新国立劇場演劇部門芸術監督の小川絵梨子さんが、就任後初めての演出作品に選んだのは、かつて不倫関係にあった男女が三年ぶりに再会した一夜を描く、イギリスの劇作家
デイヴィッド・ヘア作『スカイライト』。徹底的な対話により、浮き彫りになる愛と隔たり。見ごたえたっぷりの人間ドラマです。稽古の様子を見ていても、戯曲を読んでいても、まるで小説のページをめくる手が止まらないどころか、どんどん勢いがつくような面白さ!!
舞台の作りはセンターステージ。客席がキラの部屋を正面、向正面の2方向から挟みます。こちらからとあちらから、見る角度によって感じ方も変わる?!そんな興味も駆り立てられた稽古場レポートをどうぞ。
浅野雅博さん、蒼井優さん
出演者は3人、ただし舞台上にいるのはつねに2人。
ロンドン中心部から離れた簡素で生活感あふれるアパートの一室に住むキラ(蒼井優さん)のもとを、かつての不倫相手トムの息子エドワード(葉山奨之さん)が訪ねることから物語は始まります。三年ぶりの再会、18歳になったエドワードは、母親、つまりトムの妻が亡くなったこと、それ以来、父親が情緒不安定になったことを打ち明けます。そして、キラに助けてほしいと告げ、部屋を後にするのです。
【キラとエドワード】
この日の稽古は、まずは、冒頭のシーン↑とはまた別の、キラとエドワードのシーンの段取りの確認から。
裕福な家庭に育ったエドワード(葉山奨之さん)は純粋、いわゆる“おぼっちゃん”
葉山さんの屈託のない笑顔がエドワードにピッタリ。
そんな笑顔はキラ(蒼井優さん)をリラックスさせます。
突然の訪問がもたらす緊張もすぐに消え、以降、二人のやり取りから伝わるのは親密さ。その様子から、まだ子供だったエドワードにとってのキラがどんな存在だったか、またその逆もうかがい知ることができます。そして、三年前、突然、自分たちの前から姿を消したことへのモヤモヤもぶつけるエドワード。不安定な父との息の詰まる生活、そして対立、憤り。それでもやはり経済的には十分に恵まれていることも自覚する、18歳の葛藤。
この“うかがい知ることができる”が随所に現れる戯曲の秀逸さ!身の上や近況を語るのですが、決して説明台詞ではなく、自然にそれぞれの人となり、来し方がわかってくる会話の数々。
【キラとトム】
エドワードが部屋を去った数時間後、期せずしてキラの部屋のベルを鳴らすのは……トム(浅野雅博さん)。
こちらもクッキングシーンを中心とした段取り確認のはずが、稽古はまさかの展開?!
妻アリスに不倫関係が知られた、その日以来、初めて再会した二人。
ぶっきらぼうなやり取りにも、“かつて”の関係が垣間見えます。
実業家として成功しているトム
プライドが高く、横柄なところもあるのですが、弱さもかわいらしさもある男性です。
互いの近況を話すなかで、その発言にあきれたり、いらだったり、楽しんだりしながら、二人は対話を続けます。
二人が醸し出す生活感
台詞のやり取りだけでなく、この空気が“かつて”を想像させる!!
すごく相性のいい二人に見えるキラとトム。互いの未練と罪悪感、価値観のギャップが、のべつ幕なしに飛び交うようなスリリングな攻防の果てに見えるのは……。
過去に何があったの!これからどうなるの!気がつくとかなりココロ前のめりになっていました。この作品の稽古を見たのはこの日が初めて、キラやトムというキャラクターにも初めまして、それなのにそれぞれの人となりが手に取るようにわかる。それは目の前に「キラ」が、「トム」が居るから。まだ稽古も中盤、台詞がすべて身体に入っている段階ではないにしても、「トム」が発した1つの言葉が、「キラ」の心にどんな作用をもたらしたのか、それに対して「キラ」がどう返すのか……。そのせめぎあいが、興味深く、そして面白くて仕方がないのです。
会話の中にだけ登場する、トムの亡き妻アリスという人物にも思いをはせてしまうほど。
こうして、このシーンの稽古を始めたときは、とりあえず段取りの確認だったものが、あれよあれよという間に、だいぶ長いシーンになりました。
蒼井さん、浅野さんにとっても「びっくりした」「どこまで行くのかと思った」と、まさかの展開だったようです。そんなお二人に、小川さんは「いや、ほぼ完ぺき!台詞に詰まっても、お二人の身体の中で言葉や感情が動いているのがわかったから、このまま行こうと思ったんです」と。まさにそれ!思いきり膝を打ちました。
そして、本作の大きな魅力「対話」についてもう少し。キラとトム、二人のやり取りは、ただの痴話げんかではなく(そういうところも面白いのですが!)、人生哲学や生きる上でのプライオリティ、アイデンティティをも含んだやり取りです。イギリスという国が持つ階級社会が生む価値観のギャップ、社会における男女の在り方への潜在的な意識など、たくさんの今日的なテーマも内包しています。階級社会についても、生まれによって生じる教育をはじめとする機会の不平等という意味では現代日本でも無関係ではありません。社会問題を声高に叫ぶ作品ではないのですが、二人が交わす対話から見える、愛というなんともやっかいな感情と理知的な思考のバランスが絶妙なのです。
【演出家小川絵梨子さん】
各シーンが終わるたびに、実際にセットの中で演出をつけていく小川さん
小川芸術監督のシーズンが開幕して3作目となる『スカイライト』は、“演出家小川絵梨子さん”が手腕を発揮する最初の作品でもあります。稽古の中で印象的だった言葉は、「会話のスピードはそのまま、間を半分にしてください。微妙な間は気まずさを生んでしまうから」「ひとつ試していいですが、そこは視線を外さないで言ってみてください」など、繊細なリクエスト。それによって二人の心理が、よりクリアになってくるのです。
そして、もうひとつ。翻訳劇なのですが(翻訳:浦辺千鶴さん)、とても自然な会話であることも印象的でした。この日も、「(台詞を)しゃべっていて、ちょっと気になるところがあります」という蒼井さんの申し出に、その場で原語などと照らし合わせて検証していく作業が行われていました。実際に、上演台本(その段階からスルスルと入ってくる台詞になっていますが)から少し変わっているところもあります。このように日々言葉が練られ、生きている会話になっていくのです。
“キラとエドワード”、“キラとトム”のシーンで構築される『スカイライト』、つまり……蒼井優さんは出ずっぱり!!
キラの部屋で繰り広げられる濃密な一夜の物語は、上質で濃密な観劇体験になるでしょう。
演劇で実年齢に触れるのは野暮というものかもしれませんが、戯曲にある登場人物の年齢にほぼ等しいのが今回の座組。必然的に“年齢差”というものも同様。それが、本作においては、最大限に正の作用をしていると感じます。葉山奨之さんのもつ若さ、そして蒼井優さんと浅野雅博さんという、二人のお芝居モンスター(あえてそう呼ばせてください!)が演じる30代の女性と40代半ばの男性という、ちょっと歳の差のある男女の完全プライベート空間での対話。思わず、演劇の神様ありがとう!と言いたくなりました。
新国立劇場『スカイライト』は、12月1日、2日のプレビュー公演を経て、12月6日に本初日を迎えます。プレビュー後、検証、修正期間が設けられているところも素敵。開幕が楽しみです。
嘘だろ、
こんなのを
チーズだと思ってる? ロンドンの一夜を思わせるデザインのチラシ、今シーズンのチラシはその裏面に、戯曲からの言葉が紹介されていますが、上記が『スカイライト』のそれ。初めて目にしたときは、いったい何のことかと思っていましたが、観ればなっとく!それどころか……この言葉を選んだセンスに脱帽です。
稽古場動画も公開されました。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文) 監修:おけぴ管理人