歌舞伎座8月公演「八月納涼歌舞伎」(8月4日初日~8月25日千穐楽) 第三部にて上演される『狐花 葉不見冥府路行』(きつねばな はもみずにあのよのみちゆき)は、数多の傑作ミステリーを手がけてきた小説家・京極夏彦の書き下ろしによる新たな謎解き物語です。歌舞伎の舞台化のために執筆された新作が、7月には小説として刊行(京極夏彦『狐花 葉不見冥府路行』、KADOKAWA刊、7月26日発売予定)、8月には歌舞伎座で上演されるという新たな試みにも注目が集まっています!

中禪寺洲齋役:松本幸四郎 脚本:京極夏彦
今回の作品は、大人気シリーズ「百鬼夜行」シリーズ、そして文学賞三冠を果たした「巷説百物語」シリーズにも連なる物語。「百鬼夜行」シリーズの主人公・中禅寺秋彦の曾祖父・中禪寺洲齋(ちゅうぜんじじゅうさい)の時代を描き、美しい青年の幽霊騒動と作事奉行らの悪事の真相に中禪寺が迫ります。
話題の公演『狐花』、京極夏彦さんと松本幸四郎さんが公演への思いを語る取材会が開催されました。
【人気シリーズの流れをくむ】
──中禅寺秋彦の曽祖父・中禪寺洲齋の時代の話にしたのは。
京極さん)
私が新作歌舞伎を書く意味はなんだろうと考えたところ、これまでの仕事を多少なりと反映したほうがより受け入れてもらえるのではないかと思ったというのがあります。
中禪寺洲齋は25,6年前にドラマに出て以来、そのままになっていたキャラクターですが6月に刊行された「巷説百物語」シリーズの最終巻に登場しました。それに続いて書いたものですから…続きということで(笑)。また
「中禅寺秋彦というキャラクターは、私が描くキャラクターのなかで台詞の間合いやリズム、所作やツケなど歌舞伎に最も強い影響を受けています」と明かす京極夏彦さん。歌舞伎に一番近しいキャラクターとして造形されている中禅寺秋彦の曽祖父の話であることは必然だったのかもしれませんね。
続いて、歌舞伎で京極さん書き下ろしの作品を上演することについて
「夢の夢の夢くらいに思っていた」と話すのは松本幸四郎さん。幸四郎さんにはこのような質問が!
──京極先生の小説の魅力は。また京極作品の歌舞伎化は夢だったとのことですが、どのような思いで待ち焦がれてらしたのでしょうか。
幸四郎)
京極先生の作品は独特な世界観。小説から優しく妖しく艶っぽい音楽が聞こえてくるようでもあり、絢爛豪華とはまた違う美しさのある色彩を感じます。歌舞伎には美しさ、絵的なものが大切となっているので(そこがマッチする)。台詞についても、ただ感情的なものをそのまま表現するという表現方法ではないので、歌舞伎化は必然だったのではないかと。やっとこの日が来たという思いでいます。興奮しています。【京極歌舞伎の誕生】
──実際に『狐花』の脚本をお読みになっての作品印象、幸四郎さんが演じる州齋の人物像は。
幸四郎)
州齋は、宮守、陰陽師でもありますが、そこにもうひとつ、“相手と対等にいる人間”という感じがしております。何かを成し遂げる使命感というより、目の前で起こる出来事の中に常に冷静に存在しているという印象です。今回の脚本については、台詞でドラマが進んでいくお芝居ですが、初めて読んだときに、シェイクスピアや真山青果の作品に音楽がのっかっているような世界観を感じました。「これが京極歌舞伎!」という、これまでこの世に存在しなかった新しい歌舞伎を作るという姿勢で取り組もうと思っています。
脚本を読み進めている間は、もちろん面白いとか興奮するという気持ちもありましたが、この作品が歌舞伎になる!という新作誕生の喜びとともに妄想が膨らみました。ここから膨らみ切った妄想で苦しんでいくことになると思いますが(笑)。──京極さんに伺います。歌舞伎のために書き下ろすことで創作面に何か影響はありましたか。
京極)
創作の姿勢は今まで通りです。ではありますが、私、小説家なんです(笑)。小説は文字ですべてを表さないと読者に申し訳が立たないもので、過去、舞台や映像にできないものを書くべきだと思っていました。それでも果敢に挑戦される方がいらして、かなりご苦労されていました。それが今回は舞台化が前提です。最初に脚本を書き、それを小説にするという仕組みを考えていたのですが、公演前に小説を発売することになり、結果的に先に小説を書くことになりました。そこから脚本へ──これが大変。歌舞伎は役者さんの身体・演技、舞台という装置があって完成するもの。その部分は小説にはないんですね。これまで舞台の脚本を書く方が七転八倒した苦労が、今回は僕の中で起きました(笑)。
小説には一人称で書くか、三人称で書くか、あるいは作者視点か、必ず視点人物というものがあります。それが舞台の脚本は観客視点で書かないと成り立たない。そこに苦労しました。いつもより時間をかけて書きましたが、それが幸四郎さんたちによってどう完成するのか楽しみです。
楽屋にあった束見本(つかみほん)を手に「薄い!」
僕の小説にしては短いのですが、これが普通(笑)!

幸四郎さんも思わずこの表情
──こうして書き上げられた『狐花』、歌舞伎としての見どころは。
幸四郎)
歌舞伎にはたくさんの引き出し、型と言われるものがありますが、そこにはめ込んでいくということではなく、真正面から京極さんの『狐花』という作品を歌舞伎の舞台にしていくことに挑戦したいと思います。ただ、歌舞伎でやったことのない手法を探すというのでもなく、ある場面では堂々と使います。
京極さんの言葉をどう生かして生の言葉としてみなさんにどう伝えるのか。一方で音楽、舞台としてはリアルな形ではない方向でと考えています。そのために京極さんの描いた世界をどれだけ深読みできるかが勝負となってくると思います。目に見えない匂いや空気、第三部はこの演目だけですので歌舞伎座が『狐花』専用の劇場のように思っていただけるような世界観を作りたいと思っています。──幸四郎さんほか豪華キャストが揃いました。ご自身が造形したキャラクターをこのキャストのみなさまが演じることについてどう感じていらっしゃいますか。
京極)
(執筆の)途中でキャストのお知らせをいただいたのですが、正直びっくりしました。
役者さんのすごさは、役を引き寄せたり、役に寄っていったりして必ず“そのもの”になってしまうところ。ですので、自分の描いたキャラクターは、どなたがやられてもその人なりの人物になると思っています。それにしてもね、かなり豪華な名前が出てきたもので。でも裏を返せば、どんなに出来が悪くても、きっとこの人たちならば立派にやってくれるのではないかと(笑)。怖いなあというプレッシャーと安心感、相反する気持ちが同時にわきました。──最後に、京極さんが思う歌舞伎の魅力は。
京極)
伝統は守りに入ったら終わり。博物館に入れて守るものは伝統ではない、時代に合わせて変わっていってこそ伝統だと思っています。歌舞伎は、その時代の空気や文化、観客の気持ちを汲む芸能。同じ演目を上演するにしても、昔と今では演じる方の心持ちで全然違うものになるでしょう。届きやすく、わかりやすく、面白く、歌舞伎はそこが突出している。それが魅力。ハードルが高いイメージでしょうが全然そんなことはない。もっと見て欲しい、楽しんで欲しいと思うのが歌舞伎です。会見中には
「私、概ねお化け系の人だと思われているんですけど、一応ミステリー作家でもあるんですよ(笑)。だったら歌舞伎でなければできない仕掛けを作ろうと思って……これ以上言うとネタバレになってしまうので言えないのですが」と京極さんが回答を躊躇されるひと幕も。なんてったってミステリーですからね!
小説→歌舞伎もよし、歌舞伎→小説もよし。
みなさんは『狐花』をどう楽しまれますか。
※「中禪寺洲齋」の「齋」の上部中央は、正しくは「了」です
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人