1983年にイギリスで初演された名作ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』。日本でも1991年の初演以来、多くのプロダクションによって再演が重ねられてきた作品です。
階級社会や生活の困窮が生み出す格差などを背景に、生後間もなく離れ離れになり、異なる環境で育つことになった双子の兄弟(ミッキーとエディ)と、彼らに関わる人々の顛末を描く物語。
日澤雄介さん(劇団チョコレートケーキ)による演出で届けられる2026年の東宝版『ブラッド・ブラザーズ』は、小林亮太さん×山田健登さん、渡邉蒼さん×島太星さん、2組の双子の物語が立ち上がります。
時代や国をこえて、上演が続く作品がもつ力強さと、フレッシュなキャストによる新たな躍動を感じる公開GPの模様をレポートいたします。
「ジョンストン家の双子の話は聞いた?」
ナレーター(東山義久さん)の問いかけで、ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』の幕が開く。
一気に時を遡り、ダンスが好きな一人の女性が夫と出会い、結婚、そして大家族を抱える母、ミセス・ジョンストンとなるまでの話がテンポよく描かれます<マリリン・モンロー>。また、この<マリリン・モンロー>は、歌詞を変え、曲調を変え、物語のなかで何度か登場します。ドラマを導くような楽曲の魅力もじわじわと心にしみてきます。
裕福なライオンズ家に家政婦の職を得たミセス・ジョンストン、子宝に恵まれないミセス・ライオンズから生まれてくる双子の1人を譲ってほしいと懇願される。子だくさんで一家の生活は困窮、さらに2人増えたら誰かを施設に入れなくてはならない──やむなくミセス・ジョンストンは、双子の1人を「大切に育てる」と誓うミセス・ライオンズに託す。こうして互いの存在すら知らないまま、双子は離れ離れで育つことになる。
ところが7歳になったジョンストン家のミッキー(小林亮太さん、渡邉蒼さん)とライオンズ家のエディ(山田健登さん、島太星さん)は偶然出会い、同じ日に生まれたと知り「血を分けた義兄弟(ブラッド・ブラザーズ)」の契りを交わすのです。運命のいたずらのように出会い、運命に抗おうとする母親によって引き離され、それでもまた出会う、二人の物語が始まります。

サミー役は秋沢健太朗さん

ミッキーとエディ、そして幼馴染のリンダの無邪気な子ども時代
やんちゃなミッキーとスマートなエディ、出会った瞬間に互いに引き合うように仲良くなる二人。小林さんと山田さん、渡邉さんと島さんの2組のミッキーとエディはそれぞれの魅力にあふれています。
共通するのは、いずれのペアも、登場した瞬間に「ミッキーだ!」「エディだ!」と思わせる説得力があるということ。
ずっと末っ子として扱われてきたミッキーにできた自分を慕ってくれる友達エディ。エディにとっても、自分の知らない世界を知っているミッキーとの出会いはワクワクにあふれている。その興奮と喜びを爆発させる二人が愛おしい。その表情や飛んだり跳ねたりの動き、すべてが7歳!
そんな二人の幼馴染のリンダには小向なるさん。みんなが恐れるサミー兄ちゃんにも怯まず向かっていくたくましさで、ミッキーを守る──成長しても変わることのないリンダの愛と強さが印象的。

ミスター・ライオンズ役は戸井勝海さん
双子の物語でもあり、母親たちの物語でもある本作。
エディに愛情を注ぐミセス・ライオンズにつきまとう不安。次第に心の平穏を失っていくミセス・ライオンズを演じるのは瀬奈じゅんさん。生きていくための選択をしたミセス・ジョンストン、手元に残したミッキーへの愛、期せずして再会を果たしたエディへの愛、友情をはぐくむ二人の姿を見て自らを納得させようとする葛藤──複雑な心情。たくましく生き抜く母親の力強さとチャーミングな魅力あるミセス・ジョンストンを演じるのは安蘭けいさんです。いろんな表情を見せてくれるなかでも、とあるシーンで「わたしとじゃ、たいした暮らしできなかったね」と語る姿、それに対するミッキーの返し──その実感のこもった母と息子のお芝居にグッときました。
また、安蘭さんと瀬奈さんの初共演も話題ですが、舞台以外のところで培ってきたお二人の関係性で、遠慮なくぶつかり合う芝居の迫力、臨場感は見応えたっぷり。
人々の心を見透かしたように、そっと現れ、耳元でささやくのが東山義久さん演じるナレーター。
ナレーターは、物語のなかで様々なキャラクターに姿を変えて現れ、観客の心も操るように語り掛けます。
会見で東山さんご自身がおっしゃっていたように、天使か悪魔か。子どもたちに向けられた眼差しや言葉の柔らかさは本物だったと思いたい。また、母親たちを追い詰めていく鋭さも、社会や、もしかしたら観客へ向けられたものだったのかもしれない。大きなエネルギーで劇場全体を支配するナレーターなのです。
ミッキーとエディに話を戻すと。
成長し、それぞれの環境は変わってもやはり引き合い、再会を果たす二人。
ただ大人になるにしたがってリンダとの関係も、無邪気なあの頃のままではいられなくなり──
取り巻く環境は変わっても、お互いの関係性は不思議なまでに変わらない。誰よりも大切。同時に、もし自分がミッキーなら、エディなら、あんなことこんなことができただろうな。自分が持ち合わせていないものをもつ、相手に憧れ、劣等感を抱く。複雑な思春期の心理を丁寧に描きます。
やがてエディが学生生活を謳歌している頃、世界的な不況の荒波が労働者階級のミッキーを飲み込んでいく。
こうして訪れる物語の終わりは、物語の冒頭へとつながる
「嘘だと言って──」、その歌声が観劇後もずっと頭に残る。
2組のミッキー&エディ、山田さんのエディは登場した時のキラキラの両家の子息の印象そのままに成長する、嫌みのなさが大きな魅力。島さんは、成長するにしたがって無邪気さの中にほんの少し父(ミスター・ライオンズ)のエリート然とした雰囲気が見えてくる。激動のミッキーに対して、順調なエディ──エディがミッキーを大切に思う気持ちはそのままなのに、「恵まれている側」にいることの無自覚さと、その残酷さ。ミッキーとは異なる難しさのある役をお二人が誠実に立ち上げます。いずれもミッキーには、残酷なまでに美しく映るのだろうという説得力があるエディ。
ミッキーを演じる小林さんは、子どもの頃の弾ける笑顔、そして終盤の笑顔をなくし憔悴しきった表情のリアリティが目に焼き付いています。渡邉さんは、リンダへの思い、エディへのコンプレックスを自分でも手に負えない実はウブなミッキーの魅力を体現。早く大人になることを余儀なくされたミッキーの悲劇を、真正面から引き受けるお二人に圧倒されました。
と、印象を記しましたが、会見で島さんがおっしゃっていたように「その回ごとのお味があう」というのもきっと本当でしょう。そのくらい、その場で起きたことに鮮やかに反応する俳優陣なのです。
それを可能にしたのは、充実した稽古期間で培った「互いを特別な存在だと思う関係性」でしょう。ミッキーとエディがそうであったように、この役を落とし込む過程ではそんな特別なプロセスが必要なのかもしれません。ペアごとのカラーは異なれど、その根底の絆は共通──丁寧に関係性を紡いでいくことで演出の日澤さんらしい、音楽に彩られた寓話のような姿のなかに、骨太の人間ドラマが力強く立ち上がります。
双子の兄弟の数奇な運命。
それは迷信の話なのか、社会が生んだ悲劇なのか。
かつては「イギリスは階級社会だから」と、どこか遠い国の物語のように感じていた人もいるかもしれません。けれど格差や貧困が世界中で語られる今、この物語は決して他人事ではなく、私たちの社会のどこかにも続いているように思えてきます。
なぜ二人は出会い、なぜ二人はあの結末へ向かったのか。
その問いの答えは、きっと一つではありません。
ナレーターが語りかける「ジョンストン家の双子の話」を、ぜひ劇場で見届けてください。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人