2015年、大原永子芸術監督(当時)のもと舞台装置・衣裳を一新して新制作された新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』が2018年の再演以来、6年ぶりに上演されます。
英国が誇る振付家ピーター・ダレルの傑作『ホフマン物語』、そこで語られる主人公ホフマンの青年期から初老までの恋愛遍歴の中でホフマンが心奪われる魅力的な女性三人、 様々な人物に姿を変えてホフマンの恋路を阻む悪魔……オッフェンバック作曲の多彩な楽曲に乗せて描かれる一人の男の人生はドラマティックで滑稽で、さらには哀愁も漂います。幻想と現実が合わせ鏡のように見えてくる物語から浮かび上がるのは“人間”そのもの。バレエファンにも演劇ファンにもおススメの演目です。もちろん、オペラでもおなじみの本作ですので、オペラファンのみなさんにはまた新しい角度から『ホフマン物語』をお楽しみいただくチャンスでもあります!
小野絢子さん、米沢唯さん
この度、2015年の初演より本作に出演され、今回も主人公のホフマンの恋愛遍歴に登場する女性たちを演じる新国立劇場が誇るプリンシパルダンサー、小野絢子さんと米沢唯さんのスペシャル対談が実現。お二人ならではの役や作品への深い洞察に裏付けされたお話をどうぞ。
──『ホフマン物語』は新国立劇場のレパートリー作品として上演されていますが、まだ観たことがない方もいらっしゃるでしょう。お二人が『ホフマン物語』で演じる役をご紹介いただけますか。小野さんはアントニア、米沢さんはアントニアとジュリエッタを演じます。まずはアントニアについて、小野さんいかがでしょうか。
小野さん)『ホフマン物語』は初老の詩人ホフマンの回想録で、彼と3人の女性との恋愛遍歴が語られる作品です。そのタイトル通り、ホフマンが主人公の物語なのですが、ホフマン役の男性ダンサーは3つのエピソードと現在の初老の姿を演じなくてはならない。表現者としての実力が真に問われる、とんでもなく大変な難役です。最初の若く血気盛んな頃のエピソードに登場するのはオリンピア、唯ちゃんと私が演じるのは次の幕で語られる青年時代のホフマンの恋人アントニアです。踊ることとホフマンのことが大好きな女性です。
米沢さん)ホフマンの人生でたった一人、愛が通じ合う、相思相愛の恋人です。アントニアとのシーンは彼が一番しあわせだった時期だと思います。
──あらすじには「ピアノ教師の娘で、心臓が弱いけれど踊ることが好き」とあります。彼女自身の人物像は。
小野さん)いつも楽しそうにしていて、心臓が弱いからといって不幸には見えません。命にかかわるので踊ることは許されていないのですが、バレリーナになることを夢見ている。そしてとても大切に育てられたのだと思います。劇中にも父親が登場しますが、アントニアが可愛くて仕方がないというのが伝わります。
米沢さん)その通りだと思います。真っ直ぐに育った素直な女性という印象です。
──アントニアの幕の見どころは。
撮影:鹿摩隆司
撮影:鹿摩隆司
小野さん)この作品は、全編を通して描かれるホフマンの人生のドラマが最大の見どころとなります。なのでやはり一番はドラマそのもの。その中でアントニアの幕では、夢の中、実際にはミラクル医師に姿を変えた悪魔によって催眠術を掛けられた状態でのシーンとなりますが、バレリーナになったアントニアがホフマンをパートナーにして踊るバレエのシーンも他の幕とは違って見どころになるのではないでしょうか。二人であって、二人でない。実際のホフマンはアントニアの父親にピアノを習っている青年ですが、弾いていても、見ている側でもいいのに、アントニアの幻想ではホフマンが踊りのパートナーなんです。
米沢さん)確かに! そこは考えたことはなかったです。
小野さん)彼女にとっては幻想の世界でも理想のパートナー=王子様は彼しかいない。ホフマンへの思いの表れだと思います。
撮影:鹿摩隆司
米沢さん)普通の女の子からプリマバレリーナへ、アントニアの印象がガラリと変わるところは面白いシーンです。ホフマンへの真っ直ぐな思いを募らせているかわいらしさから、バレエシーンになると気高さを帯びる、そして元の彼女に戻る。短時間で印象が変わるのはほかの幕にはない見どころになります。
──儚さを感じさせる彼女に変化を促すものは。
小野さん)儚いというのは、彼女の身体的なバックグラウンドとしてありますが、やはりアントニアには譲れないものがある。ホフマンが好き、バレエが好きという揺るがない思いではないでしょうか。そこがバレエのヒロインらしいと思います。
米沢さん)アントニアの中にある、命を懸けても踊りたいという情熱。踊ってはいけないと言われても、踊りたい、その思いに突き動かされ、ミラクル医師によって理性を失い突っ走ってしまう。結果として、大好きなホフマンさえも置いていってしまうのですが、そんな彼女の情熱的なところに、見ていても心を動かされます。
──続いてはジュリエッタについてはいかがでしょう。
撮影:鹿摩隆司
米沢さん)ジュリエッタはダーパテュート(実は悪魔)の手下としてホフマンを誘惑するのですが、あのサロンはどこか非現実的な場所に見えるので、私はホフマンの心奥深くに存在する欲望の世界なのではないかと考えています。信仰生活を送るホフマンを快楽へ引きずり込もうとするジュリエッタは、官能の世界の女王で、ホフマンは抗おうとすればするほど、彼女に強く惹きつけられてしまう。
小野さん)ホフマンの気持ちの揺らぎみたいなのを象徴していて、(『白鳥の湖』の)黒鳥のようにホフマンが勝手に落ちていくようにも見受けられます。
米沢さん)誘ったら、すぐについて来てくれます(笑)。
小野さん)本能というか。ホフマンは人としての弱さも出しながら、1・2幕より大人として演じなければならない。とても難しく見応えのあるシーンだなと思います。あと、ジュリエッタの幕では十字架がとても印象的です。
米沢さん)ホフマンが十字架を悪魔に突き出すシーンがありますが、それは彼の清く生きるという信仰心や、命ある限りアントニアの死を悼み、愛し続けるという強い意思の表れ。彼の中の十字架をもって立ち上がるというのは、この物語のハイライトだと思います。
小野さん)ホフマンを通して、アントニアのお話とも繋がっているんですね。
米沢さん)私はそう思っています。そうやって立ち上がったからこそ、最後にはサロンの人々が消えていくのではないかと。
──ちなみに、プロローグとエピローグに登場するもう一人の女性、ホフマンの恋人でオペラ歌手のラ・ステラはどんな存在でしょうか。
オリンピアとホフマン(1幕より)撮影:鹿摩隆司
ラ・ステラ 撮影:鹿摩隆司
米沢さん)オリンピア、アントニア、ジュリエッタの3人の要素をすべて持つ人なのかな。かわいらしさも歌手としての華やかさやスター性、色気もある。結局、ホフマンはラ・ステラすらも失うのですが。
小野さん)いつも失ってしまう。
米沢さん)悪魔の仕業だと描かれますが、おそらく彼自身の弱さや脆さなのかもしれません。
小野さん)そこも“人生”を描く『ホフマン物語』の魅力です。現実というのは、そううまくはいかないけれど、かといって救いがないわけでもない。とても人間味あふれる、深みのある作品です。
──ではここからはホフマンの人物像や『ホフマン物語』の見どころにお話を移しましょう。
小野さん)プロローグで彼が若い友人たちに求められて過去の恋愛遍歴を話すところからも、ホフマンはただのおじさんではなく愛すべき人気者。ヒーローには程遠く、ダメなところも見せ、辛い思いもしているけれど、それも含めてすべての思い出を抱いて生きていこうとする人だから魅力的に映るのではないかと思います。一幕の若き日のホフマンは若さゆえの自信過剰と言うか(笑)。
米沢さん)確かにちょっと“イケイケな感じ”がします(笑)。でもそれが人間。いいことも悪いこともあったけどと、語り始めるところにホフマンの人間的な魅力を感じます。また、作品全体としては、ホフマンを演じる1人の男性ダンサーが4人の女性ダンサーと踊るというのもバレエとしての大きな見どころだと思います。
──いつもは女性と男性、一組の主役ダンサーが全幕を通して踊りますが、幕毎に相手が変わるというのは見ていても楽しいものです。また、今回は小野さんも米沢さんも2人のホフマンと役として対峙します。稽古でもホフマンをダンサーによる違いなど感じていますか。
小野さん)もちろんダンサーが変われば受け取るものも確実に違ってきます。あくまでも物語からは逸脱することはありませんが。この作品については、ホフマン主導で組み立てていくことで物語として一本筋が通るので、それぞれのホフマンの舵取りに委ねるというところを意識しています。
米沢さん)私の場合は役も変わるので別物と捉えています。ジュリエッタとして組む(奥村)康祐さんを悪の道へ導くのがとても楽しみ! 以前の公演で組んだ(福岡)雄大さんの行きたくないけれど行ってしまうという表情もなんとも言えず大好きでした。康祐さんがどんな表現をするのか。全力で引きずり込んで差し上げようと思います(笑)。
小野さん)唯ちゃんの笑顔が怖いです(笑)。
──ジュリエッタとしての意気込みが伝わってきます(笑)。さて、本作は大原永子前芸術監督のもと2015年に新制作されました。お二人は初演から携わっていますが、高い演劇性が求められるピーター・ダレルの振付のスタイルをどう捉えていますか。
小野さん)私たちは、この作品しか経験していないのでピーター・ダレルについてそこまでお話しできる立場ではありませんが、個人的には目の前にいるダンサーの持ち味を引き出すような作り方をされていたのではないかと感じています。そこから思うに、しっかりと一人ひとりと向き合いながら振付、作品を作っていくのがダレルさんのスタイルなのではないでしょうか。
米沢さん)振付については、こちらも大原先生から教えていただいたことですが手・腕の使い方が独特。男性と組む時もあやとりのように複雑に手と手を繋ぐような振りがあります。
小野さん)いつもはオープンアームスが多いところをクロスにするような振りが多く、実際にやってみると難しいです。
米沢さん)加えて下から女性を持ち上げる男性のパワーリフトも多いです。
小野さん)真っ直ぐに持ち上げるのではなく、空中で移動させて上げることもありますね。
米沢さん)作品全体を俯瞰すると各幕でまったく違う振付スタイルで、幕毎に振付家が違うのかなと思うほどです。そこもお客様にお楽しみいただけるところだと思います。
──楽しみです。そして間もなく大原前監督がリハーサルに参加されるとのこと。
小野さん)大原先生は作品に必要な情熱、生命力を吹き込んでくださる方です。リハーサルでご指導いただくのは久しぶりになるので、心して臨みたいと思います。今は楽しみ半分、緊張半分です。
米沢さん)この作品を深く理解されている先生がいらっしゃるとすごく安心です。必ずよい方向へ導いてくださるので。
小野さん)振付家から直接指導を受けているというのも、3人のプリマの役をすべて踊ったことがあるというのも大きいですし、何よりも大原先生ご自身がこの作品への強い思い入れをお持ちなので作品のディレクション、方向性を的確に定めてくださいます。正しい方向に向かって努力ができるというのは心強いです。
──今は大原前監督を迎えるための準備を整えているところですね。
米沢さん)まずは振りをしっかりと思い出さないと。リハーサルでは「もう一回(教えてもらって)いいですか」と何度もお願いしていて。
小野さん)同じです(笑)。でも私だけではなかったので。
お二人)(お互いに見合って)安心しました(笑)。
──お二人をして!それほどまでに繊細な振付の要素がある作品なのでしょう。2015年初演、2018年再演から6年を経て、今の新国立劇場バレエ団と大原前監督が届けてくれる2024年の『ホフマン物語』への期待が高まります。素敵なお話をありがとうございました。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人