『ゴドーを待ちながら』でも知られるサミュエル・ベケットの傑作『エンドゲーム』。不条理劇の代表作として知られる作品。「不条理劇」と聞くと、“難解”“抽象的”といったイメージを抱く人もいるかもしれません。けれど、『エンドゲーム』の稽古場に漂っていたのは、むしろとても具体的な“反応”の積み重ねでした。

ハム:近江谷太朗さん クロヴ:中山求一郎さん

ネル:佐藤直子さん ナッグ:田中英樹さん
舞台は、終末を思わせる閉ざされた空間。そこにいるのは、盲目のハム、その世話をするクロヴ、そしてごみバケツの中で暮らす老人夫婦ナッグとネル。出口のない世界のなかで、彼らは終わりを待っているのか、それとも生き延びようとしているのか──。1957年の初演以来、世界中で繰り返し上演されてきた本作を、芸術監督・小川絵梨子さんの演出で立ち上げます。
タイトルの「エンドゲーム」は、チェスにおける終盤戦を意味する言葉。駒は減り、打つ手も限られていく。ベケットが描くのは、そんな“終わりの気配”が充満した世界。それを「終わりを描くだけでなく、“終わらせないためにどう生きるか”を探求する物語」だと語る小川さん。
稽古場で印象的だったのは、相手の台詞、沈黙、視線、距離感、その瞬間に起きたことを受け取り続ける“マッピング”の重要性。説明しきれない世界だからこそ、俳優たちは一瞬一瞬に起こる変化を丁寧にすくい上げていきます。
【相手とつながる】
前日の通し稽古を経て、この日は抜き稽古が行われました。まずは小川さんが気になったシーンを挙げ、細かく確認していきます。
まずは、近江谷太朗さん演じるハムと、中山求一郎さん演じるクロヴのとある会話シーン。
盲目でキャスター付の肘掛け椅子に座るハムは、不機嫌で高圧的。一方で、クロヴもまた足が不自由でありながら、ハムの世話を担っている。主従関係のようにも見えますが、親子のようにも映る二人。その力関係は会話の中で微妙に揺れ動きます。
食料庫の「鍵の番号」を握るハムは優位に立っているようでいて、実際にはクロヴなしでは何もできない。クロヴも、本気で逃げようと思えば逃げられそうだ。それでもなぜ離れないのか。恩なのか、恐れなのか、それとも自分自身の未来をハムに見ているからなのか──。二人の間には、単純ではない依存関係が漂います。
近江谷さんのハムは、死への恐れを抱えながらも強い態度を崩さない。黒いサングラスをかけた姿は表情が見えにくいからこそ、観客はハムの言葉や“間”に耳を澄ませることになるでしょう。事前インタビューで近江谷さんは「目の表情で芝居をすることもできない」と語っていましたが、それだけに、クロヴの気配や声への感度が際立ちます。
一方のクロヴは、ハムが見えていないことをいいことに、言葉では気遣いながらも、その表情には無関心さを滲ませる瞬間も。二人の主導権は、会話の中で重心を移し続けます。中山さんは、強気だったり卑屈だったり、つかみどころのないクロヴを、人間の矛盾をまとった存在として不思議なリアリティで体現。
そんなシーンで、小川さんが繰り返し語っていたのが「相手とつながる」「相手を感じる」という言葉。
「痛みを“演じる”のではなく、まず自分事として実感してほしい」
そのために小川さんは、俳優たちへこんなリクエストを送ります。
「動きもなくていい。リズムやスピードも上げずに、ゆっくり。声も張らない。二人だけに聞こえるくらいのボリュームで、普通に会話してみて下さい」
感情を“作りにいく”のではなく、相手の言葉や沈黙、距離感から、心がどう動くのかを確かめる。そのリアルな会話の先に生まれてくるものを待つ。
そして、「ちゃんと通れば、スピードは上がる」と続け、さらに、「その先でどう表現として出るか、出し方はなんでもいい」とも。
感情は不安定なもの。だからこそ、“感情そのもの”を再現しようとするのではなく、互いの“線(間)”、そして自分と状況との間に生まれる反応を手がかりにし、積み重ねていくマッピングが重要となるのです。
そして、ベケットには、必要のない台詞がひとつもない。必ず誰かの状況や空気の変化を受けて、次のモーメントが生まれていく。『エンドゲーム』は、物語を論理的に説明していくタイプの作品ではない。けれど、「相手との間に何が起きているのか」「状況と自分との間に何が起きているのか」は確かに存在する。その瞬間を積み重ねていこう──。そんな稽古場での言葉が強く印象に残りました。
【“物語”を続けることで、生きている】
続いて行われたのは、田中英樹さん演じるナッグと佐藤直子さん演じるネルのシーン。
ごみバケツの中で暮らす二人は、事故で下半身の自由を失っている。どうやらハムの両親らしい。
死の気配を感じ、徐々に気力を失っていくネルに対し、ナッグは懸命に明るく振る舞おうとする。思い出を語りながら沈み込んでいく佐藤さんのネルと、その陰を振り払うように励ます田中さんのナッグ。奇妙な状況のなかに、長い年月をともにしてきた夫婦の時間が滲みます。
ここでも小川さんは「隣にいる人を感じてしゃべりましょう。それは日常の会話と一緒」と伝えます。
ごみバケツから出ることのできない二人。「意味なんてないか」と諦めそうになりながらも、それでも言葉を交わし、物語を続ける。その行為自体が、“まだ生きている”という感覚につながっているようにも見えました。
そして“物語”も、本作の大きな鍵のひとつ。ハムもまた物語を語り、クロヴも語ろうとする。終わりに向かいながら、それでも人は語ることをやめないのです。
【「わけワカメ」と笑い声】
小川さんは自らを「わたし、本当にしつこいよねぇ」と笑いつつ、「じゃあ、もう一回やってみましょう」と、粘り強い稽古が続きますが、稽古場は決して重苦しい空気ではありません。
「ああして、こうして」という一方通行の演出ではなく、じっくりと生まれるものを待つ稽古場では、「わけわか……“る”? “め”?」というやり取りも飛び交います。すると突如登場したのが、表に「わけワカメ」、裏に「わけワカル」と書かれた、持ち手付きのワカメ札。あまりにも自然に使われていたことから、ここまで何度も「る」と「め」を繰り返してきたことがうかがえます。
この日は“る”が優勢。
しかもそのやりとりはジェスチャーで「る」を伝えたりと、和気あいあい。舞台上の閉塞感や終末感とは対照的に、稽古場には笑いが絶えません。
そして小川さんのリクエストでいくつかのシーンを振り返ったあとは、「みなさんからのリクエストは?」という言葉も。演出家から俳優へ、俳優から演出家へ。双方向で「気になる」「試したい」を持ち寄りながら稽古が進んでいきます。
【関係性の積み重ね】
断片的なシーンの見学でしたが、沈黙が怖かったり、笑っていいのかわからなくなったり、妙なざわつきが心に残りました。その瞬間ごとの“反応のリアル”が積み重なっているからなのでしょう。
演劇の立ち上げは「感情の積み重ね」に思えるのですが、この稽古場で繰り返し立ち返っていたのは、「関係性の積み重ね」。それによって、演技を“自分の気分”から切り離し、相手・状況・構造との関係性の中で再現可能にしていく。小川さんが語る「マッピング」とは、そうした具体的な感覚を共有する作業。その上で、そこで俳優がどう表現するかは、個々の俳優に委ねられます。
稽古を見学していて、ふと、事前のインタビューで「不条理劇が苦手で、これまでは自分から遠ざけてきたけれど、小川さんの演出ならできるかもしれない」と語った近江谷さんの言葉、「小川さんの演出が楽しみ」と語ったみなさんの顔が思い出されました。大変な作品だけど、充実した稽古の日々を楽しむ──互いへの敬意にあふれた、風通しの良い稽古場です。
【“このままの自分でいくしかない”】
抜き稽古後にはディスカッションも行われました。
4人のキャスト、演出家が、それぞれが今感じていることをぽつりぽつりと話していく。張り詰めすぎない、それでいて集中力のある空気もまた、小川さんの稽古場らしい光景です。
ハムを演じる近江谷さんは、率直に悩みを打ち明けます。
通し稽古が始まり、作品全体の流れが見え始めた今、感情を落とし込むことと、ベケットの言葉を明晰に届けること。その狭間で揺れているというのです。感情を深めようとすると、言葉の輪郭が揺らぐ。かといって、言葉を立てようとしすぎると、今度は生の反応が薄れていく。そのバランスへの葛藤は、今回の稽古場全体にも通じるテーマのよう。そんな近江谷さんに対し、小川さんは「今は小さな声でも大丈夫です」と返します。
まずは相手を感じること。無理に“届けよう”とするより、相手との間に起きることを信じる。その先で、必要な強度やスピードは自然と上がってくる──。稽古場で繰り返されてきた言葉が、ここでも共有されます。
また、稽古場の空気が停滞しそうになると、真っ先に口火を切って場を和ませていたのが田中さん。その姿はどこかナッグとも重なります。ディスカッションでも軽やかに場を回しながらも、役への分析は深く、そんな田中さんに対して小川さんは、「もう十分準備されているので、あとは心に正直にやってください」と背中を押します。
ハムとクロヴの会話に登場する“ある女性”について、中山さんが「どんなイメージですか」と近江谷さんへ問いかけると、二人が挙げた名前がまったく異なる方向性(イメージは相通じるものの、日本の俳優と海外の俳優。年代もだいぶ違った)だったことに、「ジェネレーションギャップかな」と笑い合います。また、「ナッグとネルはクロヴをどう思っていたのだろう」という中山さんの問いからは、ネルとハムの親子関係、クロヴへの感情について、佐藤さんが自身の実感も交えながら語る場面もありました。
印象的だったのが、佐藤さんの「このままの自分でいくしかない」という言葉。
「準備せずに、そこで起こっているものに関わると、勝手に次が起こる。生まれてくる。その結果、自分で考えたり想像したりしていたのとは違う、思ってもいないところへ行ける──。自分で考えるより、このままの自分でいくしかない」と。それに対し、深く頷く小川さん。小川さんは、どの疑問にもどの意見にも、それを投げかけてくれたことに感謝し、尊重し、そこから話を始めます。このディスカッションの時間が作品を豊かにするのでしょう。
本作は、小川さんが芸術監督就任以来取り組んできたフルオーディション企画の第8弾。選ばれた4人の俳優が持ち込むものと、小川さんの演出、その両方が混ざり合いながら、この温かな稽古場の空気を生み出している。そしてそれは、きっと舞台上にも滲み出ていくのだろうと、「不条理劇」という言葉にどこか構えていた心が、ゆっくりと解けていく感覚がありました。このメンバーで届ける、冷徹さの中にも人間を見つめる温かい眼差しをもつベケットの『エンドゲーム』。どんな手触りになるのか、開幕が楽しみです。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人