劇作家・脚本家として活躍するスティーヴン・キャラムが描き出す現代社会の縮図。「マンハッタンの老朽化したアパートを舞台に、感謝祭を祝うために集まったある家族の一夜の物語」、このホームドラマ的な響きと裏腹に、薄気味悪さやホラーテイストを感じさせる、2016年のトニー賞ベスト・プレイを受賞の異色作。21年にはキャラム自身が監督を務め、A24製作・配給で映画化もされた『ザ・ヒューマンズ─人間たち』。桑原裕子さんの演出で、まもなく日本初演の幕が開きます。
【ある家族の一夜を描く】
感謝祭を祝うために集った家族、いい時間にしようと努めるものの、貧困、病気、愛の喪失、老い、死……それぞれが抱える不安や問題が次第に露呈していく一夜。
この日の稽古では、家族が集まり、乾杯を交わした後にちょっとした騒動があり、そして本格的にディナーが始まるという場面を作り上げていきます。主な出演者は6人、1つの家で本当にいろんなことが起きます。
フィラデルフィア郊外から娘の住むマンハッタンを訪れた、エリック(平田 満さん)、その妻ディアドラ(増子倭文江さん)、母モモ(稲川実代子さん)。長年連れ添ってきた夫婦の阿吽の呼吸が感じられるエリックとディアドラ。でもちょっとした視線、言葉の端々から微妙に二人の溝も感じられます。

父エリック(平田 満さん)

母ディアドラ(増子倭文江さん)
腰の痛みと神経をすり減らすような状況の中でも、一家の父親として中心に立ち、責任を果たそうとするエリックの悲哀。ダイエットをしていると話しながらも食べ物に手を伸ばし続け、娘たち、とりわけ次女のブリジッドからチクッと嫌味を言われ、家族の中でその存在が軽んじられるようなディアドラも大きなストレスを抱えている様子。

写真中央)祖母モモ(稲川実代子さん)
それでもエリックもディアドラも母のモモが困っていれば自然にケアに回る。彼らの日常、習慣として動くナチュラルさがあります。認知症のモモは、ほとんどを車椅子に乗っていて、話していることも支離滅裂で謎めいている。それでもシーンによって、空に向かって発しているのか、なにか意思を感じさせるのか。微妙に変化します。
エリックとディアドラ二人の関係は「夫」「妻」というよりなんとなく「連れ合い」という言葉が思い浮かびます。そして「父」であり「母」であり、老いた母親の介護者である。いずれの関係性、役回りにも説得力を感じる、さじ加減がさすがです。
これまでの人生、日常が見えてくるようなベテラン勢のお芝居の説得力に唸ります。

リチャード(細川 岳さん)ブリジッド(青山美郷さん)
エリックたちが訪れるチャイナタウンにあるアパートの家主は、エリックの次女のブリジッド(青山美郷さん)とそのボーイフレンド・リチャード(細川 岳さん)です。最近、同棲を始めた恋人たち、両親とはまた別の結びつき──パートナーシップがあります。
二人なりの関係を築こうとするものの、人生設計、やりたいこと、仕事、生活など、色々な不安がブリジッドの心にも影を落とします。
決して憎しみ合う家族ではないにしても、顔を合わせておしゃべりしている間に、イラっとしたり、させたり。そんなとき、ついついきついひと言をぶつけてしまうのも“家族あるある”かもしれません。
家族のムードメーカーとしてバランスを取ろうと努め、時には我慢できずに意見をぶつける。感情の揺れが複雑に絡み合う青山さんのお芝居で、ブリジッドの姿がより鮮明に浮かび上がります。
ボーイフレンドのリチャードは、家主でありながらこの家族という繋がりの中ではまだよそ者的な立ち位置の人物。ブリジッドへの愛情から、家族の一員として率先して食事を取り分け、良い一夜にしようと努める姿が印象的。彼は問題の渦中にいるというより、すでにいくつかの不安を乗り越えた場所にいる存在であり、その落ち着きがどこか安心感をもたらす。ただ、信仰という価値観に関しては、ディアドラたちとは相容れないものを抱えています。自分に対する発言より、パートナーへの礼を欠く発言に敏感に反応する二人。青山さん、細川さんが互いを気にかけ、守ろうとする恋人たちの姿を丁寧に作っていきます。
こちらはエリックの長女、つまりブリジッドの姉のエイミー(山崎静代さん)。弁護士です。失業、失恋の直後という大きなダメージを負いながらも表面上、大らかで穏やかに振る舞うエイミーですが、抱える不安はそれだけでなく……。演じるのは“山崎さん”より、“しずちゃん”とご紹介したほうが馴染みがあるかもしれません。みなさんご存じの通り、お笑いの世界でも活躍されているしずちゃんですが、演劇でもキャリア十分。独特の間合いが物語と観客の距離をぐっと近づけるような魅力があります。
父に見せる顔、母に見せる顔、妹に見せる顔……どれもエイミー。稽古中、桑原さんから「ここでエイミーの長女モードを発令させましょう」という演出があったように、自分自身がキツイ状況でも、家族のため、バランスをとろうとするエイミー。その役割を共に果たそうとするブリジッドとの姉妹の連携も自然でリアル。まったくタイプの違う姉妹ですが、心を許し合った仲であるのが確かに感じられます。
自分たちの人生を生きようとする子どもたちと、老いていく両親。家族に漂う不安は、次第に不穏な空気として広がっていく。そんなどんよりとした感覚や緊張感、不快感を肌で感じられるのは、観客も同じ空間に身を置く演劇ならでは。家族のお話だけに、客観的に見ているつもりでも、安全圏で気楽に観るとはいかなそうです。

ゴキブリ出現で大騒ぎ!!
また、ブリジッドのアパートというワンシチュエーションで展開するドラマですが、メゾネットタイプ、つまり2階建てというのも面白い! まるでドールハウスのように、1階、2階(舞台の設定は上階が1階、下階が地下1階)の空間がまるっと見える舞台セット。あちこちでなにかが起き、どこを見るか、誰を見るか、演出による誘導はあるものの最終的には観客それぞれに委ねられる部分も大きい。これは一期一会の観劇体験になりそうです。
本作には「これはホラーか、コメディか?」というキャッチコピーがついていますが、ホラーについては、古いアパート、姿の見えない隣人の立てる大きな音、突然の停電など、ドキッとするような出来事に由来するところもあります。でも、やっぱり一番怖いのは、そこに漂う空気や閉塞感。一見“普通”に見える家族が抱える底知れぬ不安こそが、真の“ホラー”なのかもしれません。
【食卓から見える人間関係】
実はお芝居の稽古の前に、食事シーンのいわゆる“消えモノ”の検証も行われました。

「やっぱり美味しいっていうのも大事ね」(増子さん)
感謝祭を祝うディナーというシチュエーションから、食卓にはローストターキーやマッシュポテト、クランベリーソースなど美味しそうな料理や飲み物が並びます。劇中で、それを食べ、さらに台詞も交わすため、本番に向けて「どのタイミングでなにを食べるか」を試してしていく、まさに“試食タイム”です。苦手な食材をヒアリングして俳優がお芝居しやすい環境を整えるだけでなく、大量摂取ではないにしても、公演中は毎回この食事のシーンがあるため、飲み物もカフェインレスのものを選ぶなど、スタッフは演者の健康面にも気を配っています。
口に残りにくいもの、喉ごしの良いもの——さまざまな要素を確認している中で、増子さんがふと「やっぱり美味しいっていうのも大事ね」と名言を放ちます。これにはみなさんが「そりゃそうだ」と大いに納得! 稽古場に笑いが起こりました。
演出の桑原さんからは、「最初にこれを食べて、次にあれを食べて……」と、食事と会話をスムーズに回していくための細かな手順の提案がありました。また、“振り”ではなく、実際にしっかりと食べることが求められたのも印象的。
さらに、ただ食べるだけではなく、誰かが食事を取り分ける場面があったり、盛りつけられたお皿が回されて各自が料理を取ったりと、感謝祭のディナーの風景が緻密に作り上げられていきます。そうした細やかな演出を通じて、“食卓から見えてくる人間関係”がじわじわと浮かび上がるのも興味深い!
【ある家族の話が自分事に】

演出:桑原裕子さん
演出は桑原裕子さんが手掛けます。印象的だったのは、ホワイトボードに書き出された6人のキャラクターの心理状況。そのシーンごとに心情が少しずつ変化し、複雑に絡み合う繊細なバランスが求められる戯曲。それぞれが抱える不安や苛立ち、興奮の度合いは刻一刻と移り変わっていきます。
また、キャラクターの内面は単色では表現できません。だからこそ、一人のキャラクターに対して「不安」「いらだち」「許容」など複数のキーワードを用い、その度合いや移ろいを確認する。そんな内面をより深く理解する工夫のひとつです。もちろん、俳優がその通りに演じなければならないというわけではなく、あくまでガイドとして、お芝居の参考にするために書き出し共有していく稽古の大事なプロセスです。

背中を向けているのが桑原さん
桑原さんが、実際にアクティングエリアに入り、キャストとともに考え、話し合う姿も印象的でした。一人ひとりの俳優と向き合い、台詞の裏に潜む感情、その表出のさせ方など緻密に積み上げていきます。それにしても、この家族はよくしゃべる。でも誰もがなにかを内に秘め、取り繕っている。その微妙な空気が非常にリアルで、いつの間にか自分の姿を誰かに重ね、家族の姿を重ねて見てしまう。そして気づけば、この物語が決して遠い世界の話ではなく、身近なものとして感じられてくるのです。
久しぶりに顔を合わせた家族──機能不全家族という言葉だけでは語り尽くせない、優しく、弱く、愛しい人々の織りなす物語。心配をかけまいと取り繕う切なさ、渦巻く感情、やがて明かされる衝撃の事実。そんな一夜を“体感”するような作品。
大きな事件が起こり、問題が解決すると言うタイプの戯曲ではありません。それでもこの作品には確かに現代を映し出す力があります。印象的なラストシーンを迎えた時、客席で自分が何を思い、何を持ち帰るのか。果たして夜は明けるのか。ぜひ、劇場で見届けましょう!
【あらすじ】
眠れぬ夜を過ごしているエリック(平田 満)は、感謝祭の日、フィラデルフィア郊外から、妻ディアドラ(増子倭文江)と認知症の母モモ(稲川実代子)を連れ、次女のブリジット(青山美郷)とそのボーイフレンド、リチャード(細川 岳)が住むマンハッタンのアパートを訪れる。そこに長女エイミー(山崎静代)も合流し、皆で夕食を共にする。雑多なチャイナタウンにある老朽化したアパートでは、階上の住人の奇怪な物音や、階下のランドリールームの轟音がして、祝日だというのに落ち着かない。そんな中始まった食事会では、次第にそれぞれがいま抱える人生の不安や悩みを語り出し、だんだんと陰鬱な雰囲気を帯びてくる。その時、部屋の照明が消え、不気味な出来事が次々起こり......。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人