誰も読もうとしなかった、読まれなかった沖縄(こっちがわ)の物語は、 沖縄の人々から我々が鋭く問われている、“今を生きる私たち”の物語。 KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『ライカムで待っとく』、2024年5月~6月に待望の再演!沖縄本土復帰50年となった2022年12月。沖縄在住の若手劇作家・兼島拓也が書き下ろし、沖縄に出自を持つ田中麻衣子が演出を手掛けた『ライカムで待っとく』は、短い上演期間にも関わらず、観客に大きな衝撃を与えました。また第30回読売演劇大賞優秀作品賞受賞、第26回鶴屋南北戯曲賞ノミネート、第67回岸田國士戯曲賞最終候補作に選ばれるなど話題を呼びました。
この作品は、アメリカ占領下の沖縄で起こった1964年の米兵殺傷事件を基に書かれたノンフィクション「逆転」(伊佐千尋著、新潮社・岩波書店刊)に着想を得て創作されました。当時の資料を調査するとともに、「カイハツ」プロジェクト
※の一環として、現代を生きる東京の若者たち、基地問題の専門家、同じ基地の町・横須賀に暮らす人たちなどにヒアリングも実施しながら、田中と推敲を重ね、1年の歳月をかけて兼島が書き上げました。
本作には、米軍基地が身近にある環境で生まれ育ち、現在も基地と生活が隣接している中で活動を続ける兼島の、「沖縄は日本のバックヤードではないのか」「沖縄の犠牲の上に成り立っている日本という国」という想いが織り込まれています。沖縄の過去と現在と未来が交錯する軽快なミステリータッチの物語の中で、私たちは知らぬ間に沖縄の複雑性やこの国の在り方を直視させられるのです。
田中の演出は、内地の人間が今まで知らずに生きてきてしまった、見ないふりをしてきてしまったこの物語、解決して終わる問題ではない、やるせなさやあきらめ、どうしようもない状況、そのありのままを舞台上に乗せ、私たちに突きつけます。目まぐるしく展開する舞台の中で、わけのわからないまま事態に巻き込まれていく内地から来た主人公・浅野を中心に、一見優しく「寄り添う」からこその無責任さをじわじわと感じさせ、見終えた後に考えさせられる作品に創り上げました。
沖縄で生まれ育った兼島だからこそ書ける視点と、その本質を丁寧に演出した田中による、これまで誰も読もうとしなかった、読まれなかった沖縄(こっちがわ)の物語は、沖縄の人々から我々が鋭く問われている、今を生きる私たちの物語なのです。
【作:兼島拓也コメント】
この作品を再演することができ、とても光栄です。初演から2年、ウクライナでの悲劇は未だ収束せず、あらたにガザ地区でも見るに堪えない事態が勃発し、心が苦しくなるばかりです。
私が住むここ沖縄は、相変わらず「決まり」が覆ることもなく、粛々と、そして堂々と、物事は進んでいきます。先日屋久島沖でオスプレイが墜落した後、同じ機体たちは1週間ほど何事もなく飛び続け、休憩に入りました。この文章が公開される頃には、優雅に、気持ちよく飛び回っているでしょう。
本土復帰50年というお祭りも終わり、変わらず嫌な方へと変わり続ける世界の中に、この作品が何かしらの影響をもたらしてくれたらと願いますが、まあ、どうなんでしょう。
【演出:田中麻衣子コメント】
沖縄本土復帰50年の冬に上演した『ライカム〜』の再演です。兼島さんのセリフを先頭に、皆で、一層、熱気を帯びたものにしたいと思っています。歌って踊ってお酒を飲んで三線弾いて、集まっておしゃべりすることが大好きな登場人物たちを、ぜひ観に来てください。沖縄と神奈川、1964年と2024年、あっち側とこっち側、、突きつけられる現実を、劇場で体感してください。
初演時には、出演する俳優の半数が沖縄出身ということへも多くの評価の声が寄せられました。俳優たちの発する言葉の一つ一つが観客を物語の世界へ引き込んでいきました。今回もベテランのあめくみちこをはじめとする蔵下穂波、神田青といった沖縄出身の俳優陣、前田一世、小川ゲン、魏涼子といった素晴らしい俳優陣が続投します。さらに阿佐ヶ谷スパイダースのオリジナルメンバーとして数々の舞台で存在感を発揮する中山祐一朗、沖縄出身で多くのドラマや映画で活躍目覚ましい佐久本宝が新たに座組に加わります。
※ KAATが2021年より主催する、劇場が常に考える場・豊かな発想を生み出す場となることを目指し、上演を最終目的としない自由かつ実験的な、クリエーションのアイディアをカイハツするプロジェクト。神奈川から発信した「沖縄」の物語がついに沖縄へ 今回の再演では、初演時にも強く希望があった沖縄での上演がついに実現。京都、久留米を回ったのち、沖縄戦の戦没者を追悼する沖縄慰霊の日、6月23日に沖縄で大千穐楽を迎えます。神奈川から発信した沖縄の物語が、どのように沖縄にそして全国へ届くのかご期待ください。
あらすじ
雑誌記者の浅野は、60年前の沖縄で起きた米兵殺傷事件について調べることになったのだが、実はその容疑者が自分の妻の祖父・佐久本だったことを知る。調査を進めながら記事を書くうち、浅野は次第に沖縄の過去と現在が渾然となった不可解な状況下に 誘
いざなわれ、「沖縄の物語」が育んできた「決まり」の中に自分自身も飲み込まれていく……。
「ライカム」とは
かつて沖縄本島中部の北中城村比嘉地区に置かれていた琉球米軍司令部(Ryukyu Command Headquarters)の略。現在「ライカム」は地名として残っている。司令部があった近辺の米軍関係者専用のゴルフ場の跡地には、2015年「イオンモール沖縄ライカム」がオープン。地元民のみならず県外からの観光客も多く訪れる場所になっている。
「米兵殺傷事件」とは
1964年8月16日未明、宜野湾市普天間の飲食街周辺で、米兵2人と数人の沖縄人が乱闘し、米兵1人が死亡、1人が重傷を負った。沖縄青年4人(2人は徳之島出身)が普天間地区警察署に逮捕され、傷害致死罪で米国民政府裁判所に起訴された。事件は陪審に付された。
沖縄人に重罪を課そうとする米国人らが陪審員の多数を占め、評議は4人に不利な流れとなったが、無罪を主張する沖縄人陪審員・伊佐千尋の粘り強い説得で形勢は逆転し、傷害致死罪については無罪、傷害罪では有罪の評決に至った。しかし、同年11月の判決では3人に懲役3年の実刑(1人は猶予刑)という初犯としては重い量刑が下った。
殺傷事件と沖縄住民への差別意識が渦巻く陪審評議、その後の判決は米統治下に置かれた沖縄の過酷な現実を浮き彫りにしている。
この記事は公演主催者の情報提供によりおけぴネットが作成しました