誕生から25年が経った今も私たちを照らし導く井上ひさしの傑作『紙屋町さくらホテル』稽古場レポート



『紙屋町さくらホテル』は、今から25年前に新国立劇場の開場記念公演として、井上ひさしさんが書き下ろした作品。こまつ座でも2003年より上演され続けています。

舞台となるのは昭和20年5月、原爆投下直前の広島。実在した移動演劇隊「さくら隊」が逗留したホテルで出会い、共に過ごした人々のかけがえのない三日間を描く本作。井上ひさしさんならではの虚実入り交じる明るく楽しく心に深く響く、演劇が結んだ立場を超えた友情のお話。



この日の稽古は2幕冒頭からの「返し」。試して調整、試して調整、細かく粘り強く芝居を作り上げていく稽古が行われていました。実は劇中で演じられる内容も慰問公演の演目『無法松の一生』の「返し(稽古)」、劇中劇ならぬ稽古中稽古(⁉)なのでした。井上流マジックで次々に“俳優”に仕立て上げられたホテルオーナー、特高刑事、薬売りといった登場人物たち、それを演じる手練れの俳優たちの全力の“素人芝居”も楽しい!稽古場の様子をレポートいたします。



1幕はそれぞれの「事情」を抱えた登場人物たちが「ここ」へやってきて、慰問の公演へと参加するまでのいきさつが語られます。芝居とはいかなるものかを熱く語るのはさくら隊の隊長で「新劇の団十郎」と呼ばれた丸山定夫、その傍らには宝塚少女歌劇団出身のスター女優・園井恵子。この芝居のプロたちが演技経験なしの「素人」たちを導くのです。

2幕の始まりはピアノの音色、そこに次々にさくらホテルに滞在する面々が登場します。音楽は懐かしさを掻き立て、歌は心を豊かにする。井上作品に登場するのはそんな生活に根差した音楽たちです。さらに公演に向けての稽古となると、そこに踊り(振り)も加わって日常がぱっと明るくなります。

そこで隠し切れないスター性を放つのが園井恵子、演じるのは松岡依都美さんです。演劇少女の夢見る瞳と背中のカッコよさ……その佇まいから演劇人・園井恵子の生き様が伝わります。ピアノを弾くのはさくら隊に参加した浦沢玲子役の神崎亜子さん。



ハツラツとした女性はこのホテルの実質的なオーナー神宮淳子。実質的というのは、彼女はアメリカ生まれの日系二世であるために経営権を持てず、従姉妹の正子が代わって名義上のオーナーとなっているのです。七瀬なつみさん演じる淳子の透明感、内田慈さん演じる正子の底抜けの明るさ(絶妙な広島弁!声がいい!)から、悲しみをぐっと押し殺し日々を生き抜く庶民のたくましさを感じます。そんな淳子を二十四時間密着監視する特高刑事、松角洋平さん演じる戸倉の真っ直ぐさ。片時も監視を緩めない憎まれ役として登場する戸倉の挙動にも注目!

ここに、常に芝居に純粋な丸山定夫役の高橋和也さん、天皇陛下の密使で海軍大将の長谷川清役のたかお鷹さんを加えたみなさんは、2016年、2017年に上演された本作でも同役を(たかおさん、内田さんは2017年のみ)務めた続投組。続投と言っても、ただ前回をなぞるみなさんではもちろんございません。高橋さんの若々しい声は丸山がもつ青さ、それは決して悪いものではなくただひたすらに演劇に向き合う清廉さに通じ、七瀬さんが発する淳子の言葉に込められた祈りはより輝きを増しています。



陸軍中佐の針生武夫役の千葉哲也さん(本作初出演)、薬売り実は海軍大将の長谷川清役のたかお鷹さん、互いに身分を隠して広島の地へやってきた二人の攻防も大きな見どころ。ほかのメンバーに悟られないように国の命運を分けるようなシビアな会話をする二人。その手法は、たとえば大道具は戦車、航空機で小道具は小銃などといったように楽屋ことばを使って時局を語るというもの。

演出の鵜山仁さんからも「楽屋ことばはしっかり立て、それを翻訳するとき(本来の意味:戦車や航空機)はみんなには聞こえないように、でも思いを込めて。そこをお二人の絶妙な芝居でお願いします(笑)」と指示がありました。そこにある圧倒的な信頼感! 空(から)の大声と真実が宿る小声。そのアベコベのやりとりの中で相手の心の内を探る。百戦錬磨のたかおさんと千葉さんも何度も試しながら芝居を探っていきます。そこに鵜山さんの発案でコントのようなひょうきんなアクションがつき……これには思わずお二人から「本当にやるの?」との言葉が。本番でどうなるのかは見てのお楽しみですが、こうして作られた熟練俳優の軽妙なコンビ芸(でもとてもシリアス)には期待が高まるばかりです。このように戯曲に書かれた美しいもの、厳しいもの、尊いもの……重みのあるメッセージを“笑い”に包んで届ける。その笑いを追求している稽古場という印象を強く受けました。



そして最後に紹介する登場人物は大島先生、彼を演じる白幡大介さんも本作初出演です。方言の研究のためにホテルに宿泊している、冷静で朗らかな大島先生が語る「N音の法則」。学者ならではの客観性と使命感。心に秘めた情熱を爆発させる白幡さんの熱量も凄まじいものがあります。登場人物一人ひとりに物語があるこの作品へ、芝居のプロ、戦争のプロに加えて、言葉のプロを配した井上ひさし恐るべしです。



このように本作は、いよいよ本土決戦かという戦局と慰問公演初日に向けての稽古という、ふたつの迫りくる「その日」に向かう人々を描きます。5場からなる戯曲も「発声練習」「本読み」「立ち稽古」「返し」「駄目出し」とお芝居の稽古進行にちなんだタイトルがついているんです。慰問公演『無法松の一生』の稽古を重ねるうちに立場を超えて芽生える一体感。「俳優である私にとって」「一座のみんなを信じないと芝居はできない」という台詞を発するのはまさかのあの人という奇跡。「一人の人間の力をはるかに超えたなにか大きなもの」、井上ひさしさんらしい演劇讃歌、俳優讃歌、そして人間讃歌の作品です。

一方、国家と個人、戦局について言えば、やはり「N音の法則」の場面が強く印象に残ります。そこから始まる大島先生の教え子の青年についての話(その内容はぜひ劇中で)は、稽古場ながら“食らって”しまいました。この作品を観るたびに「こんな思いを二度とさせてはいけない」と心に誓ったはずなのに、こうしている今もなお世界のどこかで。そう思うと、胸がいっぱい、いやそれどころでなく、いっぱいいっぱいになってしまったのです。芝居の中でも、ぐっとエネルギーが高まるこの場面。ただ見ていただけなのにヘロヘロなところに聞こえてきたのは、鵜山さんの「じゃあ、今のところをもう一度やってみましょう」という冷静な声!!

内心では「えー!!マジですか!」と絶叫したことをここに告白します。そして少しの休憩をはさんで再びそこに挑む俳優陣に尊敬のまなざしを送りつつ、頭も心もキャパオーバーな状態で逃げ帰るように稽古場を後にしたおけぴ取材班なのでした。俳優さんってすごい! その積み重ねで強度のある芝居が作られていくのですね。

こうして立ち上がる『紙屋町さくらホテル』。ぜひ劇場で、あの日、あの時、あの場所でまばゆいばかりの人生の輝きを放った人々の姿を目と心に焼き付けてください。今こそ劇場へ行こう!



≪今こそ劇場へ行こう≫キャンペーン企画として、『紙屋町さくらホテル』をより楽しめるスペシャルトークショーの開催が決定しました。演出家・出演者からみた今作の魅力、演じる楽しみや苦労、舞台裏でのこぼれ話をお届けします。ぜひお楽しみください♪

≪今こそ劇場へ行こう≫『紙屋町さくらホテル』スペシャルトークショー
★7月 8日(金)1:00公演後 七瀬なつみ・白幡大介・神崎亜子
★7月11日(月)1:00公演後 鵜山仁(演出家)
★7月13日(水)1:00公演後 松岡依都美・松角洋平・たかお鷹
★7月17日(日)1:00公演後 高橋和也・千葉哲也・内田慈

※スペシャルトークショーは、開催日以外の『紙屋町さくらホテル』『頭痛肩こり樋口一葉』のチケットをお持ちの方もご入場いただけます。ただし、満席になり次第ご入場を締め切らせていただくことがございます。
※出演者は都合により変更の可能性がございます。
※本編上演時間:3時間予定(休憩含む)


あらすじ
昭和二十年五月の広島。「新劇の団十郎」と呼ばれた丸山定夫と、女優・園井恵子を中心に組まれた「移動演劇隊」さくら隊が逗留する紙屋町さくらホテル。ホテルのオーナーである日系二世の神宮淳子、宿泊客の文学博士、監視役の特高刑事、そして薬売りに扮して、昭和天皇の密使として密かに全国を視察する海軍大将・長谷川清らも巻き込んで、さくら隊は巡演のために演劇の稽古を重ねる。
長谷川らが自分の使命を超えて、演劇の魅力を見出していく一方、時代は刻々と「その時」に向かって動いていた―――。


演出・鵜山仁さんメッセージ

1945年、広島の「紙屋町さくらホテル」で「一億玉砕」という途方もない夢の呪縛から逃れ、大日本帝国の延命よりも、一人の日系二世の自由を優先しようとした人たち。彼らの原動力は、一体何だったのか。本土決戦か降伏かという選択を迫られるギリギリの状況下で、不要不急のはずの「芝居」が、もしかしたら何かの役に立ったのだろうか。芝居には、現実世界に居ながらにして、現実とは別の、もう一つの人生観、世界観を生きるというふらちな特性がある。この特性が地球を独占しようとする人類の狂気から、また「国家」という厄介者の振りかざす大義名分の罠から、少しでもわれわれを解き放つ力になればいいのだが。五年ぶりの再演。新型コロナとロシアによるウクライナ侵略とに挟み撃ちにされた2022年。これは「芝居の役割」をもう一度問い直す、貴重な機会かもしれない。

【公演情報】
こまつ座 第142回公演『紙屋町さくらホテル』
2022年7月3日(日)~18日(月・祝)@紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
<山形公演> 2022年7月24日(日)@ 川西町フレンドリープラザ
<群馬公演> 2022年7月30日(土)@高崎芸術劇場

作:井上ひさし
演出:鵜山仁
出演
七瀬なつみ 高橋和也 千葉哲也 松岡依都美
内田慈 松角洋平 白幡大介 神崎亜子 たかお鷹

こまつ座HP:http://www.komatsuza.co.jp/

稽古場写真提供:こまつ座
おけぴ取材班:chiaki(取材・文)監修:おけぴ管理人

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