新国立劇場にて上演中の『デカローグ1~10』。ポーランド出身の世界的映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが遺した10篇の物語の5番目、『デカローグ5』ある殺人に関する物語(演出:小川絵梨子さん)にご出演の福崎那由他さん、渋谷謙人さん、寺十 吾さんにお話を伺いました。
デカローグ5 あらすじ(HPより)
20歳の青年ヤツェクは、街中で見かけた中年のタクシー運転手ヴァルデマルのタクシーに乗り込み、人気のない野原で運転手の首を絞め、命乞いする彼に馬乗りになり撲殺する。殺人により法廷で裁かれることになったヤツェクの弁護を担当したのは、新米弁護士のピョトルだった......。
渋谷謙人さん、福崎那由他さん、寺十 吾さん
──『デカローグ5』のお話の前に! すでにプログラムA、Bが上演されています。みなさんご覧になったと伺っておりますが、舞台化された『デカローグ』の印象は。福崎:まず、各話が1時間ほどで、休憩をはさんで関連はあるけれど独立した2つの作品を観られるところに観やすさを感じました。そしてその1時間にドラマが凝縮されていて満足感がすごい!満足感と観やすさが両方あるって、いいとこ取りだなと思いました(笑)。
渋谷:映画やドラマの雰囲気が、このように舞台作品に落とし込まれるんだ!ということと、10篇の物語のすべてが、そこに住む隣人たちの話であることを実感しました。亀田(佳明)さんが演じる「男」の存在のしかたもそれぞれで、どこでどう出てくるのかを無意識のうちに期待している自分もいました(笑)。それも楽しみ方のひとつかなと思います。
寺十:映像で見たときは、当時のポーランドの社会情勢や市民感情にも思いを巡らせながら観ていたのですが、舞台になると遠い国の話でなく日本に置き換えることもできるんだなと感じました。一方で、どこまで日本人の感情、感覚に寄せていいのかということも。最初の4本で時代背景をどのくらい乗せるのかの瀬戸際を漂っているようにも受け取れました。それは悪いことではなく、そこで揺れるというのは、裏を返せばいろんな楽しみ方ができるということなのでとてもいいこと。ここから先、二人の演出家がどう作っていくのかにさらに興味も沸いたし、僕らが『デカローグ』で探していかなくてはならないこと、課題をもらった気もしました。
──では、ここからは『デカローグ5』についてたっぷりと伺って参ります。はじめに稽古場の様子からお聞かせください。寺十:演出の小川(絵梨子)さんが引っ張ってくれる明るく雰囲気のいい稽古場です。進み具合としては、シーンの多いお芝居なので、まずはどんな動線で進めていくのかを試行錯誤しながら、それぞれの役についても方向性をつけているところです。
福崎:稽古場はすごく楽しいです! 舞台作品への出演経験がまだ多くはないのですが、ひとつの作品を時間をかけて作っていくのはとても好きですし、稽古中だけでなく休憩中もああしようこうしようと話し合う流れが自然にできる雰囲気もとても心地よいです。重いテーマをもった作品ではありますが、稽古場は明るいです。
渋谷:絵梨子さんの演出に身を委ねて、みんなに助けてもらいながら自分にできることに精一杯取り組む日々です。気合を入れて稽古に励んでいます!
──寺十さんはこれまでにも小川さんと何作品かご一緒されていますが、小川さんの演出、稽古場の楽しさや魅力は。寺十:演出家として裏表がないことかな。演出家の中には“策士”の方もいるんだけど(笑)、小川さんは思ったことやわからないことをあえてそのまま見せてくれる。そうすることによって、みんながリラックスして、てらいなく表現できるように導いてくれているのだと感じます。ある作品では、稽古前にシアターゲームをやったのですが、覚えたてのシアターゲームだと誰よりも小川さんが一番熱くなる(笑)。それを見て俳優も自然に心を開けるんです。
──これから役を深めていく段階ではありますが、現時点で、それぞれの役をどう捉えていますか。寺十さんは殺人事件の被害者となるタクシー運転手ヴァルデマルを演じます。寺十:本当にどこにでもいる普通のタクシードライバー。過剰に親切でもないし、過剰に意地悪でもない。妊婦さんとその夫に対して乗車拒否をしたかと思ったら、犬に自分の弁当を分けてあげる。それを自分の日常に置き換えてみると、電車に乗っていて人身事故でストップしたとき、普通は人が亡くなったことに思いを馳せそうなものだけど、急いでいたり満員電車だったりすると迷惑を被った、なにをしているんだ!と思ってしまう。だからと言って、その人は決して命を軽んじる人間ではない。立場によって命の重さに対する意識も変わるんです。そうやって価値観があちこちいきながら、そのトータルでいわゆるどこにでもいる“普通の人”なんだと思います。
──渋谷さんは死刑制度に反対する新米弁護士のピョトルを演じます。渋谷:ピョトルは強い正義感と未来に希望を持った優秀な弁護士です。彼もまた“普通に生きている人”なのですが、世の中への視点、見方がちょっと独特で、何か変化を起こそうという気持ちが人より強くあるのではないかと思っています。
──福崎さんが演じるのは殺人事件で裁かれる20歳の青年ヤツェク。福崎:コメントが被ってしまいますが、ヤツェクも本当に“普通の人”なんです。ピョトルと比べるとすごく後ろ向きの人物だと言えますが、それは相対的なもので、ヤツェク自身が本来どんな人物かを説明するのはすごく難しい。ただ、ヤツェクが抱える自分って何だろう、自分はこの世界に本当に生きているのだろうかというような漠然とした疑問や、未来が見えなくなるような瞬間というのは、僕ぐらいの世代の方には共感していただけるんじゃないかなと思います。
──みなさんに共通する“普通の人”を演じる上での難しさは。寺十:小川さんの言葉を借りれば、相手役に反応することが大事になってきます。自分が役をどう作ろうかということよりも、その人物を取り巻く環境や関わる相手によってどうあるかを探していく。自分の内側に探すというよりは外側に探す作業が必要だと思いますし、今、稽古場で求められていることです。
※以下、物語の結末に触れます──『デカローグ5』への印象は稽古に入ってから変わりましたか?渋谷:先ほどの寺十さんのお話の通りで、僕は自分一人で役を作りすぎていた部分があるなと感じています。稽古場で、この物語の世界では何が行われていて、それに対して何をどう感じるのかを小川さんや共演者のみなさんと一緒に探すことで、僕の『デカローグ5』は変わり続けています。
福崎:映画やドラマ版を観たり、台本を読んだ時点ではあまり共感できないというか、どこか遠くの怖い話だと思っていたところがあります。でも、稽古でより深くヤツェクという人物や彼の社会との関り方に触れ、最終的には悲しい結末を迎えますが、そこに至るまでに積み上げていくものは別物だということに気づき、最初の頃より、この話を愛せるようになりました。
──『デカローグ5』でテーマとなるのは死刑制度。1998年に廃止されたポーランドと、今もある日本では受け止め方も変わってくるかもしれません。福崎:ヤツェクは死刑判決が出たときも、自分が本当に死ぬということを実感はしていない。その後、刑務所の中にいる8か月で、じわじわと自分が死ぬことに気づいていくように思えます。そしていよいよとなったときに「死にたくない」と思うのは生き物としての本能のようなものなのかな。人間って、そういうものなのかなとも思うんです。
寺十:それで言うと、前に体調不良で緊急入院したことがあるんだけど。結果的にたいしたことはなかったのだけど、そういうとき、こどもたちが小さかったころに楽しそうに遊んでいた姿とかを思い出すんだよ。そうすると「死にたくない」って急に胸が苦しくなる。その思考はコントロールできないんだよね。それを思うと、ヤツェクが収監されている間に何を思っていたのかを考えると……苦しいね。
福崎:……はい。
寺十:殺人を犯した人間が、自らの死を前にして「死にたくない」と言う。ヤツェクは生きることについてどうでもいいように見えたし、社会の中でどうでもいいように扱われていると感じていた。自分はいてもいなくてもいいと思っていた人が、追いつめられたときに生きようとしたというのがすごく痛々しく苦しい。死刑制度の有無や歴史的背景の違いはありますが、それを超えた共通のメッセージになるといいなと思っています。
── 渋谷さん演じるピョトルは物語が終わっても生き続けるという重みもあります。渋谷:ヤツェクと出会い、弁護を担当したけれど自分の弁論では彼を救えなかった。死刑判決からの8か月、無力感を抱きながら、ピョトルが何を思っていたのか。執行の日の会話で何を思っていたのか。必死で探っています。ちょっと話が逸れますが、福崎くんと一緒に『デカローグ1~4』を観たとき、休憩中に何か飲む?何を飲みたい?と声をかけたら「ココア」って答えたんです。それがすごくヤツェクっぽくて。あと、劇場の外でハンバーガーを食べていた姿もヤツェクっぽかった。
寺十:え? いや、確かに食べていたけど。僕も見たよ、その福崎くんの姿(笑)。
福崎:ちゃんと食べ切ってから稽古場へ入ろうと思って(笑)。
渋谷:都会の片隅で、一人、ハンバーガーを食べる姿にキューンと胸が苦しくなったんです。
寺十:渋谷くんの感覚って、独特だよね(笑)。そういうところが形式的な弁護士資格認定試験会で真っ向から死刑制度に反対だと持論を展開するピョトルに重なるような気がする。今、ここで?って思うんだよね。
渋谷:“普通”はしないですよね。
寺十:しないし、そういう人は受からない。だから体制側からしたら異端者のようなピョトルを合格させたのはなぜかを考えちゃうんだよね。ほかにも彼は死刑判決後に裁判長に話を聞きに行ったり、護送車に乗せられるヤツェクに声をかけたり……わかりやすく言えば空気が読めないところがある。それがさっきのシチュエーションによって命の重さに対する意識が変わるという話で言えば、ピョトルはどんなに急いでいても、人身事故が起こったらなによりも亡くなった人に思いを馳せるタイプなのだと思います。
渋谷:そんな気がします。強い正義感というだけではないものがあると。
寺十:社会とか体制に洗脳されない思考。死刑制度反対についても、感情や思想的なものというよりは疑問に思ったことを理論立てて考えていく。誰にも同調することなく、純粋におかしいと思ったことを突き詰めていく姿は、ドラマで菅田将暉さんが演じた『ミステリと言う勿れ』のキャラクター(久能整)を彷彿とさせるんだよね。ピョトルはもしかしたら一緒に居たらちょっと面倒くさい人かもしれない(笑)。でも稀に見る純粋な人物だと思います。
(深く頷く福崎さんと渋谷さん)
──こうしてそこに描かれる人物の思考や行動、背景を伺っているだけでも密度の濃いドラマになる予感が高まります。最後に、『デカローグ5』を、また『デカローグ』シリーズを楽しみにされているみなさんにメッセージを!福崎:ヤツェクという役をとても大切に愛おしく思っています。舞台上でヤツェクとしてしっかりと生きられるように頑張ります!
渋谷:死刑制度をなんとか変えたいという思いで進んでいくピョトルを他者との関わり合いを大事にしながら演じたい。ここからみんなとともに作品を深めていければと思っています。
寺十:ちゃんと次に渡せたらいいなと思っています。『デカローグ』は観る人の年代によってシンパシーを感じるキャラクターが変わってくる作品です。あれは自分かもしれないと思える人たちがいっぱい登場します。そういう楽しみ方をしていただけるような作品にしたいですね。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人