新国立劇場「舞踏の今」シリーズ第2弾に登場するのは大駱駝艦・天賦典式。第1弾の山海塾同様に、世界で最も高い評価を得ているダンス・カンパニーが新国立劇場で新作を発表!タイトルは『罪と罰』、チラシには籠にとらわれた男とこちらを見つめる男……。引力ハンパない公演の制作発表会見に何かに導かれるように伺ってまいりました。
ご登壇されたのは、もちろんこの方、大駱駝艦主宰の麿赤兒さんです。
麿赤兒さん
生まれると同時に背負う罪とは、そしてその罰とは
いや、むしろ生まれたと言うことが、
既に罰なのかも知れない。
この輪廻のようにつきまとうヒトの罪と罰
大駱駝艦の主宰者・麿赤兒が放つヒトの宿命──大駱駝艦・天賦典式がついに新国立劇場に初登場です。 舞踏50年の歴史、長い闘い、革命の末、ついにナショナルシアターという牙城をのっとったぞという気分かな(笑)。そのぐらいの気概で、いい作品を作ろうと思います。私の師匠・土方巽にナショナルシアターでやるぞと言ったら、どんな顔をするかと思いますが、時代の流れ、人の流れは変わっていくんだなと思います。
──タイトルは『罪と罰』。 そのタイトルが突然思いついた。青春時代、僕に大きな影響を与えたドストエフスキーの100年以上前の作品、大義のためなら罪を犯してもいいんじゃないか、そんな風に動いていた時代があった。それに対して、あの後、主人公はどうなったんだろう。自らの行為を回顧し、懺悔したのだろうか。また、今日生きていたら、巨悪を行っていただろうか。そんなことをつらつら考えておりまして。そこから妄想が膨らんでいった。
それを、たとえば僕が主人公ラスコーリニコフをやるとして、現代の世、麿に乗り移ったけど、どういう贖罪をして、長生きをしているのかとか。そんなカラクリです。
──稽古はどのように進んでいますか。 僕は、人間のプリミティブ(原始的)な感性には恐怖や怯えがあると思っています。そこで神様との取引があり、ダンスというのもその材料のひとつ。
時代とともに恐怖と怯えの質は、動物的なものから人間的なものへと変わってきて、近現代においては、社会生活や科学の発達によりますます複合的な怯えになっている。そして、怯えが過ぎるとそれは社会的な犯罪へと繋がってしまう。
また、頂点捕食者として動物を山ほど殺して生きてきた人間が背負っている罪、そこをあまりに深く考えてしまうと飯も食えなくなる。少々妄想が激しくなりましたが、まぁ、だからと言って断食までは出来ないというのも人間。そこで人間は、日本人だったらお米を食べるときには「いただきます」とか、そういう儀式めいたことをやってきた。それもどんどん形骸化していますが。
そういうところ行ったり来たりしながら、稽古では、ほかの踊りと違ってセオリーというものがないので、変な身振り手振りが出ないかと探っています。
つまり、稽古場は分裂の相を成しております(笑)。
──身振り手振りを探る。 稽古で何をつかむかというもので、まず自然体として身体を板の上に置くこと。言葉に「死語」があるように、身体の動きにも「死身振り」がある。それをもう一度掘り起こしてみる。機能的な動作から見捨てられた身振り手振りを抽象的なところから引っ張り出すようなところから始めて、それがテーマに繋がっていく。でも、まぁ、テーマは大きく考えていますから、どうなっても当たらずとも遠からずです(笑)。
──作品を構成する装置や音楽、照明などについてはいかがでしょう。 クラシック音楽を使おうと思っています。でも、なかなかね、クラシックをかけると下手にちょろちょろ踊るよりボーっと立っているだけのほうがいいんだよね。ずっと立っているだけの密度をどうやって持続し、死にかけて今にも消えそうな小さな儚い身振り手振りを、どうリアルに捕まえるか…そんな風にやっています。
具体的にはドストエフスキーのころ、アレクサンドル・スクリャービンやモデスト・ムソルグスキーの「禿山の一夜」なんかを選んでいる。それをいいところ取りして、コラージュしてしまおうかと思っています。
空間の使い方についてはこの劇場(新国立劇場 中劇場)には盆がありますからね、精一杯盆を使わせてもらおうと思います。延々と回して、みんなの目を回してやろうとか悪い考えも浮かんだり(笑)。どう面白く使えるか、そこは一つのカギになるでしょう。ほかを出来るだけ省いて身体を浮き立たせるとか。せっかくあるので有効に使いますよ、なにせ貧乏性ですから(笑)。
──大駱駝艦公演には「おどろおどろしい」という形容詞がよくつきますが、今回は。 このポスターのように(笑)?!そういうところもありますが、「おどろおどろしい」というよりも亡霊の世界のような感じかな。人類はもういない、その影(=亡霊)だけが動いているような舞台。そう思って街を歩いていると、渋谷のスクランブル交差点を歩いている人が、みんな亡霊に見えてくるというような変な錯覚に陥る。全部死んじゃって、実はここに生きているのは「うその人たち」というような舞台になっていけば面白いんじゃないかな。…というところをやっている。楽しんでやっていますよ。
【今更聞けない、大駱駝艦・天賦典式】
──天賦典式(てんぷてんしき)って? 「舞踏」、土方巽がそう言いました。当時、僕が身体を動かしてなにかやろうと思ったとき、それを「舞踏」と呼ぶのはおこがましい。そこで、もうちょっと大きな観点でつけたのが天賦典式。意味は天賦の才はどんなハンディがあろうと天賦の才。我々はプラスの意味だけでいいますけど、ハンディも含めてすべて天賦のものだと。それを一つの儀式的に…。始めたころは、麿赤兒はどうも宗教のほうへ行ったんじゃないかと言われたりもしましたが(笑)。
──創立46年目!麿さんがカンパニーを率いる理由は。 一人なのが寂しいから。疑似家族みたいなものです。それは僕の生い立ちに関係しているんですよ、親がいなかったんです。下校拒否ってやつですよ。学校で、友達と遊んでいたいのに、夕方になるとみんな帰っちゃう。帰さないように、とんでもない遊びをして、みんなの興味を惹きつける。そんな感じの遊びがずっと続いている感覚です。
新国立劇場 舞踊部門 大原永子芸術監督と麿さん
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人