人間の本質に激しく迫る衝撃の結末!
あるダンサアの一途な恋と壮絶な半生を描く一人芝居
撮影:山添雄彦
「──善い悪いが私にとって──人ではない、この私にとって、善い悪いがなにかしら?」 『殺意 ストリップショウ』は、その鋭い筆致で人間の強い生命力や深い業を描いてきた三好十郎が、1950年に発表した、一人の女性ダンサアが語る衝撃的な半生の物語。
この刺激的な作品に挑戦するのは、日本を代表する演出家・栗山民也。翻 訳劇・現代劇・古典劇・ミュージカルなどあらゆるジャンルで活躍し、様々な劇場でハイクオリティな上演を続けていますが、世田谷パブリックシアターでは昨年、天安門事件を題材にし、アメリカと中国の複雑な関係性を描いたセンセーショナルな作品『CHIMERICA チャイメリカ』を見事に立ち上げ、高い評価を受けました。また、その栗山が大きな信頼を寄せる女優・鈴木杏がこの大役に挑みます。蜷川幸雄、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、松尾スズキなど多くの著名な演出家の作品に出演する度、その確かな実力を発揮し、抜きん出た存在感を示す鈴木が、強烈な情念を秘めたショウダンサアの喜怒哀楽をどの様に表現するかにも期待が高まります。
目まぐるしい変化を遂げた、第二次大戦前後の東京と人々の欲望に飲み込まれ、心を強く通わせた愛する男を失ったことで、この世の不条理に怒りを燃やしていた主人公が、次第に人というものの本質に気づき、受け入れていく様には、現代にも通じる大衆主義の愚かさと、人間存在への諦念、切なさが滲み、2020 年を生きる我々の胸にも深く突き刺さる作品です。
観客は、高級クラブの客という形式で舞台を見守ることとなりますが、決して無関係な傍観者ではなく、誰もが「殺意」を持つ・持たれる当事者となりうることを、本作は鋭く投げかけます。世田谷パブリックシアターと栗山民也がタッグを組み、鈴木杏と挑む衝撃作、どうぞ劇場で目撃ください!
あらすじ
「しかし、時には思い出してくださいまし、
このような姿をした このような声をした 緑川美沙という、こんな女がいた事を。」
高級なナイトクラブのステージ、自らのフィナーレを終えたソロダンサア・緑川美沙が、客にその数奇な人生を語りだす。 南の国の小さな城下町に生れた美沙は、日華事変、二・二六事件の直後、兄の勧めで東京に行き、急進的な左翼の社会学者・山田先生のもとに身を寄せる。そこで美沙は、自分と同じく、兄である先生を信奉する弟・徹男と運命的に出会う。二人は密やかに気持ちを通わせるが、やがて日本は戦争に突入し、先生が 軍国主義に迎合することでその思想を転向する中、ほどなくして徹男は学徒出陣で命を落とす。悲嘆にくれたまま敗戦を迎えた美沙は、愛国を掲げた徹男が悔いなく出征する後押しさえした山田先生が、軽々と 再び左翼に鞍替えする様子を見、保身のため思想を捨てるその卑しさに激しく憎悪を燃やす。ついに先生 の殺害を決意した美沙は、レビュウダンサアと娼婦に身をやつし、その機会をうかがっていく…。
「──善い悪いが私にとって──人ではない、この私にとって、善い悪いがなにかしら?」
作品について
『冒した者』・『浮標』・『炎の人』など、今尚上演され続ける、普遍的な魅力を持った作品の数々を世に送り出して来た三好十郎。本作はあるストリップダンサアが語る一途な恋と壮絶な半生を、第二次世界大戦前後における大衆の思想の変遷を交えながら描く、人間の業と生命力にあふれた衝撃的な戯曲です。
三好は自らが創作を行う上で、作中「私」の問題が提出される場合、その問題そのものが「世界」の問題 でなければならず、また「世界」の問題が解決される際には、その解決そのものが、同時に「私」の問題にも答えうるものでなければならない、という信念を持っていました。本作でも、主人公・緑川美沙が、自らが心酔する社会学者・山田先生の弟・徹男にプラトニックな恋をし、彼を戦争という不条理に奪われたことで、その責任の一端を担った先生に激しい殺意を抱く、という私的な問題と並行し、当時、大逆事件などに代表される、主に社会主義者に対して行われた言論弾圧のために、自らの思想を「転向」し、軍部に迎合した右翼的主張をすることで、軍国主義の後押しをした人々が少なからず存在した事実や、やむにやまれず戦争に参加した人々の苦しい心情を克明に描き、日本が第二次大戦に向かった激しい時代のうねりを透かして見せました。そうすることで本作は、人間の本質に迫った共感性の高い物語でありながら、当時の社会的・政治的な時 代背景を強く反映した重厚な戯曲となっています。
栗山民也さん、鈴木杏さんのコメントはこちらの記事にてご紹介しております。
この記事は公演主催者の情報提供によりおけぴネットが作成しました