新国立劇場 演劇 シリーズ「声
議論, 正論, 極論, 批判, 対話...の物語」第3弾はフリードリヒ・デュレンマットの代表作
『貴婦人の来訪』です。ミュージカル『貴婦人の訪問』など演劇はもちろん映画やオペラなどでも上演されている本作。
大富豪となり財政破綻目前の町に帰郷した女性が巨額の寄付の条件として出したのは「かつての恋人の死」というセンセーショナルな物語。
富豪女性“貴婦人”に
秋山菜津子さん、かつての恋人イルに
相島一之さんというたまらない顔合わせも話題です。個と集団の力関係にお金や正義という要素が加わったときに人はどう対話を進めるのか。1956年に初演された物語を、現代を生きる私たちに届ける、そのカギを握る
五戸真理枝さんの演出、
小山ゆうなさんによる新訳にも期待のかかる『貴婦人の来訪』稽古場の様子をレポートいたします。
同シリーズ第1弾『アンチポデス』では会議室、続く『ロビー・ヒーロー』ではマンションのロビーを舞台に繰り広げられた「声
議論, 正論, 極論, 批判, 対話...の物語」。ラストを飾るこの作品の舞台は……さびれた架空の町です。
この日は、1場面ごとに細かな芝居を確認し整えながら進めていく“返し稽古”が行われました。
【目の前を通過する列車】
まずは幕開きから。場所はさびれた町、ギュレンの駅。この町出身でいまや大富豪になったクレールを迎える準備をしている人もいれば、そこを通過する特急列車を眺めている人々も。ただし、この場面に列車(の実体)は登場しません。あるのは音、そして芝居です。列車の接近音と通過の轟音、それに合わせて「駅長が登場し敬礼」「人々は通り過ぎる列車を目で追う、首を振る」に加えて、五戸さんからは「風圧を感じて」とのリクエストが。一人ひとりが動きを試行錯誤するなかで、相島さんから「みんなは(目の前を通り過ぎる車両が)何両くらいのイメージでお芝居している?」などの問いかけも飛び出しました。次第にみんなの認識が統一され、繰り返しトライすることで臨場感が増すことに伴って(心の目には)列車が見えてくるから、お芝居って素敵です。
斉藤範子さん、田村真央さん、山本郁子さん、田中穂先さん、福本鴻介さん
駅で談笑する町の人々
風圧!
それと同時に、臨場感があればあるほど“通過する”ということがもたらす虚しさもより強く印象付けられます。特急列車はもちろん各駅停車ですら1日に数本しかとまらないギュレン、町の人々も困窮を嘆くばかり。この町は国や地域からその存在を忘れられたかのような……財政破綻寸前の見捨てられた町なのです。
差し押さえ役人:髙倉直人さん
絶妙に嫌~な感じの台詞回し!
こうして丁寧に作り上げられた最初の場面で、町の実情、人間関係、そしてこれから起こるであろうことへの人々の期待などがしっかりと観客に受け渡されるのです。
【この町で一番人望がある男】
町長:加藤佳男さん、イル:相島一之さん、牧師:外山誠二さん、教師:津田真澄さん
こちらは町のお歴々と“この町で一番人望がある”イル
若かりし頃、イルとクレールは恋人同士だったがやむなく別れてしまった。「かつての恋人の頼みとあれば、クレールは財政難の故郷のために巨額の出資をしてくれるだろう」そんな町の人々の期待を一身に背負うイル。イル自身も任せておけという口ぶり。
写真左)画家:谷山知宏さん
クレールのために歓迎の幕を作るというのもなんだか滑稽で子どもじみているように思えるのですが、町の人は必死!(この町に住んでいたころのクレールはクレーリ/クララなどと呼ばれていた)
次にやってくるのも、いつもの通りギュレンを気にも留めずに通過する特急列車……のはずが。
町長:加藤佳男さん、駅長:福本伸一さん
「特急が止まった!」あまりの衝撃に思わず狼狽する駅長。
【貴婦人の来訪】
止まるはずのない列車を止めた人こそ、この町出身の大富豪クレール・ツァハナシアン夫人なのです。
クレール:秋山菜津子さん、クレールの7番目の夫:清田智彦さん
どこか浮世離れしている“貴婦人”
お金をバラまく執事:山野史人さん
町の人々とは流れる時間が違うのではないかというほどの優雅さをまとい、「♪殺された~って死なないわっ」と軽やかに歌いながら登場するクレール。独特の雰囲気を持つサングラスの執事ボビーと七番目の夫を引き連れています。ちなみにこの後に八番目の夫(夫Ⅷ)が出てくるのですが、戯曲にも上演時の選択肢として書き込まれている「夫Ⅷも夫Ⅶと同じ俳優が演じる」を採用しています。そこに、クレールにとっての夫の存在の軽さが投影されている、よくできた戯曲です。
写真右)警官:高田賢一さん
教師の指揮で合唱するギュレンの人々
一生懸命さがあっけなく打ち砕かれる、ブラックユーモアを感じるシーンです
クレールが町を出て以来、久しぶりの再会を果たした二人は思い出の森に出かけることに。
アルフレード(イル)とクレール、AKというイニシャルが書かれた板を見て“あの頃”を懐かしむ
かつての呼び名「悪魔ちゃん」「山猫ちゃん」などでクレールを呼ぶイル
思い出の森で愛を語るイル、クレールから億単位の出資の約束を取り付けたかのように思えたが……。「あの頃と変わらない」ことを繰り返し説くイルと、足は義足で手は義手、「あの頃と変わった」クレールのかみ合わない会話。その違和感は、この後の食事会でのクレールの衝撃の提案へと繋がるのです。
【条件はただひとつ】
「1千億の寄付と引き換えに、正義の名において、かつて私をひどい目に遭わせた恋人(すなわちイル)を殺してほしい」 クレールの申し出を、毅然としてはねつけた町長、それに賛同する町の人々だったが。
到着したときから、会話の端々で辛辣な言葉を発していたクレール、
それは悪い冗談ではなく、悪魔ちゃんの予言だったのか!
優雅なたたずまいに突拍子もない発言、かつてこの町に、町の人々に、そしてイルに切り捨てられたクレールを演じるのは秋山菜津子さん。いたずらっぽく発する言葉の裏にあるクレールの深い悲しみや恨みが秋山さんの声で届けられます。キャスト発表のときからこれはハマると直感的に思いましたが、予想的中!笑顔でゾッとするような恐ろしいことをピシャリと言い放つ。朗らかに怖いです。
かつて強者によって踏みにじられた正義を、今度は自分が圧倒的強者となって町の人々に問う。クレールの復讐の刃は、イル個人のみならず、この町へ、社会へ向けられたものなのです。
イルを演じるのは相島一之さん。ギュレンの町で、良き父、良き夫として生きてきたのだろうと思わせます。過去は過去、突然訪れたクレールの帰郷という千載一遇のチャンスで自分が町の窮状を救う英雄になれると自信をのぞかせる、人間味あふれるイル。クレールの登場で狂い始める町で一番人望があると言われた男の人生。ひたひたと迫りくる恐怖におびえるイルを相島さんがどう見せるのか、そしてその姿に観客は何を思うのか。大きな見どころになるでしょう。
言葉とは裏腹な行動をとり始めるギュレンの人々
そのとき家族は……
【ファンタジー宿る生々しさ】
森の場面で興味津々な木々を演じる俳優たち
演出:五戸真理枝さん
このように森の木々や鳥のさえずりを俳優が演じることで生まれるファンタジー色。ほかにも医者や牧師を演じていた俳優が舞台上で着替えてクレールの駕籠を担ぐトビーとロビーになる場面の作り方に、描き方によってはとてもグロテスクになる物語に対する適度なガス抜き効果を感じました。そんなファンタジーのなかに浮かび上がる人間の本質、五戸さんの演出の緻密さと抜け感のバランスで、緩急のきいた作品になりそうです。
また、これは台本を読んだときにも実際の稽古を見たときにも感じたことですが、小山ゆうなさんによる新訳が、1956年に書かれた物語と現代の観客のよい橋渡しとなっています。小山さんが新たに訳し紡いだ台詞が、不思議なくらい本作を「昔の遠い国でのお話」に感じさせないのです。デュレンマットの戯曲が描いた「いつの世も変わらぬ人間の業や社会のひずみ」を現代ならではの響きで届けます。
周りものぞき込むなか、町の人からクレール側のトビーとロビーに
トビー:福本伸一さん、クレール:秋山菜津子さん、ロビー:外山誠二さん
クレールの乗る駕籠を担ぐトビーとロビーはマンハッタンのギャングだったらしい…
巨万の富を得た女性がかつて自分を切り捨て、今は経済的に国や地域から切り捨てられそうになっている町へ帰郷し救いの手を差し伸べる。ただ、その条件として正義の名のもとの「死」を求める。本作は「復讐のために命を奪う」というだけの話でもなければ、「お金のために命を奪う」だけの話でもありません。「正義の名のもとに」その言葉によって人はどう対話しどう答えを導くのか。その過程に表れる人間の恐ろしさや滑稽さ、人や社会が何かを切り捨てるときのすーっと潮が引いていくようなうすら寒い空気を肌で感じることができるのも演劇ならでは。本当に怖いのはクレールなのか、それとも……。
どうなるの、どうなるのというスリリングな物語の展開も求心力強め!「貴婦人の来訪」がもたらす“事の顛末”をぜひ劇場で体感してください。
涼風真世さんがクレールを演じたミュージカル『貴婦人の訪問』で感じた圧倒的な“涼風無双”、今回は新国立劇場小劇場で“秋山無双”の予感です!!お見逃しなく!
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人