井上ひさし生誕90年の今年、『化粧二題』でも見事な舞台を生み出した「井上ひさし×鵜山仁×内野聖陽」の三者が再集結します。演目は40年にわたる松尾芭蕉の俳人としての人生を富士三十六景になぞらえて全三十六景で描く『芭蕉通夜舟』。俳聖・松尾芭蕉の“ほぼ一人芝居”の一代記、芭蕉を演じる内野聖陽さんの取材会が江東区芭蕉記念館にて行われました。内野さんの新たな境地に期待高まる取材会の様子をレポートいたします。

内野聖陽さん(芭蕉記念館にて)
作品紹介
『芭蕉通夜舟』は1983年、しゃぼん玉座第3回公演として紀伊國屋ホールにて上演されました。演出は木村光一さん、松尾芭蕉を小沢昭一さんが演じました。こまつ座では2012年に鵜山仁さん演出、芭蕉役を坂東三津五郎さんで上演。その後、待望の再演が予定されるも三津五郎さんの降板により叶わず、今回は12年ぶりの上演となります。井上ひさしが「“人はひとりで生き、ひとりで死んでゆくよりほかに道はない”ことを究めるために苦吟した詩人」と称した芸術家の苦悩を追体験する、井上評伝劇の快作です。
【取材会レポート】
本作出演のきっかけは、『化粧二題』(2019年、2021年)の演出も手掛けた演出家・鵜山仁さんからの提案であったことを明かす内野さん。出演を決意した、その心境を──数年前に出演した『化粧二題』がなかなか面白かったということが自分の中にあり、また一人芝居に挑戦したいという気持ちもどこかにありました。昭和の怪優といわれ、話芸の達人である小沢昭一さんにあてがきされた作品を内野ができるのか。そこには不安と恐怖がありますが、自分なりの、内野のやり方で登頂すればいいのではないかという思いに変わってきました。とにかくこれまでの自分のキャリアに加えてもっともっと自分の知らない世界を導き出していい作品にしたいという野心、前向きなガッツは持っています。
井上ひさしが描いた『芭蕉通夜舟』、本戯曲の魅力は──第一印象は、これは芸術論だということ。俳諧人・松尾芭蕉は人生のあらゆる局面で世俗という力に引っ張られてしまいます。自分は芸術の高みを追い求め、けれども庶民が求めるのはそこではないという乖離。そこで苦しんでいた。
自分自身も俳優をやってきて、やはり大衆性と芸術性であるとか、本人が目指す方向性と世間が捉える方向性のズレについては思うところがあります。その意味で、ものを表現する者として僭越ながらこの戯曲に描かれる芸術家の苦しみに共感します。
更なる共感ポイントについて──芭蕉さんの舌頭千転※にしても、俳優だって、いい台詞にするためには100回でも、200回でも、平気でぶつぶつ台詞を唱えていい音を探す。そういう自分の俳優人生に通じるものを探すようなところもあります。
『芭蕉通夜舟』の戯曲の中の松尾芭蕉をどう演じるか──芭蕉さんは“わび” “さび”といった風雅の極みを目指した方、どこか清貧、厳格、いぶし銀のイメージがあります。逆に言うとどこか神格化され人間味はあまり感じられない。それが本作では非常に人間味のある芭蕉として描かれています。戯曲を読んで「そうだよね」って思える視点が井上ひさし先生のタッチなのだと感じます。文学史上の松尾芭蕉とはちょっと違う人間・松尾芭蕉を表現できたらいいなと思っています。ただあまり下品にはならないように(笑)
(会見場を見渡して)僕もこんな風に多くの人の前で偉そうに話したり演じたりしていますけど、俳諧宗匠としての芭蕉さんは、点者として俳諧について語らなくちゃいけなかった。でももっと自分の求めるものと向き合いたいと旅に出た。例えばそういう現状と理想の違和感とかはどこかリンクするような気がします。そういう部分を探していきたい。と言っても、芭蕉さんと僕では“レベチ”ですが(笑)
一方で、「一人侘しく生きることに酔っていませんか?」というちょっと意地悪なひさし先生の目線も感じます。一人になりたいと旅に出てはいるものの、弟子も同行したり、行く先々で歓待を受けてしまったり、実は全くの孤独でもなかったという皮肉。そこにツッコミを入れ、“人格者松尾芭蕉”には興味はないぜ!というようなスタンス。最後も、前句付けなんかとんでもないと言っていた芭蕉さんが、前句付けが趣味の船頭さんに通夜舟で運ばれる。シニカルだけど、人生ってこういうものなのかなとも思うし、そこがおかしくて悲しい。そんな芭蕉さんをちょっと可愛いなと思うんです。
※舌頭千転:「句調はずんば舌頭に千転せよ」(『去来抄』):句の調子が整わないときは、舌の先で何度も転がしてみよ芭蕉をより深く理解するためにプチ奥の細道を体験されたという内野さん──
芭蕉記念館を訪れた感想を問われ──
「改めて松尾芭蕉は偉大な芸術家だと痛感。身が引き締まります」と内野さん
実際に芭蕉さんが見た風景、感じた山河の空気が自らの中にないとどうしても戯曲の文字面を追う頭の中の作業だけになってしまうので、先日、白河の関に始まり、松島、平泉では「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んだ丘に登り、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の立石寺、そこから「五月雨をあつめて早し…」の最上川を舟で下りました。日本海へ出て象潟、出雲崎……陸奥から出羽へ芭蕉がたどった道をたどる旅をしてきました。プチ奥の細道、それも車で、ですけどね。これ芭蕉さんに怒られますよね(笑)。
まだまだ芭蕉さんの魂に近づくためにやるべきことはたくさんありますが、現地を訪れることで、自分の中で少し芭蕉さんが立体的になってきた感じはしています。
『化粧二題』に続いてタッグを組む、鵜山さんの演出については信頼関係があるからこその独特の表現で期待を込めます──鵜山さんは、僕自身が掘ったり膨らませたりした芝居を見事にメスで切り裂いてオペしていく外科医のような演出家。あれこれ予想するより、まずは自分自身がしっかりと電圧を高めて鵜山さんの前に立つ、そして鵜山さんはいとも簡単にその圧を変えていくでしょう。今回はどんな演出か、想像できるような未来は面白くないので想像しないようにしています(笑)。
全三十六景に挑む心境を──一つひとつはシンプルで短いシーンですが、そのすべてに担うものがある。僕にとっては全36ラウンドの試合のような感覚です。各ラウンド、必死になっていろんな角度から深めていくしかない。今のところ勝算はまだありませんが(笑)、一つひとつ積み上げていくことでどうなるのか、期待感はすごくあります。
『化粧二題』が一人芝居、『芭蕉通夜舟』は“ほぼ一人芝居”。一人芝居の面白さを問われ──“ほぼ一人芝居”っていうところがね。舞台でそのシーンを回していくのは私一人ですが、今回は若手(小石川桃子 松浦慎太郎 村上佳 櫻井優凜)も黒子や前書朗唱役※で出ますので、ちゃんと“ほぼ”と付けてくださいね(笑)。
それで、一人芝居の面白さですか。まだその境地には達していないですね。恐怖しかないです。お芝居というのは、通常、相手とのセッションや、自分の感性でどう戯曲を読み解き、それを自分の肉体を通してどう表現していくかという感じなんですけど、『化粧二題 』では、目に見えない存在ながら透明な座員や恩師を相手に芝居をしたので割と孤独ではなかった、でも今回は誰とセッションをするのか。芭蕉が見た大自然なのか、門人たちなのか、あるいは古の文学者たちなのか、お客さんなのか。だから同じ一人芝居と言っても、そのタイプは大きく違う気がしています。
さらに劇中に、ときどき俳優の身体を借りた井上ひさし先生のような作家的視点も登場する。そこでの話術となると、今までやってきた「演じる」こととはまた違った技術が必要とされ、そこはどうするんだと。ぶっちゃけて言いますと、今、落語や講談を聞いて必死で話芸に秀でた人の話し方を研究しています(笑)。
一人芝居の面白さはまだ見えてきませんが、ネガティブなのは僕の信条に合わないので、取り組むにあたってこうなったらいいなと思うことをお話します。僕の心や身体を通して、お客さまそれぞれに芭蕉を感じていただきたい、想像力を限定しない芭蕉さんになったらいいな、なんて思っています。そんな志をもっています。
※前書朗唱役:俳句の前書きとして、その作品(シーン)のバックグラウンドや動機などを語る役一人芝居への恐怖についてさらに問われると、「なにもない状態からものを作っていくことへの恐怖」はどの作品でもあると語り──僕らの場合は、台本はあるのですが、それでもそこからどう立体化するかが見えていないときはいつも恐怖があります。加えて一人芝居では、逃げ場がない(笑)。台詞に詰まっても、芝居に乗り切れなくても、すべて自分のせい。そしてお客さんは僕を観るしかしょうがないという(笑)。お客様を飽きさせないためにどうすればいいか、そこに今までにはない恐怖を感じます。それを克服するためには、いかに充実した稽古をするか。それしかない。
内野さんほどのキャリア、実力があってもなお、本作へは最大級の恐怖を感じるとのこと──やっぱり「初演の小沢昭一さん」というところにビクッとします。僕は役者としてのキャリアを積んできましたので、「演じる」という意味ではなんの恐怖もないというか、そこへの自信はあるつもりです。でも、話芸でみなさんを引き込み楽しませることについては、僕の専門ではなかった。自分の得意分野ばかりではない作品なので、出来る限りの努力をして恐怖をなくせるように頑張りたいと思っています。
最後に、「ここで一句」というのは無茶ぶりでしょうか──やめておきましょう(笑)
◆まだまだこれからと語りながらも、芭蕉が遺した作品を読み資料にあたる、さらにその足跡を自らたどることで、頭と身体と感性で芭蕉像にアプローチをされている内野さんのお話。今年10月、『芭蕉通夜舟』に新しい芭蕉が誕生することへの期待が膨らみます。どんな俳聖・芭蕉、人間・芭蕉に出会えるのか、今から楽しみですね。公演は、2024年10月14日~26日に紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演、その後、10月29日~11月30日まで群馬、宮城、岩手、兵庫、愛知、大阪にて上演されます。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人