新国立劇場 フルオーディション企画第4弾は、本企画初の現代劇! 2011年に倉持裕さんが新国立劇場に書き下ろした
『イロアセル』が登場します。
とある島に暮らす住人達の声にはそれぞれ固有の色が付いていて、おかげで口を開けばすぐに発言者が特定されてしまう。ところがある日、住人達は声の色がなくなる場所を発見し……という、匿名性を手に入れたことによって豹変する人間達の物語。
初演より10年の時を経て、ご自身の手で本作を演出される倉持さんにお話を伺いました。
倉持裕さん
──倉持さんが2011年に新国立劇場に書き下ろした『イロアセル』がフルオーディション企画第4弾として上演、そこで演出を手掛けることになりました。まずは決定までの経緯をお聞かせください。 新国立劇場のフルオーディション企画が始まる前から、出演者全員をオーディションで選ぶことは理想的だと思っていました。有名無名を問わずにオーディションで役が決まる海外のキャスティング事情なども耳にしていたので、すべての作品がそうならなくとも、日本でもそのような作品の作り方が増えればと考えていたところ、新国立劇場の企画が始まりました。
今回、小川さんからフルオーディション企画として『イロアセル』を演出しませんかとお話をいただいた時はびっくりしました。それは第1弾の『かもめ』がそうであったように誰もが知っている戯曲をいろんな演出家でやるものだと思っていたので、「あれ、そういうんでしたっけ⁉」と(笑)。そこから改めて戯曲を読み返してみると、小川さんがおっしゃってくださった通り、今、上演するからこその面白さがあると僕自身も感じました。ただ、前回は鵜山さんが演出されていたので、お気を悪くされないかということが頭をよぎりましたが、鵜山さんも「面白いんじゃないか」とおっしゃってくださっているとのことでホッとしました(笑)。
──2020年の冬に3週間にわたって行われたオーディションを振り返っていかがですか。 楽しくもあり、大変でもありました。大変だったのは、人のエネルギーを受け続ける肉体的な疲労と選択することのしんどさです。ここでの選択は役者の良し悪しで決まるわけではありません。終盤になればなるほど、組み合わせとして選ぶようになっていきました。この役者にはこちらの役者が合うというような。徐々に2チームくらいに絞られてくるのですが、その段階では役者を選ぶというより、今回の『イロアセル』という作品の方向性の選択を迫られるような感覚でした。
また、アクリル板、マスク、フェイスガード……特殊な状況でのオーディションとなり、参加された役者のみなさんも大きなストレスを感じていたでしょう。それでもみなさんが一生懸命に取り組んでくださったことに感謝します。僕にとって、これまで出会ってこなかった役者と出会えることは大きな喜びでした。オーディションを通しての出会いは、舞台を客席から拝見することで出会うのとは全く違います。半分稽古のようなオーディションでは、その役者の演劇に対する、芝居に対する姿勢、ポリシーを感じ取ることができるのです。貴重で、楽しい経験でした。
──この作品は2011年に新国立劇場へ書き下ろした戯曲、当時このテーマを選ばれたのは。 当時のシリーズ名は「【美×劇】─滅びゆくものに託した美意識」でした。「滅び」をテーマに、演出は鵜山仁さんでというところまで決まっている状態でスタートしました。鵜山さんと打ち合わせを重ねる中で、「マスメディアの凋落、衰退」をテーマにした作品という像が浮かび上がりました。それを受けて思考を進めたところ、見えてきたのは新聞やテレビが勢いをなくしている背景にあるのはインターネット、そしてそこで蔓延しているのは匿名の言葉たち。〇〇新聞と看板を掲げて、言葉のプロである記者が書いている言葉より、どこの誰かもわからない人の言葉が影響力を持ち始めたという状況です。プロがアマチュアに負けていく状況はなぜ生まれるのか。人はなぜ書きたがるのか。匿名の立場のまま大勢にモノを言う快感、快楽を手に入れた人々がそれに夢中になっていく──その過程を描くことで、なにか検証ができるのではないかというところへたどり着きました。
話は寓話的にし、無責任に発言できることを誰よりも渇望する人たちを作り出しました。こうして『イロアセル』は、自らの言葉に色が付いてしまう人たち、つまり自ずと自分のすべての言葉に責任が伴う人たちが無責任な言葉に飛びついていく様を描いた物語になりました。
──10年経って読み返されてどのように感じましたか。現実が物語の世界を追い越したような感覚はお持ちですか。 10年前、初稿を書き終わった頃に東日本大震災が起きました。あの時、電話回線が不通になる中、それに代わって機能したのがインターネット、ツイッターでした。それを機に幅広い世代がツイッターを利用するようになり、同時にそれまでは他愛のない雑談レベルのコミュニケーションが主だったものから、政権批判など社会的な発言が多く見受けられるようになりました。そこにはいい面もありながら、少しずつ息苦しさを感じるようになっていった時期でした。あれから10年経って、より影響力をもったネット上の言葉。それに伴って言葉に対して責任を持つようになるのではなく、無責任なまま膨張している怖さは感じます。『イロアセル』では、そこを批判的に捉えて描いているので、物語の中で問題にしたことは悪化していると言えるでしょう。
──現在の状況を踏まえて戯曲に手を入れることもありますか。 戯曲を大きく変えることはないと思います。ただ、読み返していると「やけにしつこく書いているな」とか、反対に「ここはあっさり済ませているな」と感じる部分があります。それは自分の中での演劇に対して面白がっているポイントの変化によるものです。そこを少し変えるかもしれません。それは僕自身の変化ではありますが、それを生み出したものは10年という年月であり、今の自分を取り巻く空気。その意味では今という時代を反映させるということになるのかもしれません。
──『イロアセル』には、ちょっとユニークな架空のスポーツが登場します。そのココロは。 モチーフはフィギュアスケートです。当時、女子フィギュアスケート界でしのぎを削っていた二人の選手を巡り、インターネット上でも激しいやり取りが繰り広げられていました。具体的な記録、タイムなどが出るわけではないので憶測でいくらでも言える競技に対して妄想がエスカレートすると賄賂や陰謀論まで出てくる。何の根拠もないのに大勢の声が集まると、それがあたかも事実であるかのようになってしまう。それが起こりやすい、わかりやすいモチーフとして、その二選手のことというより、ある種あいまいな場所として採点競技を登場させました。その問題は、今はより過激になっているように感じます。
──「声に色が付く」という特殊な世界の見せ方など、演出プランについてお聞かせいただけますか。 当初は声に色が付くことを1種類の見せ方だけで表現しようと考えていましたが、それでは無理があり、また面白くない。場面によって声に色が付くことの影響が違うので、それに合わせて方法を変える方向で、ほぼ固まってきています。
──最後に稽古開始、そして公演に向けての意気込みをお聞かせください。 通常の芝居では、役者同士など稽古初日に初めて顔を合わせることがあります。今回はオーディションを経ているため、それがありませんので、役者も僕も変な緊張をせずに稽古初日を迎えられることはありがたいですね。
またフルオーディションなので、これまで以上に「作品」を見ていただけるのではないかと期待しています。もちろん役者も見てもらいたいのですが。そして、このフルオーディション企画をきっかけに、みんなが作品に向かって作るという、本来、当たり前のカタチが広がっていけばいいと思います。
【チラシビジュアルが公開されました】
なんと今回は4種類のビジュアルが登場!こちらは青×赤バージョンです。
他のバージョンは
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おけぴ取材班:chiaki(撮影・インタビュー・文)監修:おけぴ管理人