全キャストをオーディションで選考し上演する新国立劇場初の試みでも話題の、
“新国立劇場の演劇”『かもめ』。稽古場レポートをお届けします。
作品は、
アントン・チェーホフの不朽の名作。
「恋」と「芸術」、そしてすれ違う会話と心の物語です。多くのカンパニーで、これまでにも幾度となく上演されてきた傑作です。……とはいえ、傑作、名作あるあるとでも申しましょうか、実は観ていないということもありますよね。もちろん、その面白さや奥深さに魅了され、愛と厳しさで『かもめ』を観続けている方も数多くいらっしゃることも事実。
そんな名作を、どうご紹介したらよいものか、思いを巡らせておりましたが、その答えは、やはり稽古場にありました。
アルカージナ:女優、コンスタンティンの母、トリゴーリンは愛人。
凛とした美しさ、大女優の威厳、敵わないな…と思わせる魅力の
朝海ひかるさんのアルカージナ。この日に感じた最大の魅力は、重みのある声。
ニーナ:女優志望、コンスタンティンの恋人
岡本あずささんのニーナは、この日に見た中盤のシーンでは無垢な美しさ、夢見る輝きが印象的。ニーナの声のトーンは、アルカージナと対照的にちょっと恋に浮かれた軽やかさが。ここから終盤へ、どんな変化を見せるのか楽しみです。
マーシャ:コンスタンティンに思いを寄せ、教師のメドヴェジェンコに思いを寄せられる
いつも黒い服を着て、自らを不幸だと言うマーシャ。
伊勢佳世さんのマーシャの直線的な(やや投げやり)言葉の発し方が、悲劇のヒロインくさくなくてすごく好き!悲観的だけど、現実的なマーシャ。気になるキャラクターです。
こうして3人の女性キャラクターを並べただけでも、あの人がこの人を好きで、でもこの人は……と、まぁ、面倒くさいことになっています(笑)。そこに、マーシャの母ポリーナも登場し、夫がある身ながら……。
男性キャラクターも個性的。
コンスタンティン:母親への屈折した愛と恋人ニーナへの愛、苦悩する青年
思いつめるタイプの
コンスタンティン。うまくいかなくて空回り、不器用で、重っ。という難役に体当たりするのは
渡邊りょうさん。
トリゴーリン:有名小説家、アルカージナの愛人で……
謎めいている芸術家、なんとも憎めない男。うーん、コンスタンティンに勝ち目は……かなと思わせる
須賀貴匡さんのトリゴーリン。
ただ、純粋な二枚目かというと。鈴木裕美さんの演出で、トリゴーリンはちょっとポンコツ風味?!になっていくのです。
「そこをコントにしたいのよ」鈴木さんの言葉が印象的。そうやって作り上げられるトリゴーリンの天然な感じ、ときに迷惑な無邪気は、これまた興味深く、面白い。
他にも、すぐに同じような言動を繰り返す面白さもあれば、一幕の仕掛けが二幕で効いてくるような面白さもある。やはり巧みに書かれた戯曲です。
(ただしここで求められる笑いの質は、
「喜劇」的なものであって、「笑劇」的なものではない)
湖のほとりで語り合うニーナとトリゴーリン
話をしていくなかで惹かれ合っていく二人。ただ、二人して浮足立っているものだから、なんか噛み合わない会話が妙におかしいのです。
アルカージナが登場すると、ピリッとした緊張感が生まれる
稽古の中で、鈴木さんから「こういう辻褄で試してみよう」という言葉が聞かれました。全てが説明されていない戯曲、どんな戯曲でも多かれ少なかれそうなのですが、この作品、想像の余地はかなり大きいように思います。だからこそ様々な解釈がなされ、上演したくなるのかもしれません。
トリゴーリンとマーシャのシーン。作家であるトリゴーリンに、マーシャは、自分のことを小説に書いていいと言います。それを聞き、彼女の話をメモするトリゴーリン。
そこで鈴木さん「実際、トリゴーリンはマーシャの物語を書いたと思う?」。もちろんそんなシーンはなく、語られることもない。正解もない。でも、そうやって、「書くよねこの人は」、「いや、書かないんじゃないかな」、「書きかけてやめる?」、「書いて、それを送ってきそう」と、堀り進めていくことで、それを皆で共有することで、お芝居が出来上がっていくのでしょう。言葉1つをとっても、「名声」という言葉の意味は当時と今とでは少し違う。金銭的、ちやほやされるというだけでなく有用な存在とし認められる感覚。それは階級社会では、もともとフラットな関係でないからということが影響している。
そういった言葉のニュアンスを共有していく、たとえそれを劇中で説明せずとも、理解している上で言う台詞は説得力を増すのです。その積み重ねて、作品が豊かになっていきます。
こうしてご紹介してきたキャラクター以外にも、興味深い人間たちが登場します。誰を軸にして読み解くか、それだけでも見え方がガラリと変わりそうなんです。今回の『かもめ』は、誰か一人を色濃く描く、見せるというより、『かもめ』な人々という群像劇的側面が強く打ち出されているように感じます。(登場人物は使用人たちも入れて意外に少ない13人)
渡邊りょうさん、佐藤正宏さん(ソーリン:アルカージナの兄)、松井ショウキさん(メドヴェジェンコ:マーシャに思いを寄せる教師)、朝海ひかるさん
あまりにも有名な台詞「私はかもめ……私は女優」を発するニーナ、物語の中で、大きく変化していく青年コンスタンティン。図らずも若者たちを翻弄するアルカージナやトリゴーリン。淡々と生きていくマーシャとその両親、医師ドールンも登場し……、
群像劇好きにはたまらないですね。
【演劇創造の実験と開拓の場】
全キャストオーディションですので、言うまでもないことですが、適材適所なキャスティングです。興行ではなかなかこうはいかないことですが、その役に適した、その役を生きるにふさわしい俳優をじっくりと選ぶ。それは理想的なスタート、絶対的なアドバンテージがあります。
そしてそれは、間違いなく作品を下支えするでしょう。ただ、それと同時に、これはスタートラインに過ぎないということも感じました。全キャストオーディション、それだけで上手くいくという簡単なものでもない。そこから演出家、選ばれた俳優さんたちが考え、試して、壊して、作り上げていく稽古という段階では、やはり他の作品同様に緻密で、根気強い作業が繰り返されるのです。
鈴木裕美さん(演出)
この稽古場で感じた演出の鈴木裕美さんの『かもめ』への並々ならぬ思い、愛。戯曲を読み解く、字面の裏に隠された真実、感情、そしてそこで一番伝えるべきことはなにか。それを俳優さんたちと一緒に掘り下げていくと、『かもめ』がイキイキしていくのです。
この鈴木さんのエネルギー、オーディションで出会ってきた、たくさんのアルカージナやニーナ、コンスタンティンの声や姿、解釈、芝居の記憶が、鈴木さんの『かもめ』への思いをより深く、熱くしているのかなという発想はちょっとセンチメンタルが過ぎるでしょうか。でも、そんなことを思うほど、これはすごいことになるぞ!と予感させる鈴木裕美演出の『かもめ』なのです。長い時間をかけて、オーディションを重ねる。その思い、その過程が作品を強くする。その力を信じたくなるのです。「演劇創造の実験と開拓」の場としての劇場として新国立劇場が一歩を踏み出したことを強く感じました。
【アントン・チェーホフ×トム・ストッパード×小川絵梨子】
本作のチラシには、
作:アントン・チェーホフ
英語台本:トム・ストッパード/翻訳:小川絵梨子
と記されています。(またこのチラシのデザインがいい感じなのです!)
この並び、このタッグ、すごいですよね!
チェーホフが、自らそのタイトルに
「喜劇」と付けた『かもめ』。
トム・ストッパードといえば、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』『アルカディア』といった舞台作品はもちろん、映画『恋に落ちたシェイクスピア』の脚本でも高く評価されています。知的でちょっと哲学的で難しいかなとも思われがちですが、そこにユーモアが散りばめられ、豊かな劇世界を生み出す劇作家。喜劇といわれる『かもめ』がストッパードという才能を経ることでどうなるのか。
さらに、翻訳を手掛けるのは新国立劇場 演劇部門芸術監督でもある
小川絵梨子さんです。昨年末の『スカイライト』の演出が素晴らしかったことが記憶に新しい小川さんですが、『ウィンズロウ・ボーイ』『今、ここにある武器』『テイク・ミー・アウト』などの翻訳も手掛けています。ストッパード作品では『ローゼンクランツ…』も翻訳されています。
翻訳劇では、翻訳されているのに言葉の壁を感じることがあるのですが、小川さんの翻訳はそれが少ない印象。稽古中も、演者にとっても観客にとっても“よりしっくりくる”言葉を探し続ける貪欲さとセンスがそれを実現させているのでしょう。
女優、女優志望、有名作家、作家志望……芸術を巡る葛藤と、滑稽に映る恋模様。ダメなところもたくさんあるけど、そこに生きる人たちは愛おしくて哀しい。
新国立劇場『かもめ』、開幕が楽しみです!!
4月『かもめ』公演での耳や目に障害を持つお客様への観劇サポートのご案内(新国立劇場HP)
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人