創立70周年をむかえた松竹新喜劇の代表・渋谷天外さん。
元旦からの南座公演で、劇団の代表演目のひとつである『お祭り提灯』の提灯屋徳兵衛を演じます。
昭和23年に、複数の上方喜劇団が合体して生まれた「
松竹新喜劇」。二代目渋谷天外(筆名:舘直志)による文学的かつ人情味あふれる脚本や、稀代の喜劇役者と称された藤山寛美人気もあり、昭和41年9月から20年間にわたり246ヶ月連続無休公演(!)という記録を打ち立てたことでも知られています。
今年、結成70周年を迎えた劇団の代表をつとめる当代の渋谷天外さんに、来年元旦から南座で上演される『
初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演』について、これからの松竹新喜劇についてなど、お話を聞きました。
久本雅美さん、藤山扇治郎さんも登場した
取材会レポとあわせてご覧ください。
南座『初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演』渋谷天外さん、藤山扇治郎さん、久本雅美さん取材会レポは
こちら ◆──お正月の南座公演は劇団の“鉄板”演目2作が並びます。まずは『お祭り提灯』について改めて教えてください。 この演目はうちの父(二代目渋谷天外/舘直志)が“まとめた”というのが正しいでしょうか。明治37年に日本で初めて「喜劇」とうたった演目が上演されまして(「曽我廼家兄弟劇」)、大正、昭和の初期までたくさんの喜劇団が上方で生まれました。『お祭り提灯』の原型はその頃からあった古いネタです。そこから余分なものを削ぎ落とし、最高の筋で笑わせる芝居にした、喜劇の最高峰といえる“ぜひモノ”です。
僕が演じる提灯屋の徳兵衛は、ふとしたことから大金を提灯のなかに隠してしまう。それを久本雅美さんが演じる強欲な金貸しが見てしまったから大変です。金の入った提灯をめぐって、提灯屋、その女房、丁稚、金貸し、そして町の人々が舞台を走り回り、最後はあることできれいにオチがつきます。
──劇団のベテラン勢から若手までが走り回る姿、そしてスカッとするオチ。まさにお正月の初笑いにぴったりの作品ですよね。天外さんが演出されたこともありましたが、今回は徳兵衛役に専念されるのでしょうか。 筋がきっちりとできあがっているものなので、演出といっても僕が覚えている昔の先輩方の芝居、所作を伝えたということですね。曽我廼家明蝶さんという名優がいらしたのですが、子供心にこの方の芝居を見た覚えがあり、今回はその所作も取り入れてみるつもりです。色気のある提灯屋でありたいなと思っています。
──金貸しおぎんを演じる久本雅美さんは、これで7回目のゲスト出演。3年前の新橋演舞場公演でも同役を演じています。 この役はもともと男性の役でしたが、久本さんに出てもらえるということで配役を考え、女性版としてやっていただきました。以前に千草英子さんが同役を演じたこともありましたが、それとはまたぜんぜん違うイメージの金貸しおぎんです。今回はまた進化させて演じたいと言っていましたので僕も楽しみです。久本さん、さっき別の取材で新喜劇のことを「うちの劇団」と言ってはった(笑)。「あ、私、WAHAHA本舗やった」と訂正していましたが、それくらい入れ込んでくれているんだと嬉しかったですねえ。
──その久本さんが「笑って泣けて感動する」とおっしゃっていた『裏町の友情』、こちらも“鉄板”の名作ですね。 曽我廼家八十吉さんと江口直彌さんが演じるクリーニング屋さんと炭屋さんが喧嘩をする話。昔は氷屋さんと炭屋さんという設定だったそうです。まさに冷たいと熱いで喧嘩するんですね。この喧嘩のせいで、それぞれの息子と娘がいわゆる“ロミオとジュリエット”になるのですが、本物のシェイクスピアが悲劇なら、こちらは喜劇。他人の悲劇を傍から見ると喜劇になるというわけですわ(笑)。
──ロミオにあたるクリーニング店の息子役を藤山扇治郎さんが演じます。 彼の芝居もこの頃ずいぶんと変わってきました。入団して5年でよくぞここまでこれたと思います。一番大きな変化はお客さんに向かって芝居をするようになったこと。普通の俳優さんは役者同士で演技をすることが多いですが、喜劇の場合はお客さんに対して芝居をせないかん。藤山先生(藤山寛美さん)はよく「緞帳の向こうで芝居せい」と言っていました。「緞帳の手前で芝居をするな」「お客さんの心を舞台に上げろ」と。緞帳の向こう側というのは客席側ということ。実際に僕らが客席に降りるわけではなく、客席に気持ちを向けて、お客さんの心をつかまえて、その上でもういっぺん舞台の上で遊ぶ。そうすると劇場全体がひとつになり、笑いの“るつぼ”になるんです。
──扇治郎さんだけでなく、若手のみなさんの活躍も楽しみです。 植栗芳樹や渋谷天笑も力をつけてきましたし、ここらで次の世代へのバトンタッチも考え始めています。
僕はいま64歳。これまで若手と言われていたほかの連中も軒並み還暦近くなってきました。せっかく70年続いた劇団。僕の代で潰せません。そのためにも一人でも多くのお客様に見ていただいて、笑っていただきたいと思いますね。
──今年は扇治郎さんの朝ドラ( 連続テレビ小説「まんぷく」 )出演も話題になりました。 「缶詰の人」「野呂缶」で通じるようになりましたからね。これは彼の自信にもつながってると思いますよ。65周年のときと比べると今年は明らかに客席に若い方が増えている。やはり若手の彼らが頑張ってくれているから、それを見に来てくださるんだと思います。そうそう、若手といえば、ちょうど入団希望者を探しているんです。「われこそは」という方はうちの芝居を見ていただきたい。詳しくは
松竹の公式サイト(「松竹新喜劇」募集要項)にあります。これ、ぜひ記事に書いておいてください(笑)。
──新しい客層といいますと、扇治郎さんのご結婚相手、北翔海莉さんを通じて松竹新喜劇のことを知った方も多いかもしれません。 嬉しいことですよね。人としても役者としても素晴らしい方ですので、いつかうちの芝居にゲスト出演してほしいくらいです。『お祭り提灯』の提灯屋の女房役なんかも似合いそうじゃないですか。でも彼女のほうが背が高くてかっこいいので、うちの二枚目役が三枚目になっちゃうかな(笑)。あとは北翔さんのファンのみなさんが、みっちゃんを取られたとショックを受けているんじゃないかと心配しています。北翔ロスと言うんでしょうか。扇治郎のやつめ、と恨まれているのではないかと…
──若い世代や宝塚ファンなど、新たな客層に向けて、改めて「いまの松竹新喜劇」について教えていただけますか? 昭和23年に始まった「松竹新喜劇」は、団員の半数近くが“座長さん”でした。それぞれの劇団でトップをはってきた人が集まった劇団だったんです。
でも今は純粋にうちの芝居が好きで入ってきてくれた若い子がたくさんいる。他にも若い人向けの芝居はたくさんあるのに、なぜうちの芝居がおもしろいと思ってくれるのか。それは普遍的なもの、変わらない人の心を描いているからやと思います。
時代設定は現代ではないけれど時代劇というほど昔でもない。『じゃりン子チエ』や『三丁目の夕日』、あの時代の市井の人々を描いたものが多いんです。『裏町の友情』でも小道具に携帯電話を取り入れたことがありましたが、今回は昭和40年代頃の設定に戻しました。やはり携帯が出てくると芝居の筋が通らなくなってしまうんですわ。いわゆる“髷(まげ)もの”でもなく、大正時代でも昭和初期でもない、今よりほんの少し前、つまり携帯電話のない時代。今の若い子たちがみても、なぜかノスタルジーを感じるような世界観やと思います。
松竹新喜劇の財産のひとつは先人が遺してくれた“本”ですが、同じ芝居、同じセリフ、同じ筋でも、今を生きる人間が演じれば現代性を帯びてくる。たとえば藤山先生の時代と、私らの時代では芝居のテンポが少しちがう。やや早くなっているんです。いまの若い子らがやるとさらにもうひとつテンポが早くなる。それでいいと思っています。僕は「伝統」という言葉はあまり好きやないんですが、これまで劇団が培ってきた素晴らしいものを、若い彼らなりのテンポ、芝居で受け継いでいってくれればと。
──劇団赤鬼の川浪ナミヲさんも演出で参加されていますね。 彼もまだ40代半ば。うちの劇団は年寄りが多いから、なにかあるとすぐに「すんませんでした!」と謝る演出家です(笑)。でもそこをうまく動かして、彼の世代なりの芝居を作ろうとしてくれています。今の時代に旧作をそのままやるとどこかに歪みが出てくる。思いきり新しくする必要はないけれど、舞台の上に漂う匂いを新しくしてもらえればと思っています。
最近の歌舞伎も同じでしょう。亡くなった勘三郎さんの芝居を息子さんたちがやると、同じ芝居でもどこか新しい雰囲気がある。そういえば、菊之助さんが新作歌舞伎で『風の谷のナウシカ』をやるって? すごいよなあ、びっくりした(笑)。うちでやるなら『風の谷のお鹿ばば』とかになるかな(笑)。それは冗談として、新作もどんどんやっていきなさいと若手には伝えています。松竹新喜劇の台本は既に1500本ほどあるので、新しい芝居の筋を思いついても「これどっかで見たことあるな」となるのがつらいところですが、そのうちに「これぞ!」という新作喜劇もお目にかけたいと思っております。
「来年の一文字は【縁】。なくなる縁もあれば、新たに結ばれる縁もある。みなさまとの縁を大事にしていきたい」という天外さん。
『初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演』は、南座で2019年1月1日から8日まで上演されます!
【取材こぼれ話】
記者が集まった取材会で、改修工事前の南座の思い出を聞かれた天外さん。
南座でおきた不思議な出来事(?)、そして先代渋谷天外さんとの奇妙な縁について教えてくださいました。
天外さん:前回の改修工事の、さらに前の南座の頃から出演させてもらってます。その頃は若かったですから、終演後に祇園の安い店で飲んで、終電がなくなると楽屋に泊まらせてもらいました。将来のことなんかを考えつつ横になっていますと、2階の楽屋の引き戸がスーッと開いて、またスーッと閉まった。楽屋のなかには誰もいない…(取材陣一同シーン…と静まり返る) これね、南座の楽屋に大きな猫が住み着いてたんです(笑)。ちゃんと戸を開けて閉めるんですね。いつのまにかおれへんようになりましたけど。
(「オペラ座の怪人」ならぬ、「南座の猫」…!)
天外さん:二代目渋谷天外が脳卒中で倒れたのも南座でした。いまの3階のエレベーターを降りたあたりで倒れましてね。心のなかで後継者は藤山寛美やと決めていたんでしょう。倒れながら「藤山を呼べ」と。それで後のことを話し終わったあと、自分はあと何秒くらいこの世で意識があるのかと数えてたらしいですわ。1分と数秒でふっと意識がなくなったらしい。そのあと生還してきましたけれども。そんな思い出もある劇場でございます。
上方喜劇と松竹新喜劇の歴史については、こちらの松竹新喜劇公式サイト「喜劇百年の歴史」もぜひどうぞ
おけぴ取材班:mamiko 監修:おけぴ管理人