ナガサキを舞台にした母と息子のファンタジー作品が、今秋、いよいよ上演されます。
井上ひさしさんが遺した物語を引き継ぐのは、青森の現役高校教諭・演劇部顧問であり、劇団「渡辺源四郎商店」を主宰して精力的に活動中の
畑澤聖悟さんと、演出の
栗山民也さん。そして、映画版の監督を務められた山田洋次さんが監修という強力な布陣!
ご出演は、今作が7年ぶりの舞台出演となる
富田靖子さんと、こまつ座には『木の上の軍隊』に続く出演となる
松下洸平さんです。
ご登壇の皆さんの井上作品や戦争に対する思い、そしてこの作品を上演することに対する真摯な思いが感じられ、スッと背筋が伸びるような瞬間が何度もあった記者会見。その様子をレポートいたします。
畑澤聖悟さん(脚本)「『ひょっこりひょうたん島』で産湯に浸かった世代で、初舞台が『十一ぴきのネコ』だった僕にとって、井上ひさしさんは神様のような人。偶然とは思えないし、とても光栄です。
青森市は7月28日が空襲のあった日。でも最近はこの日が何の日か、8月6日・9日に何があったか知らない子もいます。何があったかを考えるのはものを作る人間としては大切なこと。何かに導かれてこの場にいるという思いがしています」
畑澤聖悟さん(脚本)
富田靖子さん(母役)「映画版で吉永小百合さんがされた役を自分が…そんな…というのが正直なところ。いまお話を聞いていて、7年ぶりに舞台に上がる私は『なんでこのお話受けちゃったんだろう』と、クーッ!となっています。でも九州出身ということもありますし、どこまで辿り着けるかはわかりませんが、一生懸命やりたい。あとは息子に任せます(笑)」
富田靖子さん
松下洸平さん(息子役)「『木の上の軍隊』に参加したときも、いろいろなことを考えさせられ、たくさん勉強させてもらいました。演劇を通して栗山さんから戦争のことを学び、戦争を知らない世代の人たちに何が伝えられるだろうと考えさせられる、とてもいい機会をいただいています。
家族とは何か、人と人が争い合うことから生まれる残虐や悲しみ、それを次の世代に届けられるように、一生懸命この芝居に向き合っていきたい。大きなプレッシャーですが、富田さんが『あとは息子に任せる』とおっしゃったのでさらにプレッシャーが……(笑)。畑澤さんが書いてくださるまっすぐな戯曲と、栗山さんの真摯で繊細な演出を楽しむ余裕もどこかで持てればと思います」
松下洸平さん
栗山民也さん(演出)・山田洋次さん(監修)からのコメント
栗山民也さん(演出)
「その話が『母と暮らせば』のことだったのかはわからないが、生前、井上さんと長崎について何度か雑談をした。ある医師の話や、教会や、坂の多いことや、長崎の鐘などについて。
そして、『とにかく、広島、長崎、そして沖縄を書かないうちは、死ねません』と、いつも最後は笑いながら、力強くそうおっしゃっていた。
その時の記憶が、今回新たな作品に熱い温度を与えてくれるだろう。人間をこなごなに砕いた不条理と向き合い、大事なことをしっかりと受けとめ、今、語り継いでいかなければならない。
その新たな物語を戯曲化するのは、いつかご一緒したいと願っていた畑澤聖悟さんだ。繊細に大胆に、混沌とした世界のなかに在る登場人物たちを、潔く生かす戯曲家だと思っている。
富田さんと洸平。とにかく、早く稽古場でお二人の生の声を聞きたい。その声が、永遠に前へと向かう声としてずっと語られ続けられることを願って」
山田洋次さん(監修)
「『父と暮らせば』に次ぐ『母と暮らせば』を芝居にするという企画を聞いた時、大変なチャレンジだと思いました。
長崎を舞台にして井上さんに負けないだけの戯曲を書くのは大変なことだと思いますが、畑澤聖悟さんが喜んで引き受けてくれたと聞いて僕はかなり安心しています。井上さんとも僕とも違う魅力的な『母と暮らせば』ができると心から期待しています。
この三部作がこれからも繰り返し繰り返し上演されることが今のこの国、戦争のにおいがぷんぷんするような世界にとって非常に大事なことでしょう。観客もみんなそういう認識を持ってこれらの作品を迎えてくれるに違いないし、匹敵するだけの『母と暮らせば』を作ってください」
お二人からのコメントを聞いて…
畑澤さん「ハードルが上がる上がる(笑)。映画をなぞるのではなく、その魂を受け取りながら違うものを作らなければならないというプレッシャーを感じています。
『父と暮せば』は二人芝居の“大・教科書”でもあり、災害について人間がどう考えるかという意味でも、死者と生者を演劇で扱うという点でも“大・教科書”で、常に比較される宿命にある。引き受けたあとにだいぶ後悔しました(笑)。いま第二稿までできていますが、最後の直しまで、全力でやりたいと思っています」
富田さん「台本に書かれていること、井上ひさしさんが伝えたかったであろうこと、山田監督とこの作品についてお話ししたこと……これから栗山監督と洸平君と舞台を作り上げていく中で、この板の上で精一杯生きていく様を皆さまに届けられたら、ただそれだけです。がんばります!」
松下さん「先日、栗山さんが『この作品は一切の妥協を許さない。とんでもない作品にするぞ!』とおっしゃっているのを聞いて、この作品に対する“覚悟”を感じました。井上さんの作品は、悲劇の中にある喜劇というか、悲惨な出来事の中で虐げられた人間が、その中から希望を見出して生きていく様を見て、幸せとは何かを考えさせられるところが個人的に好きです。
畑澤さんの脚本のダイジェスト版を読ませていただきましたが、あの日、長崎で何があったのか、あの日以降、長崎の人たちがどういうものに縛られて今日まで生きているのかということを少し突っ込んで書きたい、という畑澤さんの気持ちが伝わってきました。この作品に対する皆さんの思いが熱いことを感じています。それを僕と富田さんで一手に引き受けて、『父と暮せば』とはまた違う、母と子の物語を作っていければ」
一問一答
(映画版と比較して、演劇ならでは、舞台作品ならではの部分について)
畑澤さん「映画版は大好きで、このお話をいただいてからも30回くらいは観ています。セリフも暗記しているくらい。舞台版は『母と子の二人芝居にする』と聞いて、これはすごい試みだと思いました。たくさんの長崎の方や、最後に登場する大合唱団、そして黒木華さんが演じていた町子という重要な人物も出ない。そうした“不在な人間”をどう表現するか、どうやって“生きているように見せる”かが、演劇のひとつの“芸”。そういう点で、ずいぶんチャレンジをしています」
(役作りのために取り組みたいこと)
松下さん「“死の世界’に住んでいるという、誰にもわからない、知らない部分を演じる難しさがあります。おそらく、そのときにいちばん必要なのは“生前の記憶’。生きていた証をしっかり持っていないと死んだ人間は演じられないと思うので、たくさんコミュニケーションをとりながらやっていきたい。去年、長崎に事前取材に伺いましたが、役のモデルになった方についての本を読んだり、当時の長崎の資料なども読みながら、稽古に臨みたいと思います」
富田さん「大切にしたいのは“喪失感”。息子を失った喪失感は、死ぬまで治ることのない傷だと思っています。その壮絶な喪失感とひたすら向き合いながら作っていきたいと思います」
核兵器というものは、どこまでも人間をつけ回し、
なんどもなんども人間を騙し討ちにして、
人間の生きる勇気と誇りとを台無しにする悪魔の贈物であって、
こんなものを兵器だの爆弾だのと「やさし気に」呼んではいけない。
たとえ、どんな理由があろうと、こんなものをつくったり、保持したり、
人間の上に落としたりするやつは、この世の大ばかやろうである。
彼らはじつに人間の顔をした悪魔である。そう呼んでまちがいない。
いや、人類の中で最初に、核兵器の正体が悪魔の弟子どもであることを体験したわたしたちは、
そう呼ぶ資格と、そう呼ばねばならない(人類にたいする)聖なる勤めがあります。
―――――井上ひさし
おけぴ取材班:hase(撮影・文) 監修:おけぴ管理人