10月に世田谷パブリックシアターにて上演される『セツアンの善人』。神様が地上に降りてきて善人を探すという本作は、ブレヒト作品を代表する寓意劇として、今も多くの人々に愛され、世界各地で上演を重ねています。演出はこれまでにも数多くのブレヒト作品を手掛けてきた世田谷パブリックシアター芸術監督の白井晃さん。音楽監督は国広和毅さんが務め、パウル・デッサウの楽曲に加え、国広和毅さんが作曲したオリジナル曲も多数使用し、歌ありライブ演奏ありの臨場感あふれる舞台を立ち上げます。セツアンの貧民窟に暮らす心優しき娼婦のシェン・テと、シェン・テの分身である冷酷にビジネスに徹する架空の従兄シュイ・タの二役を演じる葵わかなさんにお話を伺いました。
ストーリー(抜粋)
善人を探し出すためにセツアンに降り立った3人の神様たち(ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之)は、水売りのワン(渡部豪太)に一夜の宿を貸してほしいと頼む。ワンは街中を走り回り、ようやく部屋を提供してくれる貧しい娼婦シェン・テ(葵わかな)を見つけ出す。その心根に感動した神様たちは彼女を善人と認め、大金を与えて去っていく。それを元手にシェン・テはタバコ屋を始めるが、元来お人好しの彼女の商売はうまくいかない。ある日、シェン・テは、首を括ろうとしていたヤン・スン(木村達成)という失業中の元パイロットの青年を助け、彼に一目惚れをしてしまう。シェン・テはヤンが復職できるように奔走する一方で、人助けに疲れ始めていた彼女は、冷酷にビジネスに徹する架空の従兄、シュイ・タ(葵わかな・二役)を作り出し、自らその従兄に変装をして、邪魔者を一掃するという計画を思いつく……
──ブレヒトの代表作『セツアンの善人』の印象と、ご出演が決まったときのお気持ち、意気込みからお聞かせください。80年前に書かれた海外戯曲ということで、読む前は少し難解なのかと思っていました。読んでみると、主人公シェン・テが追い詰められたときにシュイ・タが現れて、シェン・テにつけ込む人たちを切り倒していく物語の展開に、テンポの良い会話も相まって進むお話が面白かったです。もちろんそこに善とは、悪とは、人はお金で幸せになれるのかなど、簡単には答えの出ない深いテーマがあるのですが、難しいだけではない作品だと感じました。
出演にあたっては、シェン・テとシュイ・タの二役を演じる、とくにシュイ・タは男性キャラクターなのでとても大きな挑戦になることや、音楽劇なので、男女二役の歌唱での演じ分けにもしっかりと取り組んでいかなければと、気持ちが引き締まりました。白井さんの演出のもと、『セツアンの善人』のメッセージをしっかりと届け、同時にエンターテイメントとしても楽しんでいただける作品にしたいと思っています。
──ここからは葵さんのお話にある<シェン・テとシュイ・タ><音楽劇><エンターテイメントとしても楽しめる作品>を深掘りしてまいります!【シェン・テとシュイ・タ】
──葵さんはシェン・テと、彼女が変装し演じる従兄のシュイ・タというちょっと複雑な一人二役を演じます。物語の世界の人たちは二人が別人だと信じますが、観客の目には二人が同一人物だと明白です。舞台ならではの見せ方を味方にして、別人だという説得力をもたせつつ、どこか追い詰められたシェン・テのあたふた感が面白く映るようなお芝居になればいいなと思っています。
──シェン・テとシュイ・タ、2つのキャラクターの印象は。シェン・テは自分を犠牲にしてでも誰かに優しくできる。それは誰にでもできることではありません。そうかと思えばヤン・スンと出会い一目惚れし、恋愛に溺れる一面もある。等身大の女の子が懸命に生きる姿が素敵です。ただ劇中では“善い人認定”されていますが、私が思う善い人とは少し違うような気もします。流されやすいというか、本当に相手のことを思うのならそれでいいのかと考えると、まったくの善人とは言い切れないと思うんです。
それに対してシュイ・タは“冷酷な人”と言われますが、見方を変えれば、厳しい世の中を生き抜く術としては彼の行動は合理的ですし、結果的にそれでビジネスもうまく回っていく。こちらも一概に悪い人だとは言えない。むしろシェン・テが言えないことを代わりに言ってくれるシュイ・タは“お助けキャラ”です(笑)。人に厳しいことを言うのは本人にとっても気持ちのいいことではないのに率先して引き受ける、私はそういう人を尊敬します。
両極端の二人に描かれていますが、私の中ではどちらの人物にも共感できるところがあり、それぞれに感情移入しながら演じられそうです。
【音楽劇】
──音楽があることの効果について。純粋に歌やメロディを楽しめるだけでなく、お芝居の力に音楽がプラスされることでメッセージの届き方が違う。それは私がミュージカルを観て肌で感じることです。またストレートプレイとミュージカルはジャンルとして線引きされますが、『セツアンの善人』にはどちらの楽しさもあり、作品から「線引きせずに歌もお芝居もすべてを楽しもう」と言われているように感じます。私自身も、そこにチャレンジしたいと思いますし、少し難しい話なのかなと躊躇われている方も、普段あまり舞台を観たことがない方も、ぜひチャレンジして観に来ていただきたいなと思っています。
──ミュージカル作品にもご出演されていますが、男性キャラクターであるシュイ・タとしての歌唱は大きな挑戦になりそうですね。男性としての歌唱については、どのように表現するのかまったくの未知数です。これからいただく楽曲にヒントがあるのか、技術的にも発声は、低音をどう出すのか、地声で歌うのかなど、いろいろと考えています。もしかしたら、求められることはまったく違うことなのかもしれません。どうなるのか、私自身もこの挑戦を楽しもうと思います。
【深いテーマがありながらエンターテイメントとしても楽しめる作品】
──白井晃さんご自身や演出作品の印象は。作品によって全然違う、“印象を限定しない印象”です。出演者の顔ぶれもいつも多彩で、常に俳優の新しい扉を開けてくださるイメージがあるので、白井さんとご一緒することで、私の世界も広がるといいな。白井さんご自身についてはまだわかりませんが、すごく優しそう(笑)。
──ヤン・スン役の木村達成さんをはじめとする共演者のみなさんについて。木村さんとは5年ぶりの共演になります。再共演ではいつも思うことですが、お芝居を通して、お互いに相手がどんな5年を過ごしてきたのかを感じられることをとても楽しみにしています。
ほかは初共演の方が多いのですが、お芝居の道を突き詰めてこられた方が揃っているので、濃密な稽古場になると思っています。稽古場の空気、あの人はあんなことをされるんだ、ああいったものを食べるんだとか(笑)、そこに居ること自体も楽しみたいです。実際には自分が取り組むべきことに必死でその余裕はないのかもしれませんが、貴重な時間を大切にしたいと思っています。
──多彩な共演者のみなさんが演じるユニークなキャラクターたち、なかでもラサール石井さん、小宮孝泰さん、松澤一之さんが演じる3人の神様も“いわゆる神様”とはひと味違う印象です。神様っぽくはないですよね(笑)。神様=全能というイメージですが、そうは描かれていないところがこの作品の面白さ。信仰の対象なのに、神様も必死になにかを信じようとしているし、なにかを見ないようにしている。神様がこんな感じなら、世の中もこうなるよね……なんてことも感じます。お芝居としても、台詞回しも独特だったり、話を全然聞いていなかったり、親近感がわき、誰よりも人間味があふれている神様たち。演じるお三方にはまだお会いできていませんが、どんな神様になるのか、私もわくわくしています。
──10月からの公演に向けてメッセージを!「ブレヒト作品の魅力は、深いテーマがあるけれど決して難しいだけで終わらせないところ」という白井さんの言葉に共感しています。観客を楽しませるために作られているという“完成形”に向けて、白井さんのもと稽古を重ね、この座組で、今の時代に向けた『セツアンの善人』をお届けできればと思っています。今は緊張と楽しみが半々です!
撮影:山崎伸康
「パッと見ると近未来のようでもあり、一つひとつのファッションアイテムを見ていくと昔のもののようでもあり──不思議な世界観ですよね。撮影でご一緒したのは木村さんだけだったので、完成したチラシで全員が並んだところを見たときは率直にカッコイイ!と思いました」(葵さん)
葵さんのシリアスからコメディまで幅広い魅力のお芝居と歌声で届けられるシェン・テとシュイ・タ、作品や表現に対する真摯な言葉に裏付けされた演劇ならではの一人二役の妙が味わえるだろうという期待がますます高まりました。『セツアンの善人』は10月16日より世田谷パブリックシアターにて上演です。戯曲の持つ普遍性と白井さんが立ち上げる今日性をお楽しみに!
ヘアメイク:masaki
スタイリスト:武久 真理江
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人