ミュージカル『レ・ミゼラブル』2024-25年公演にてジャン・バルジャン役を務める吉原光夫さんにお話を伺いました。

吉原光夫さん
──本日はよろしくお願いします! 今期の『レ・ミゼラブル』(以下、レミゼ)が始まりました!2011年に初めてジャン・バルジャンを演じてから14年、実は今期を最後にしようという思いで、日々、レミゼに挑んでいます。バルジャン、レミゼというのは俳優にとって永遠にやり続けられるくらいの難しさも魅力もある役、作品です。ただ、それだけにいろんなものを作品に捧げなくてはならず、レミゼに携わっている時期は自分が“修行僧”にでもなったかのような感覚。僕にとっては、舞台人として最もストイックになる作品と言ってもいいくらい。
バルジャンを演じるために、家族をも視界から追い出すというか、見ないふりをしなくてはいけない瞬間もあるんです。それを含めて“修行僧”。ファンテーヌ役で出演していたこともある妻の和音美桜は、この役や作品のことをわかっているので、理解してくれていますが、そんな2年に一度の修行に対して自分自身、身も心も少し疲れてきていると感じるんです。と言っても、今現在、毎日がつらいということではなく、むしろ今は、すごく良い状態で公演に臨めています。だからこそ、これから若い世代にこの役、作品を託していくならば、自分はこの一番良い状態を最後にしたほうがいいのではないかと思ったんです。
そんな心持ちでいるからか、開幕してからの毎公演、清々しく、とても楽しい。新キャストの方や長いツアー公演で言えば、やっと始まったという感覚だと思いますが、自分は14年のレミゼ人生の有終の美に向けての一歩一歩を噛みしめている感じです。それで、今の自分がなにを考えているか、それが文字として残るといいなと思って、この取材をお願いしました。
【はじまり】
──大切な節目でお話を伺えることを光栄に思います。振り返ると、吉原さんが初めてジャン・バルジャン役にキャスティングされたのが2011年の公演、史上最年少の32歳での抜擢でした。またその年の公演は、帝国劇場開場100周年記念公演であり、初演から続いたオリジナル演出版の最後の公演でもありました。そこから14年、こんなにも長く務められるという予感はしていましたか。確かにね。あの頃はそんなことはまったく思っていませんでした。
当時の僕は世界を見つめる視野がとても狭く、とにかく自分の目の前にあるものに全力で挑む、その傾向の最たるときでした。もしかしたら今もそうなのかもしれませんが(笑)。
ある日、友人から「なんか小劇場ばかりやってるよね」と言われ、それを見返すためにレミゼに挑戦しました。作品のこともよく知らないまま、革命家がカッコイイかなとオーディションに応募したところ、プロデューサーの田口(豪孝)さんにジャン・バルジャン役に挑んでみないかと声をかけていただきました。そこから自分なりにバルジャンという人物を掘り下げ、ビリーさん(本作ミュージカル・スーパーヴァイザー山口琇也さん)の指導を受けるようになると、今度はビリーさんに認められたい、次は演出のジョン・ケアードに認められたいと、ただただ目の前のタスクに熱くなっていました。だからオリジナル演出が最後だとか、その後も携わるとか、そこまで思いは至りませんでした。
──ジャン・バルジャン役に決まってからは。劇団四季時代に大きな役を務めたこともありましたが、外に出て主演を張る、それも歌唱だけでもあの分量なので、どこかふわふわした感覚に陥ったんです。まずは地に足をつけなくてはと、何度もビリーさんの元に通い、エコールも一日も欠かさずに出席しました。稽古では、演出助手の(鈴木)ひがしさんからジョン・ケアードの過去の演出ノートを細かく教えてもらい、それを身体に叩き込みました。4人のバルジャンのなかで唯一の新キャストだったこともあり、新参者に多くの稽古時間を割いていただけたのもありがたいことでした。ディスカッションもたくさんしましたし、素晴らしい稽古、幸せな時間でした。
──今、お話があったように2011年は山口祐一郎さん、今井清隆さん、別所哲也さんというベテラン勢に吉原さんが加わりました。そこに名を連ねることへのプレッシャーは。もはや何回目だったかはわかりませんが、第〇次調子乗り期、鼻高々期で、「負けねぇ!」という漠然とした自信があったんです(笑)。逆に言うと、そう思わないとできなかったのかもしれません。でも僕の不安やプレッシャー云々より、「こいつで大丈夫なのか?」という東宝さんの不安のほうがよっぽど大きかったと思います。あ、「こいつ」とか言わないですよ、東宝さんは(笑)。
──旧演出版のお稽古での思い出は。稽古場にタイヤで回すかなり旧式の盆があったのですが、それがすぐに止まるんです。そうすると修理をするための休憩になる。さらに実際の舞台では二重盆
※だけど、それは再現できないからどうするかというと……その時はみんな(キャスト)が回る! 今では考えられない、まるで小劇場のような稽古もしていて。僕はそれをすごく素敵だと思いました。
でも、旧演出版のラストと謳われても、今ほどのチケット難というわけでもなく、熱狂も一部に限られたものでした。そこにはちょっと寂しさもありました。
※二重盆:小さい盆の周りに大きなドーナツ状の盆があり、内と外が別の動きをすることもある──こうして始まったレミゼと吉原さんの14年の歴史。吉原さん的ハイライトを伺ったところ、【2013年の新演出版初演】【2015年のヤン・ジュンモさんとの出会い】【2016年の和音美桜さんとの結婚】、そして【今期】の4つを挙げてくださいました。ここからはそれを振り返ってみましょう。【2013年、新演出版初演】
──2013年の新演出版初演からお話を伺っていきます。2013年はいろんなことがありましたね。
新演出版のレミゼを立ち上げるということに加えて、福井(晶一)さんに続いて、(キム・)ジュンヒョンも怪我をして、バルジャンが一人になった時期もあり、とにかく公演を続けるためにバルジャンをやり続けなくてはならなかった。それもあって2回目のレミゼと言っても、最初と一緒で、とにかくやるしかない。必死でした。
──バルジャンを演じる上で、前回を引きずることはありましたか。ありました。なにせ2011年にジョン・ケアードの演出を身体に叩き込んだので(笑)。
でも新演出でプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュをはじめ、若きクリエイターたちが『レ・ミゼラブル』という作品にもう一度、新たに息を吹き込む、そこでバルジャンのキャラクターを再構築していくのはとても面白かった。
「バルジャンを選ばれし人、勇者にはしたくない。誰でもバルジャンになれるということを前提とする」、これはキャメロンの言葉です。それを「ちゃんと加害者になりなさい」ということだと、僕なりに解釈しました。プロローグで “石のように 心を閉じて”生きてきたバルジャンが銀の燭台を盗む。時代がそうさせてしまった、仕方がなかった、そうかもしれないけれど、結局は自分が世界をそう見ていたから加害してしまったのではないか。あの時点ではバルジャンは被害者でなく加害者。そんなバルジャンをミリエル司教が諭す。そうやって物語の幕が上がるのだと捉えています。
──2013年、17年はバルジャンとジャベールの2役を演じました。二人はやっぱり鏡なんです。どう考えても、どう演じてもそうとしか思えない。2役を演じたからこそ、それが実感としてもあります。
バルジャンを演じる前日にジャベールを演じていると、舞台上で“次の日の自分”を見るような感覚になるんです。楽曲についても、基本は同じ旋律でも微妙に違う音階がある。そんな特殊な視点や、繊細な違いを舞台上で体感できたことは2役演じたから。あとはバルジャンを演じているとジャベールが、ジャベールを演じているとバルジャンが、妙に愛おしくなるんです。
そもそもユゴーが原作小説を執筆する際に生み出した、犯罪者であり、パリ警察の密偵でもあったヴィドックという一人の人間から派生したキャラクターがバルジャンとジャベール。光と影がこの世界にあるように、誰の心にも二人のような面、どちらも内在するというのは当然のこと。そして小説、舞台で言うなら作劇としてもミリエル司教やファンテーヌ、コゼットらと出会っていくバルジャンの人生にジャベールを配することで、ちゃんと物語が朝と夜を迎えながら展開していく。
バルジャンは今話したように、人と出会っていく、いわば他者に生かされる役。でもジャベールは劇中で深く関わるのはバルジャンだけなので、すべて自分で作っていかなくてはならないところに難しさがあり、演じていても超苦しいんですよ。でもジャベールは作品の肝、舞台はジャベールにかかっていると言っても過言ではないと思っています。
【2015年、ヤン・ジュンモさんとの出会い】
──次に2015年に新バルジャンとして韓国から日本のレミゼカンパニーに加わったヤン・ジュンモさんのお名前が出ました。ヤン・ジュンモさんの登場は衝撃でした。人間性、信仰、歌唱、フィジカル、演技……すべてが備わっていて、率直にすごいバルジャンが来たなと(笑)。ジャベールとして対峙したときに、「自分は2役をやっている場合なのか、これでは二兎を追う者は一兎をも得ずになるのではないか」と脅威を感じました。それと同時に、ジュンモとの対決がすごく楽しかったこともよく覚えています。
【2016年、和音美桜さんとご結婚】
──続いては、吉原さんと同じく2011年からレミゼカンパニーに加わり、2021年まで※ファンテーヌ役でご出演されていた和音美桜さんとのご結婚について。(※2019年はお休み)関係あるようなないような……ですが、やっぱり結婚も大きかったです。
レミゼで出会って、妻になる前から大きな影響を与えてくれた人です。歌唱面でのアドバイスももらいましたし、生活面、精神面、すべてにおいて感謝しています。和音美桜が自分のバルジャンを形成し、彼女がいたから続けられたとも思っています。そして結婚後も同じ舞台に立ったというのは結構なハイライトです(笑)。妻から、本当にたくさんのものをいただいてきました。これからしっかりと返していきたいと思っています。
【2024年、ファイナル】
──そして記事の冒頭でお話してくださったように、今期をもって……ということです。先日、公演を拝見しましたが、軽く聞こえてしまうかもしれませんが“絶好調”ですよね。(笑)。「毎公演、楽勝だ~!」ということではないんですよ、やっぱりこの役はしんどい。でも、作品と自分のリズムがすごく合っている実感はあります。
こういった心境に至ったのは、コロナ禍も大きかったです。上演できた公演については満足していますが、公演中止があったり、それ以外にも社会との関りだったり自分の心境としても思い残しが確かにあった。僕は、最後の長野公演で復帰できたのでそこで終わりにすることもできたのですが、今回、もう一期やらせてもらえるなら、ここからは自分がレミゼからいただいたものを丁寧にお返ししていこうと思ったんです。ここまでやってこられたのは、決して自分の力だけじゃない。力をくれた作品への恩返しです。そしてこんな自分を14年間使い続けてくれた東宝さんにも感謝しています。
──14年続けられる役もあまりないですよね。もともと再演が嫌いなんです(笑)。でもこの作品は毎回初演のような感覚で挑める。こんな作品はそうそうない。でも世代交代も必要。自分はここからレミゼに匹敵するなにか、舞台に限らず新しい夢、目標に46歳の今からまた14年取り組んで、60歳くらいになったときに自分自身の準備ができていたらミリエル司教で戻ってきたい(笑)。これは勝手な願望です。
そして次の世代、今期、一緒にやっているシュガー(佐藤隆紀さん)と飯田(洋輔)くん、バルジャンの二人は素晴らしい歌い手でもあります。ともに稽古をする中で表現方法の土台が違う自分が、なにをどう伝えていけばいいのかと迷う時もありましたが、それぞれのバルジャンを模索し、しっかりと創り上げていると思います。
──ちなみに、劇中、ラストシーンでミリエル司教に迎えられたときの心境は。たまらないっすね(笑)。ミリエル司教の顔を見た瞬間にすべて救われるんです。あのやり取りも新演出版の途中から加わった芝居で、すごくいいシーンですが、舞台のすごく後ろのほうでやっているんですよね(笑)。
──そして今期は現・帝国劇場では最後の公演となりますが、帝劇と仲良くなりましたか?仲良くなりました(笑)。劇場は俳優にとって大事な場所。帝劇には独特の怖さがあったのですが、実はバルジャン役に専念するようになったころからなんとなく帝劇と手を繋げるようになってきました。よく帝劇が嫌いだと言っていますが、本当のところ、帝劇は……嫌いじゃないです(笑)。
毎期、思い出がたくさんありますが、今振り返ると大きく4つの山がありましたね。
──ここからは吉原さんとレミゼをさらに深堀り!【レミゼとは】
──吉原さんはレミゼをどんな作品だと捉えていますか。 上流階級を批判する“反体制側”の物語を、言ってみれば“体制側”が作っているという複雑さもありつつ(笑)、最終盤の「誰かを愛することは 神様のおそばにいることだ」、この言葉に集約されていると思っています。でもこの言葉って実は伝わりにくく、ただ聞いただけでは「ん?」となるお客さんもいるでしょう。だからと言って別に翻訳を変えたほうがいいということではなく、そこはそれまで観てきたバルジャンやファンテーヌ、エポニーヌの生き様から、なにか伝わったならそれでいいと思っています。そして、それに続く<民衆の歌>の「悔いはしないな たとえ倒れても 流す血潮が 潤す祖国を」がお客さんの心にどう響くか。これも歌詞をそのままの受け止めることは難しいかもしれないけれど、祖国を自分の家族や大切な人、人じゃなくてもいいんです、ペットでもコミュニティでも、そう置き換えると理解しやすい。そしてあなたはこの時代をどう生き抜いていきますか、という舞台からの問いかけを受けて、「列に入れよ」というのがどういう意味かを考えていく作品だと思うんです。「レミゼ見た!イエーイ!」ってだけでなく。
──先日観劇したとき、コゼットに手紙を届けに来たエポニーヌが女の子であることがわかり、バルジャンは優しい言葉をかける。それに対するエポニーヌの表情の変化、そのシーンに改めてグッときました。誰かに優しくする/されることで人生が変わる。簡単すぎる言葉かもしれませんが、そんな話にも思えてきます。僕らの人生でも、誰かに会って、どう扱われたかで、目に映る世界の彩りが変わることってありますよね。この作品は、ミリエル司教に出会ってバルジャンが<独白>を歌うところから始まり、すべてそうなっている。バルジャンがあのシーンでエポニーヌを女の子だと認識し優しく接することが、<オン・マイ・オウン>に繋がる。もし小銭を投げつけて「出ていけ!」と扱ったら、多分あそこであの歌は歌わないと思うんです。それがこの舞台の面白いところ。だからビッグナンバーを繋ぐ、一つひとつの芝居が大事になる。
──レミゼの音楽、歌唱について、捉え方は変わりましたか。僕自身、今は歌を歌っているという感覚はほぼゼロ。台詞と同じようにしゃべっている感覚が圧倒的に大きい。でも不思議なことにそうなってからのほうがあまりシャウトしなくなりました。昔、まだ自分が音楽を味方にできていなかった時期は<独白>をほとんど怒鳴っていたこともありましたが、たとえば「なんていうことをしたのだ」という歌詞は叫ぶより、みなさんご存じのあのリズムとメロディで歌ったほうが断然伝わる。だから矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、舞台上で何に集中しているかと訊かれたら、僕は「音楽と相手」と答えます。そのくらい演劇と音楽が密接なんです。
【作品を守る】
──オリジナル演出版を振り返ると、日本の観客の情緒に寄り添うような、ある意味でローカライズされた側面があるのに対し、現在は全世界で共通、グローバル化されているようにも思えます。どちらがいい悪いではなく、その点についてはどう感じますか。時代の流れなのか、その傾向は本作だけでなく、昨年出演した『カム フロム アウェイ』でも感じました。キャストだけでなく、各セクションについて言えることだと思いますが、すべてにおいて決められているので、それに対して思考停止を求められると感じる人もいるかもしれません。歌についても、このキーが出ないなら出演できません、以上。というようにとてもシビア。でもそこにあるのは「作品を守る」という強い思い、それはとても理解できます。
もちろんレミゼの舞台を観ればわかるように、すべて決められていると言っても、俳優を非人間化するように画一的な表現を求められるわけではないですよ。だから人によって、組み合わせによって変わる面白さもありますし、新演出版のなかでも各国をまわる中で新たに取り入れられる演出など変化もあります。
──俳優のみなさんはその中で、自分なりの表現を見つけ出していくということでしょうか。そう。誰もが疑わない名作、俳優にとっての憧れの舞台でもあり、非常によくできているから決められたことをやるだけでも成立する作品。でも、俳優はレミゼに出ることがゴールではなく、そこから物語や役の本質をしっかりと咀嚼して表現しなくてはならない。自分がどうアプローチしていくか、自らの力でクリエイトしてくことの大切さを改めて感じます。それなしでは作品がどんどんポップなものになってしまうから。今は、“レミゼブーム”のなかにいますが、いつかまたこの上昇気流がなくなる日が来るかもしれない、そのときに日本のレミゼがどこに向かうのか。大切な作品だからこそこれからも見続けていきたいと思っています。
──素敵なお話をありがとうございました!◆今期を最後にという思いについて、大千穐楽を迎えるまでに思い直すこともありそうですか?という問いには、間髪いれず「それはないだろう」との答えが返ってきました。そんな吉原さんの決断を尊重したいと思います。ただ感傷に浸るのはまだ早い、公演は6月16日まで続きます!
そしてこの日、吉原さんが登壇されたのは
映画『レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス』のトークイベント!つい最近の作品をデジタルリマスター?と思っていたら、なんと日本公開は2012年、12年余りの年月が流れていました。新演出版になった時期を思えばそのくらい経っていて当然なのですが、まさに光陰矢の如し。
映像はもとより、リミックスによって音も生まれ変わった映画『レ・ミゼラブル デジタルリマスター/リミックス』、ぜひ舞台とあわせてお楽しみください。<夢やぶれて>や<星よ>など舞台と歌唱のシーンのタイミングが異なる楽曲もあるので、比較・考察するのもおすすめです。
ミュージカル『レ・ミゼラブル』2024-25年公演 製作発表レポート【会見コメント】
写真提供:東宝演劇部
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人