村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』が2020年2月舞台化!と聞き、「どうなるの?」「どうするの?」というどちらかというと「?」多めのリアクションに始まった
(当社比・笑)本作。しかしながら、演出・美術・振付を手掛けるのは日本でもミュージカル『100万回生きたねこ』や『百鬼オペラ羅生門』で知られるイスラエルの鬼才、
インバル・ピントさん。同じくイスラエルの新鋭、
アミール・クリガーさんと共同で脚本・演出を担当するのは「マームとジプシー」の
藤田貴大さん。音楽は
大友良英さんで、出演は──というところで、「あぁ、そういうことね!」。「?」は「!」へ、つまりワクワクに変わっていったのです。
いったいどうなるのかわからないけれど楽しみ。それはお稽古が始まる前の出演者の口からもたびたび聞かれた言葉。そんな思いを胸に、“ねじまき鳥”の世界が現在進行形で構築されている稽古場を訪ねて参りました。
ある日突然姿を消した猫、そして妻。
猫と妻のクミコの消息を追う岡田トオルが出会うのは、学校に通わない女子高生、奇妙な占い師姉妹、そして不穏な空気を感じさせる妻の兄・綿谷ノボル。隣家の枯れ井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとするトオルがたどる時代や場所を超越して繰り広げられる探索の年代記。
“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか。トオルはクミコを取り戻すことができるのか。
【この日の稽古のはじまりはまさかの“謝罪”】
写真手前にインバル・ピントさんとアミール・クリガーさん
「まずは昨日のお稽古終了後、なにも言わずにみなさんを帰してしまったことをお詫びしたい。日々いい方向に行っていますし、みなさんが惜しみなく注いでくれる労力を本当にありがたいと思っています。やるべき作業も多く、昨日はすぐに打ち合わせに入ってしまいましたが、帰りがけになにもお伝えしなかったことを思い出し、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」(インバル・ピントさん)
「見るものすべて素晴らしいと思うと、ついつい「もっとこうできるね!こうできるね!」という、この先の話をしてしまうんです。というのも、今は表現のプロセスとして濃密な状態に入ってきたので、残された時間のなかでみなさんと一緒に行けるところまで邁進していきたいのです。心の底から本当に感謝しています。だからお詫びしたい」(アミール・クリガーさん)
これに対してはそこかしこから「いやいや、全然そんなことないから~」との声、驚きも含むような空気になりました。謝罪=ネガティブな空気、を覆す、謝罪からの超ポジティブなスタートでした。
こうして始まった稽古は「創作とはこういうものか」ということを実感する空間でした。
稽古場のいたるところで繰り広げられるディスカッション。
そこここで語り合う!(大貫さんは出番がまだ先だったためアップ中)
ズームアップ!
インバルさんはクレタが苦痛を歌うシーンを構築中(詳しくは後程)
トオル役の渡辺大知さんとクミコ役の成田亜佑美さん
トオル役の成河さんは演出のアミールさんや藤田さんとディスカッション中
とても楽しそう!
そのコミュニケーション方法も実に多様!各国語が飛び交うのはもちろん、いきなり身体と身体でのコミュニケーションが始まることも。遊びとウォーミングアップ、さらには創作の境がない?!
突然始まる絡み合い(?)
一連のやり取りを見たアミールさんが「a new story!」と子供のように楽しんでいる様子が印象的でした。みなさん身も心も饒舌!!
【目が離せない】
人々の動きがまるで流体であるかのような連続的な変化を見せたり、無重力のような軽やかさを見せたり、そうかと思ったら突然静止し小粋なポージングをキメてみたり。とにかく目が離せない動きの連続!
そしてその動き一つひとつに対して、リクエストが投げかけられ、それに表現を投げ返す。シーンにするとわずか数分でも、構築しては壊し、再構築し……長い時間をかけて作り上げられます。とてもとても“非効率”な作業のようですが、そうやって作り上げられたものはなんて強固なのだろうか。ただしそれ自体も「絶対」ではないのです。一部のシーンでは舞台の転換のイメージを言葉で共有しつつも、「動きは今日は決めませんが、そのイメージを持っていてください」ということも。インバルさんの頭の中に広がる世界が舞台上に現れる本番が楽しみです。
クレタが苦悩を語るとき、周囲の空気がうごめくように「特に踊る」みなさんがうごめく。
加納クレタ役の徳永えりさんの透明感のある歌声で苦痛が語られます
自由闊達な意見交換の稽古。ただ決して感覚的に、自由にというわけではなく即興のなかからしっかりと固めていく作業が繰り返し行われます。そしてその中心には必ずインバルさんがいる。非常に精密に作り上げられていくのです。
【岡田トオルを2人で】
上演を知ったときの「?」のひとつは
成河さんと
渡辺大知さんの二人が岡田トオルということ。1人2役というのは聞いても、なかなか聞かない「2人で1役」。不思議な感じもしますが、原作の世界と重ね合わせるとうーんなるほど、演劇として立ち上げる上での素敵なアイデアだと思えてきます。
流動的に動いていたかと思ったら、急に静止!
2人のトオルの2つのサイド、動きはきっちりシンメトリーではなく、それぞれの流れで作られていきます。そこで重きが置かれていたのが、大切なのは振り(右手をどうして、左足をどうして)ではなく(ここでは相手を抱き寄せようとする)行為であるということ。一つ一つの振りが、きちんと行為を完結させることでそこに意思が宿り、表現・お芝居になっていくのです。
全くタイプの違う2人が見せるトオル。どちらかが表でどちらかが裏という単純な構図ではなく、どちらも真実でどう見えるかの違いのようになると面白そう!日常生活のなかでも同じ事象についての話を聞いても、ある人には素敵な話に聞こえ、一方でほかの人には残酷な話に聞こえたりすることってありますよね。同じものを見聞きしてもとらえ方は様々というような──。
そうそう、トオルが2人いることも「?」から「!」に変わりましたが、当初は3人のクリエイターが一緒に創作するのもある意味では「どうなるの?」でした。でも、多角的な視線という仕掛けが機能し、最終的にはインバルさんがその中心にいる様子に「なるほど!」でした。
藤田貴大さん
【謎めいたメイ】
本作で死への興味を抱く女子高生・笠原メイを演じるのは
門脇麦さん。門脇さんはクラシックバレエ経験者であることから身体表現も楽しみにされている方も多いかと思いますが、ここでご紹介したいのはその声。ティーンならではの危うさとすべてを達観しているような落ち着き、その両方を持ち合わせた透明感のある声のメイ。その居方も見ている者の意識をぐいぐいと引き込みます。
【聴覚も心地よく刺激、すべてがシームレス】
さらに!本作では大友良英さんが手掛ける音楽も注目ポイント!
お稽古から
大友さん、
イトケンさん、
江川良子さんもがっつり参加。「ここの音楽を聞かせてください」、その音楽と舞台がインバルさんのなかで融合し、そのイメージに基づいてシーンが最終的に作られていくよう。動きを付けるという過程をじっくりと見てきたところに、音楽という耳からの刺激が加わると、ぐわーんと世界が広がるのです。自在なアレンジでシーンに寄り添っていく、まさに今そこで作り上げられている音楽によって、作品はよりおしゃれでどこかエロティックな色をまとうのです。そして同じ空間、同じ時間で作られるすべての表現がシームレス。
面白かったのが、あるシーンの後でのアミールさんの「鳥のさえずりのような音が絶妙のタイミングで聞こえたんだけど──何の楽器かな?それとも誰かの口笛?」という問いで始まった音探しの時間。音楽チームは首を傾げ、ほかのみんなも心当たり無し。録音を聴いてみようと耳を傾けると、確かにそのようなかわいらしい音がしていました。どうやら稽古場ドアの開閉時の空気の流入などによる偶然の産物だったようですが、そんな小さな偶然すらもキャッチして作品を豊かにしていくのです。
こちらは少しだけ拝見した大貫さん演じる綿谷ノボルのシーン
独特の緊張感を与えるたたずまいと目線です!
通常の演劇公演とはまったくちがうアプローチで製作される舞台『ねじまき鳥クロニクル』。そもそも出演者として「演じる・歌う・踊る」「特に踊る」「演奏」と分けてクレジットされている。ついついいつもの癖で(笑)「役付きの俳優」「ダンサー」「ミュージシャン」と即座に脳内翻訳してしまいそうになるのですが、そもそもこうして3つに分け「」で括っていること自体が「便宜上」なのだろうなと感じるようになりました。(ただしみなさんその道のスペシャリストであることは疑う余地がありません)
つまりはみなイーブンな総勢20数名の出演者とあなたで創る『ねじまき鳥クロニクル』なのです。それは謎めいているけれど、そこにこそ文学という言葉と読者のイマジネーションで浮かび上がる世界とインバル・ピントさんの世界の親和性の高さの秘密があるのかもしれません。
こうして稽古を見学し、ここにインバル作品独特の色彩が加わると一体どんな魅惑の世界が出現するか、言葉に表すのが難しいであろう“体感”する舞台への期待が高まります。俳優の身体、言葉、音楽がシームレスに展開し立ち上がる本作、小説とは違うもうひとつの『ねじまき鳥クロニクル』。世界注目の舞台をぜひお見逃しなく!
いったいどうなるのかわからないけれど楽しみ。一周まわって稽古場へ足を踏み入れるときと同じことを思う帰り道、でもその信憑性は間違いなく高まっていました。
◆ インバル・ピントさんはイスラエル出身。島国日本とは地理的にも政治的にもその状況はだいぶ異なります。それでも『100万回生きたねこ』『百鬼オペラ羅生門』に続き、今回、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』という日本の文学作品を手掛ける。その接点も興味深いです。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人 一部写真提供:ホリプロ