日本軍が太平洋戦争中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサー「東京ローズ」として唯一知られているアイバ・郁子・トグリ。戦時中の日本では敵性外国人と扱われ、戦後アメリカで国家反逆罪に問われたアイバの人生を描く
ミュージカル『東京ローズ』。
イギリスの新進気鋭の演劇集団BURNT LEMON THEATREの製作で、2019年にエディンバラ・フリンジで初演、その後、改訂を重ねて21年に英国内ツアーを行った本作を、
藤田俊太郎さんの演出、フルオーディションで決定した6名のキャストで日本初上演というワクワクの公演! また新国立劇場のフルオーディション企画で初めてミュージカル作品が上演される! さらに主人公アイバを6人の俳優がリレー式で演じ、ほかの登場人物たちも、性別、国籍、立場を超えてその6人が演じる! と話題盛りだくさん。この冬、大注目のミュージカル『東京ローズ』の稽古場の様子をレポートいたします。
この日の稽古は、幕開きから、医師になる夢を抱き、青春を謳歌するアイバが、病気の叔母を見舞って日本へ渡航、半年でアメリカに帰るはずが第二次世界大戦開戦により──という物語の序盤です。
アイバの人生を伝える6人の俳優、
飯野めぐみさん、シルビア・グラブさん、鈴木瑛美子さん、原田真絢さん、森 加織さん、山本咲希さんが登場しゾクゾクするような迫力のオープニングナンバー♪ハローアメリカ、続いて物語の舞台は法廷へ。
終戦から4年後のサンフランシスコ連邦裁判所。
国家反逆罪で裁かれるのは「東京ローズ」と呼ばれた日系二世のアイバ・トグリ。検察官デュウォルフと被告代理人(弁護人)コリンズによる陪審員に向けての陳述で、アイバの人生を再現、追体験するという枠組みの中で物語は進みます。この緊張感が作品を貫くのだと印象付けられる始まりです。(記事中のアイバ役はそのシーンで演じる方となります)
法廷で語られるアイバの半生
アイバ:山本咲希さん
橋のように組まれた舞台後方のセットから被告席を見下ろすのは、裁く側、原告“アメリカ合衆国”を背負う検察官(原田真絢さん)、裁判長(鈴木瑛美子さん)、書記官(飯野めぐみさん)の三人
下段は裁かれるアイバ側のパパ(シルビア・グラブさん)、弁護人コリンズ(森 加織さん)
裁判の開廷を告げる裁判長
被告のアイバに「懺悔させろ」と迫るアメリカ社会の圧を裁く側が体現。コーラス、音楽とともに裁判長の言葉が強く響く場面です。演出の藤田俊太郎さんは鈴木さんに「ここは私の、俺の時間だと言わんばかりの支配力で」とリクエスト、さらに、上にいる三人の被告を蔑むような空気も求めます。そこで藤田さんが絶賛されたのが──飯野さん演じる書記官の威圧感です。
書記官(飯野さん)
「歌のパート(音域)が合っていて声を張れるからかな」とおっしゃる飯野さんに、藤田さんは「歌というだけではないんです。歌っていなくても顔がしっかりと歌っている。佇まいからして(社会が抱く)憎しみが滲んでいます」と。視線、ほんの少し斜に構えた立ち姿、一つひとつの要素を挙げることもできますが、それ以上に感情なのでしょう。「私、怖いから~」と笑う飯野さんですが、次のシーンではまったく違う姿、雰囲気で登場されるのです。演じ分け!
また、このシーンは作品の構造を観客に受け渡す意味でもとても大切。この後、生演奏の勢いが加わったときにも、しっかりと言葉が支配するための芝居の強度を徹底的に追求します。
音楽監督:深沢桂子さんと原田さん
音楽監督:村井一帆さん
(稽古場ピアノ、本番のピアノコンダクターも!)
目指すべき方向に向かい、演出の藤田さんとはまた違う角度からアドバイスをされるのは音楽監督の深沢桂子さん。音の入るタイミングなどの調整にも余念がない、稽古場ピアノも担当され、共に音楽監督を担う村井一帆さんと、互いの仕事を尊重し合いながら作品を導くスタッフワークの阿吽の呼吸も随所で感じます。このように冒頭の1シーンだけでもお伝えしたいことが盛りだくさんになるほど密度の濃い、丁寧な稽古が重ねられているのです。
検察官の「時を1934年に戻します」の言葉で、舞台は名門カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ入学した年、アイバの家族が営む商店へ。
アイバ:山本咲希さん
パパ(シルビア・グラブさん)、ママ(飯野めぐみさん)
パパとママ、長年連れ添った雰囲気が一瞬で伝わります。
パパの思い
ここでアイバを演じるのは山本咲希さん。前途洋々、大学生となり青春を謳歌しようというアイバのキラッキラと輝く瞳。それを心から喜ぶパパとママ。シルビアさんと飯野さんの包容力が生み出す家族の空気、その中で愛されて育ったアイバの朗らかさを全身で表現する山本さんです。パパが登場する際の動線をいくつか試す中で、「ママの姿が目に入るなら、パパはその行動はとらないかな」というシルビアさんの言葉。いくつもの役を演じ分けたり、法廷の枠組みの中で時や場所が変わったり、大きな仕掛けがあるからこそ細部の嘘をなくしていくことによって、そこに生きる人々の営み、喜びや悲しみ、愛情がより生々しく伝わります。
その時に必要なことを端的に説明、提案する
稽古場での居方がカッコイイ!シルビアさん
検察官の鋭い視線
両親と娘の間には、価値観のギャップがちらちらと見えるものの、温かい家族のシーン。でも、舞台上には原田さん演じる検察官が睨みを利かせているのです。あくまでもこれは検察官の陳述だということを思い出させます!
時を少し進めて、大学院進学を目前に控えたアイバに、両親は叔母(ママの妹)を見舞ってほしいと告げる。決して長いシーンではないのですが、アメリカと日本、二つの祖国と言う両親に対して、アメリカ合衆国市民として育ったアイバは感覚の違いに葛藤しながらもパパやママのため、叔母さんのためにと日本行きを決意するシーン。アイバの心の動きやそこから見えてくるアイバ像について確認していきます。役をリレーするために、何を受け渡すのか、そこでは“アイバ本来の気質”というものが非常に重要となります。
そしていよいよアイバは日本へ! という物語上の大きな転機とともに、いよいよリレーの時が! 語り手も弁護人のコリンズ(森さん)へ。攻守が入れ替わるような瞬間。
弁護人コリンズ(森さん)
叔母さん(飯野さん)とアイバ(山本さん)
アイバ:山本さんから鈴木さんへ
アイバ:鈴木さん
流れるように、かつ明確に、藤田さんの言葉を借りれば有機的にアイバ役がバトンタッチ。役が変わると同時にフェイズが変わったと実感。そこでは相手役が変わったけれど物語の流れをスムーズに繋ぐ飯野さんの叔母さんも肝!
飯野さんはここまでで既に3役、書記官からママ、叔母さんと演じる役を変えていくことは容易なことではないですが、瞬時に役や関係性を見せる俳優さんってすばらしい!
日本の文化になかなかなじめないアイバに叔母さんが心得を説くナンバーが♪出る杭は打たれる。英語のタイトルが並ぶミュージカルナンバーの中にある「Deru Kui Wa Utareru」、日本社会を象徴することわざとして登場するこのフレーズですが、あの時代、確かにアイバの振舞いを心配する叔母さんの気持ちもわかります。それを受けたアイバの戸惑いなどをコミカルな動きで見せるところは皮肉めいたところもあり、これって当時だけのことかな?と思わず苦笑してしまいます。
こうしてアイバの日本での生活が始まるのですが、さみしさを募らせるアイバが綴る♪Lettersのナンバーも美しい。母と娘、姉と妹……アイバとママと叔母さんのハーモニーが優しく響きます。
叔母さん、ママ(森さん)、アイバ
空間を超えて心が重なるシーン
「アイバ」そのひと言のトーンを追求!
ここでママを演じるのが森さん、コリンズのままママへ変わる瞬間や曲終わりの収束のさせ方についても細かな意見のやり取りが繰り返されます。台詞、感情、動き、音といった要素が相互に影響し合ってひとつのシーンとなることの面白さと難しさ。俳優、演出家、音楽チームとそれぞれの視点での意見を交わしながらまずは試してみる。ちょっとしたことが思わぬ違いを生み出し、結果、ちょっとしたことじゃない!と気づかされることが多々ありました。
ついに日米間での戦闘が始まる
半年で帰国する予定だったアイバだったが、真珠湾攻撃により日本はアメリカに宣戦布告──というところで取材は終了。この先は本番を!
次にアイバを演じるのは原田さんです!
台本には「ここでアイバ役が入れ替わる」というト書きはありません。6人がリレー式で演じるという独自のアイデアで挑む藤田版『東京ローズ』の創作は試行錯誤の連続ですが、稽古場にはその労をいとわない熱い情熱があります。藤田さんはユーモアを交えながら、言葉とアクションを駆使して考えを共有する。俳優やスタッフと必要な議論は行い、その上で手を取り合う。創作に向けた作業が社会の営みの縮図だとすれば、とても希望に満ちた稽古場の空気です。
また音楽という、言葉とはまた違う軌道で心にダイレクトに訴えかける手段を得たミュージカルという表現の可能性も十二分に感じられます。まず曲がイイ!そして皆様、歌が上手い! そこはもう理屈じゃあございません。いわゆる歌で殴られるようなパワー系から、美しいハーモニー、心に沁みるバラード系まで幅広い楽曲を、それぞれの声に色があり、ドラマがあり、強さがある6人が歌う。これまでのフルオーディション企画でも多くの感想が寄せられた、キャスティングへの絶対的な信頼、新たな出会い、もちろん今回も感じていただけるでしょう。
『東京ローズ』、戦争や国家に翻弄されたアイバという一人の女性が物語の真ん中にくっきりと浮かび上がるだろうと確かな手応えを感じる稽古場でした! これはもう観るしかないです!
あらすじ
“Who is Tokyo Rose?”
アイバ・トグリ(戸栗郁子)は 1916年にアメリカで生まれアメリカで育った日系二世。日本語の教育を受けることなく1920~30年代のアメリカで青春を過ごした。
叔母の見舞いのために25歳で来日し、すぐに帰国するはずが、時代は第二次世界大戦へと突入。アメリカへの帰国も不可能となってしまう。そこでアイバは、母語の英語を生かし、タイピストと短波放送傍受の仕事に就く。
戦争によって起こる分断や、離散、別れ。多くの人々を襲った不幸がアイバ自身とその家族の身にも降りかかる。
やがてラジオ・トウキョウ放送「ゼロ・アワー」の女性アナウンサーとして原稿を読むことになったアイバ。彼女たちをアメリカ兵たちは「東京ローズ」と呼んだ。
終戦後、アイバが行っていたことは、日本軍がおこなった連合国側向けプロパガンダ放送であったとされ、本国アメリカに強制送還され、国家反逆罪で起訴されてしまう。
本国アメリカから、戦中日本の悪名高きラジオアナウンサー「東京ローズ」であった罪を問われることとなったアイバ。彼女は本当に罪人だったのか…?
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人