東京芸術劇場プレイハウスにて上演中の舞台『ピーターとアリス』。本作は、世界を熱狂させたミュージカル『ムーラン・ルージュ!』や映画『グラディエーター』『007 スカイフォール』『ラストサムライ』などの脚本でも知られる英国の劇作家ジョン・ローガンによる戯曲で、『不思議の国のアリス』のアリス・リデル・ハーグリーヴスと、『ピーター・パン』のピーター・ルウェリン・デイヴィスが、1932年にロンドンで実際に出会った史実をもとに描かれます。翻訳は早船歌江子さん、演出は熊林弘高さん。永遠の物語のモデルとなった人々の記憶と人生に光を当てながら、現実と物語が交差するひとときを立ち上げます。

撮影:岡千里

撮影:岡千里
永遠の少年と少女、その“モデル”が生きた時間
1932年、ロンドンのとある書店で開催された「ルイス・キャロル展」の開幕式。開会のスピーチのために招かれたのは、『不思議の国のアリス』の主人公のモデルとなったアリス・リデル・ハーグリーヴス(当時80歳)。そして同じ場には、『ピーター・パン』のモデルとなったピーター・ルウェリン・デイヴィス(当時35歳)の姿もありました。
永遠の少女と少年のモデルとなった二人が、現実の時間の中で出会う──それは史実に基づく出来事です。本作はこの邂逅を起点に、現実と記憶、そしてフィクションが幾重にも重なり合う世界を描き出します。
回顧録の執筆を持ちかけるピーターの言葉をきっかけに、ときに反目しながらもアリスとピーターはそれぞれの記憶を辿り始めます。そこに現れるのは、物語の中で永遠に生き続ける「アリス」と「ピーター・パン」、そして彼らを生み出したルイス・キャロルとジェームズ・バリー。作家、キャラクター、モデルとなった実在の人物──アリスとピーターを介して2組の“三つ巴の関係”が複雑に、有機的に絡み合いながら進んでいきます。
物語の中で「アリス」と「ピーター・パン」は永遠に子どものままですが、現実のアリスとピーターは、戦争や喪失、苦悩を経験し、歳を重ねる。人々の記憶の中ではフィクションの存在が鮮明に生き続ける一方で、実在の彼らは、その影に覆われるように生きてきたのです。実体と影が入れ替わってしまったかのような人生。その静かな痛みが、本作の核となっています。
境界を溶かす舞台空間──観客もまた物語の中へ
本作の特徴のひとつが、劇場空間の大胆な構成です。中央に張り出した舞台、その左右には観客席から地続きの高さに座席(セット)が配置され、セレモニー招かれたアリスはそこに腰掛けます。物語(舞台)と客席の境界が曖昧になることで、観客自身もまたこの出来事の目撃者として、その場に存在しているかのような感覚が生まれます。
スクリーンには書庫を思わせる本の背表紙が映し出され、現実と物語の境界が静かに揺らぎ始めます。そこに現れる「アリス」と「ピーター・パン」は、鮮やかな衣装に身を包み、ピーター・パンはフライングで舞台を自在に飛び回ります。一方で作家たちは奥に据えられた机に向かい、創造者としての視線を送ります。
時に客電が点灯し、観客の意識は舞台と現実の間を行き来します。現実とフィクション、過去と現在、そして舞台と客席──あらゆる境界が溶け合い、物語は観客の内側へと静かに入り込んできます。それは、出来事を「観る」のではなく、「体験する」感覚に近いものでした。美術は二村周作さん。
時間を生きた人間と、時間を超えて生き続ける存在

撮影:岡千里

撮影:岡千里
80歳となったアリスを演じる麻実れいさんは、諦めともいえる静かな達観を湛えた佇まいで舞台に現れます。そのまなざしには、長い人生を生きてきた重みと、消えることのない記憶が宿っています。そしてふとした瞬間、記憶の中の少女へと移ろう姿は、時間という概念そのものを超越するかのようです。そこにいたのは、確かに“少女時代のアリス”でした。
出版社の社主となったピーターを演じる佐藤寛太さんは、率直な青年として登場しながら、記憶を辿る中で次第に内面の傷を露わにしていきます。永遠の少年のモデルでありながら、決して永遠ではいられない人間の脆さ。その複雑な内面を、繊細に体現。
フィクションの存在として現れる古川琴音さんのアリスは、無邪気さの中にどこか残酷な純粋さを宿し、青木柚さんのピーター・パンは軽やかな身体性で重力から解き放たれた存在を鮮明に描き出します。本の中から飛び出してきたというのとはまた違う、目の前にいるのに実体がつかめないような、それでもその存在に引きこまれてしまう魅力的な主人公たちを演じます。そして彼らは永遠の象徴として舞台に立ちながら、現実を生きるアリスとピーターの姿を静かに照らし返します。

撮影:岡千里

撮影:岡千里
簡秀吉さんは、アリスの夫レジナルド・ハーグリーヴスと、ピーターの弟マイケル・デイヴィスという対照的な二役を担い、物語に鮮やかな輪郭を与えました。レジナルドは、記憶と過去に囚われ続けるアリスやピーターとは対照的に、その瞬間を生きる人物。明るくなった客席に颯爽と登場すると、舞台の空気を一変させます。一方でマイケルは、ピーターの記憶の中に存在する儚い影のような人物を甘美に。ピーターにとって、マイケルもまた時を止めた存在なのか。2つの役が、物語の奥行きを静かに支える重要な役割を担っていました。さらに、ピーターの父アーサー・デイヴィスを演じた山森大輔さんの存在、バリーの語りによって立ち上がるアーサーの姿はピーターにつきまとう「死」という意味でも、物語に深い陰影を与えていました。
また、ルイス・キャロルを演じる飯田基祐さんと、ジェームズ・バリーを演じる岡田義徳さんは、創作者としての複雑な視線を体現します。彼らが生み出したキャラクターは永遠に生き続けますが、そのモデルとなった人物たちは時間の中で変化し、やがて消えていきます。創造という行為の光と影が、静かに浮かび上がります。
物語は誰のものなのか

撮影:岡千里
「ピーター・パン」と「不思議の国のアリス」は、今もなお世界中で愛され続けています。物語の中では、彼らは永遠に子どものままです。しかし、そのモデルとなった人物は現実の時間を生き、苦悩し、歳を重ね、やがて死を迎えます。
物語が永遠に生き続ける一方で、人間の人生には終わりがある。現実とフィクションの狭間で生きたアリスとピーターの姿は、観客の中に静かな問いを残します。
観劇後すぐに結論が出る作品ではありません。けれど、時間をかけてじわじわと心に染み込み、ふとした瞬間に思い出される──そんな余韻を持った舞台です。
永遠の少年と少女。その物語の向こう側にいた、“ひとりの人間”の人生。その存在の重みを、静かに見つめる時間となりました。
公演は~23日まで東京劇術劇場 プレイハウスにて、その後、2月28日~3月2日に梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて上演。
おけぴ取材班:chiaki(取材・文)監修:おけぴ管理人