「私はいったい誰を愛したんでしょう…」
「仮に、彼をXと呼ぶことにします」
“ある男”の死を発端に浮かび上がる問い──
戸籍で示されるはずの個人の証明、人はなにをもって「個人」として存在するのか。
真実を追う弁護士・城戸章良もまた自身に問い、自らの葛藤と向き合うこととなる。
平野啓一郎さんの原作をもとに誕生したミュージカル『ある男』がついに開幕!

真実を追う城戸章良(浦井健治さん)

谷口大祐を名乗っていたある男“X”(小池徹平さん)
弁護士の城戸に舞い込んだ奇妙な依頼。
宮崎に住む谷口里枝から「亡くなった夫・大祐の名前も過去もすべてが偽りだった」と。谷口大祐を名乗っていた男“X”とはいったい誰なのか、城戸の旅が始まる。

城戸は大祐の元恋人の後藤美涼とともに、里枝のもとを訪れる

谷口里枝(ソニンさん)とXの出会い
里枝が語る夫──互いに心に傷を負った二人、大祐を名乗るXの描いたスケッチが結んだ里枝との縁。優しいタッチの絵が舞台上にも映し出されます。美しいメロディに乗せて二人が惹かれ合う様子が優しく丁寧に描かれます。
城戸と亡きXとの対峙、彼を知る者が語るXという人物……時空を超えるシーンをシンプルな舞台装置や照明効果で鮮やかに切り替えながら疾走感のある展開を見せる。そして舞台上、物語のなかの“人間”がくっきり浮かび上がるからこそ、“俳優の芝居にかかっている”とも言える演出とそれに十分にこたえる俳優たちが作り出す『ある男』。演出を手掛けるのは瀬戸山美咲さんです。
Xの調査の過程で、最初は業務として客観視していた城戸が次第に自分ごととしてXと向き合う切迫感を全身で表現する浦井さんの熱量に観客も心がヒリヒリ、汗を握ります。一方、誰かが語る姿で断片的に現れる謎めいたXを演じる小池さんの見せる表情も見逃せません。心に傷を抱えながらようやく掴んだ安らぎに満ちた表情、夢や目標、希望を見つけた笑顔、それこそが真実、彼は確かにそこに生きていたと思わせます。
かつてのなんの疑いもなくXと出会い幸せに過ごしていた里枝、夫亡き後、混乱のなかでそこに立っているのもいっぱいいっぱいという現在の里枝、ソニンさんのお芝居のギャップが切ない。調査の途中、息子の言葉に気づきを得た里枝が歌う「お父さんの木」の透明感は必聴です。
「舞台だから」という演劇特有の制約はありながら、それを超える「舞台だからこそ、ミュージカルだからこそ」表現できる、届くものがある。ともに旅をした最後に見る景色に、それを強く感じるのでした。

城戸とともに謎を追う、大祐の元恋人の後藤美涼(濱田めぐみさん)
ミュージカルとしての魅力はジェイソン・ハウランド氏による音楽。キャラクターや心情を丁寧に紡ぐメロディやショーアップされたナンバー、多彩な楽曲で構成されます。美涼が自身の人生哲学を歌う「三勝四敗」は、カラッと明るく、すべてがうまくはいかない人生を生き抜く力にあふれ、能動的にアクションを起こす美涼という女性の魅力が詰め込まれています。バイタリティ溢れる美涼を演じる濱田めぐみさんの、キャラクターにお芝居、歌声で魂を吹き込む舞台人としての底力が本作でも光ります!

城戸の妻・香織(知念里奈さん)とXの妻・里枝(ソニンさん)
城戸とX、それぞれの妻たちが歌う「あなたが見えない」は夫への思いを歌い上げる切ないデュエットとして胸を打ちます。調査にのめりこむ城戸との溝が日に日に深まる妻・香織の思いを吐露する知念里奈さんの伸びやかな歌声。美涼との対比では少し視野が狭く身勝手に思えますが、それも息子のため、家族のため、大切なものを守ろうとする香織なりの思いをもってのこと。それもまた現実です。
キャラクターとしてのインパクトが群を抜いているのは、調査のカギを握る男、戸籍ブローカーの小見浦憲男。鹿賀丈史さんが軽やかさとどっしりとした重みを自在に行き来しながら演じ、歌います。社会の闇につながる男のナンバー「交換しましょ」は明るくポップ、このミスマッチがすべてを見透かしたようなこの男の底知れぬ恐ろしさを象徴します。
もちろん、Xの調査序盤の「ある男」、一幕ラストの「暗闇の中へ」など、浦井さんと小池さんのがっぷり四つに組んだデュエットも聞きごたえ十分!まったく別の道を歩んできた二人の男が、対峙し、やがて重なり合うような印象を残すのも旋律のマジックか。

大祐の兄・恭一(上原理生さん)

本物の大祐(上川一哉さん)
Xがその名を語った谷口大祐は、なぜ恋人の前から忽然と姿を消し、名前を捨てたのか。Xとともに、謎に包まれた男・大祐が語る言葉に悲しみをにじませるのは上川一哉さん。弟を名乗っていた男は誰なのか、 どう受け止めていいのか……混乱と怒りのナンバー「別人」をはじめ、攻撃的で時に排外的な態度をとる大祐の兄の恭一。上原理生さんが、その裏にある家を継ぐ者の葛藤や、弟への複雑な思いをにじませます。確かな歌唱力を持つお二人が、温泉旅館の長男と次男、家族という枠組みの中での立場の息苦しさ、もうひとつの物語を背負います。

ボクシングジムの会長(鹿賀さん、二役)とXの父子のような絆
Xを知る人物として登場するボクシングジムの会長・小菅は鹿賀さん(二役)が演じます。父子のような関係を築く、Xが見つけた居場所としての温かみのあるシーン。城戸、X、両者に大きな影響を与えるキーパーソン二人を一人の俳優が演じることからも、二人の男が鏡写しのように見えるのです。
碓井菜央さん、宮河愛一郎さんをはじめとするアンサンブルキャストのみなさんの作り出す“現代社会”も見どころです。影のように城戸にまとわりついたり、当たり前のようにそこに居たりとミステリアスな雰囲気を作り上げます。
一つ一つの記憶のかけらを組み合わせることで浮かび上がるXという人間。Xの真実が、やがて城戸の心の闇も浮き彫りにする。光と影、誰もが人に見せる顔/人には見せない顔をもち、自らも真実から目を背けることで不確かになるアイデンティティ。
別人として生きた「ある男=“X”」の人生をたどった先に、城戸が、観客がなにを見るのか。シンプルな舞台が雄弁に語りかけます。
人間の存在の根源と、この世界の真実を描いた平野啓一郎さんの著作「ある男」(2018年9月、文藝春秋刊)を、誠実に、丁寧に舞台に立ち上げたミュージカル『ある男』。変えられない過去と、そこからの解放を描く骨太の作品です。壮絶で切ないお話ですが、最後は優しく抱きしめられるような穏やかさが残りました。
【あらすじ】
「私はいったい誰を愛したんでしょう…」
「仮に、彼を“X”と呼ぶことにします」
弁護士の城戸章良は、かつての依頼者である谷口里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。
宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失い、夫と別れた過去があった。長男を引き取り14年ぶりに故郷に戻ったあと、故郷で出会った谷口大祐と再婚し、二人の間に新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。そんな幸せな日々が続いていたある日、大祐は不慮の事故で命を落とす。
愛した夫を亡くし悲しみに打ちひしがれていた里枝だったが、夫の死後、長年疎遠だった大祐の兄から衝撃の事実を突き付けられる。
それは、愛していた夫「大祐」が全くの別人だということ。
名前も戸籍も全てが偽りだった。
なぜそんな噓をついたのか。共に過ごした時間、過去、全てが嘘だったのか。
人はなぜ人を愛するのか。愛にとって過去とは何なのか。
「X」の人生を辿るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿、その姿と共に、自分の存在と意義を問い、この世界の真実に触れることになる。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人