『ガラスの動物園』招聘公演で始まった新国立劇場の演劇2022/2023シーズン。10月14日からは同じく中劇場にて小川絵梨子芸術監督が演出を手掛ける
新国立劇場 開場25周年記念公演『レオポルトシュタット』が上演されます。
英国の劇作家トム・ストッパードの最新作、オーストリアに生きたあるユダヤ人一族の一大叙事詩、ストッパードの自伝的要素も含まれている……それらの言葉に前のめりになる方も、一瞬ひるんでしまう方もいらっしゃると思います。おけぴスタッフもその両方の感覚を抱きながら臨んだ稽古場取材。結果、「やっぱり観ておきたい」「ご覧いただきたい」と思う『レオポルトシュタット』でした。
はじめにレオポルトシュタットとは……
オーストリアの首都ウィーン北部の地名、ユダヤ人居住区。
戯曲は五幕構成で、順に1899年、1900年、1924年、1938年、1955年のメルツ家のアパートメントの一室での出来事を描く、実に50余年にわたる一家、四世代の物語なのです。戯曲を読んでいたときは、まさに家系図と首っ引き状態。「あの人がこの人と結婚して、子どもがこの子だ」「あの時お腹の中にいたのがこの子か」、全てを把握するまでには時間はかかりましたが、不思議なほどに戯曲の頁をめくる手は先へ先へと進んでいきます。そこで描かれているのは、クリスマス(⁉)やユダヤ人の儀式の日などに集う家族の様子。親同士が政治や仕事、宗教などの話題に花を咲かせ、子どもたちはわちゃわちゃと騒いでいる。よくある家族の光景。ただ、その根底にどっしりと存在するのが「ユダヤ人である」という事実。それゆえに、時代が進むにつれて一家にはひたひたと恐怖が迫りくるのですが、それをいわゆるテンポよく進む世間話の中で感じさせる戯曲の妙。これは戯曲を読むより、お芝居として観るとさらに強く感じることでしょう。また、このメルツ家、そのタイトルとは裏腹にレオポルトシュタットに暮らすのではなく、富裕層の住む地区にあるのです。
登場人物は、メルツ家の女家長エミリアおばあちゃん(那須佐代子さん)、その息子で今やメルツ社を取り仕切るヘルマン(浜中文一さん)。その妻、非ユダヤ人のグレートル(音月桂さん)、ヘルマンは自身も洗礼を受けキリスト教徒になった、彼の言葉を借りれば「ユダヤ人をやめた」男(それでもやっぱり彼はユダヤ人なのですが)。彼らを中心に、そのきょうだいや結婚相手、それぞれに生まれる子ども、孫へと家族は広がっていきます。子役が演じていた役が、次の幕から大人の俳優になる、つまり劇中でしっかりと成長していきます。
さて、稽古場のお話を。この日はまず第五場、1955年の稽古から始まりました。この場面、すごく興味がありました。戦後、荒廃したメルツ家に集う3人、アメリカで暮らすローザ、その甥でウィーン大学に在籍する数学者ナータン。そして今はユダヤの血筋ながら、イギリス人となったレオ(ナータンと同じ4世代目、ローザから見ると従妹の息子)。ローザとナータンがレオの生存を知ったのは最近で、その逆も然り、幼き頃のメルツ家での日々を忘れ、過ごした環境も価値観も異なるレオの発言はときにローザやナータンを怒らせ、落胆させるという、静かな空気で激しいやり取りのなされる場面です。ナータンがその身で味わったこと、ローザが抱える罪の意識、それをレオは知らない。
大人になったナータン(田中亨さん)は数学者
レオ(八頭司悠友さん)は作者が自らを投影した役でもあります
(ストッパード氏の境遇そのままを描いたわけではないのですが)
ニューヨークで暮らすローザ(瀬戸カトリーヌさん)は、
家族を救えなかった罪の意識にさいなまれている
稽古では「秘めた思いを本当に秘めていたら伝わらない、遠くに向かって投げる必要はないけれどエネルギーは自分の外に出して欲しい。これはエクササイズだと思って、一度やりすぎるくらいにエネルギーを出してみよう」という小川さんの提案で芝居が徐々に勢いづき、色づいていきました。「影響された、そのエネルギーで場が回っていくように」、その言葉の通りの良い循環が起こっています。さらにエクササイズ的な試みは続き、「目を見ない、直接言葉を当てないからこそ、その分エネルギーを出そう!」など“エネルギー”という言葉が強く印象に残りました。小川さんが求めるのは声の大きさではなくエネルギー、本作が上演する中劇場の空間で客席に届くためのエネルギー。エネルギーをテンポよく的確に受け渡し受け取り手放す、そうやって芝居の骨格を作りそこから出力を調整していく。試して、確認してまた試す、一歩一歩、それはいつもの小川さんの稽古場の風景でした。
記憶が蘇る時……
この場面に惹かれたのは、やはり最終幕、そこへ向かってすべてが収束していくからです。戯曲を読んでいて、一段ギアが入るというか。色褪せた記憶が蘇る、その瞬間にそれまでのすべてが走馬灯のようによみがえり、一つひとつの出来事、一人ひとりの登場人物のすべてが必要だったと確信できるのです。奪われた日常と過酷な歴史、それを背負う生き残った人々の存在……それは言葉には表せないほどの重みがあります。その上でナータンの言う「ユダヤの血の濃さ」には打ちのめされるような衝撃を受け、この戯曲のすさまじさを感じるのです。薄れゆく記憶、記録を俳優の肉体や声で色鮮やかに蘇らせる、それもまた演劇の意義なのかもしれません。過去に葬られそうな家族の歴史をそこに浮かび上がらせるということを体感するような感覚です。
さて、稽古は進みます。次の場面稽古は第三幕、1924年、サリーの息子ナータンの割礼(かつれい)の日。メルツ家に集まった親戚一同と使用人、さらにはヘルマンに用事がありこの家を訪れた銀行家オットーも巻き込んで、サリーの決断(割礼をする/しない)で大騒ぎ。そこに帰宅したヘルマン、演じるのは浜中文一さんです。落ち着いた声のトーンの芝居で一家の中心にいる落ち着きとしなやかさ、育ちの良さ、さらにはビジネスマンとしての才覚を感じさせます。それでいてビックリするような抜け目なさも(とあることに関してはウルトラC!)。妻グレートルに対しては興奮気味の彼女を軽くいなすような様子。それは夢中になるとだれも止められない妻の気性ゆえ。小川さん曰く「グレートルはヘルマンにとって摩訶不思議な、マジカルワンダーランド」だとか。そんな奔放なグレートルを快活に演じるのは音月桂さんです。
女家長エミリアおばあちゃん(那須佐代子さん)の存在感!
サリー(左・太田緑ロランスさん)とローザ(右・瀬戸カトリーヌさん)、双子の姉妹
ヴィルマ(浅野令子さん)
ユダヤ人ではないグレートル(音月桂さん)
数学者ルードヴィク(土屋佑壱さん)は独特のワールドをもつ
ヤーコプ(鈴木勝大さん)、ヘルミーネ(万里紗さん)
クルト(鈴木将一朗さん)、ネリー(椙山さと美さん)
ポルディ(泉関奈津子さん)
三幕のラストには、時を経て少年となったナータン(田中亨さん)と母サリーが登場
その後を予感させる中、第四幕1938年へ。
30名近い出演者による壮大な物語ということもあり、なかなかみなさんをご紹介しきれないのですが、ここからは場面稽古の途中のワークショップなどの様子をご紹介。
ヘルマンの妹エーファ(村川絵梨さん)と夫のルードヴィク
(第二幕ラストより)
フリッツと市民の2役を演じる木村了さん
人と対峙するときに自分の周りの空気(オーラ)を意識するというワークショップの手応えを「ほかの人とすれ違う時の感覚、向かい合ったときにオーラを交えるのか反発させるのかで感じ方が変わることが実感できた」とお話されていました。それは小川さんの言うエネルギーの感じ方にも通じるところがありそうです。キーパーソンとなるフリッツを木村さんがどう演じるのか楽しみです。
こちらもワークショップより。ルードヴィクの妹ハンナを演じる岡本玲さん
自由に動き回る中でエネルギー交換をしていくワークで、にこやかにすれ違う岡本さんが印象的!
全体で輪になって始まるワークショップ
大人数だからこそ、こうして互いの距離を感じ合い、関係性をフラットにすることも芝居にいい影響を与えそうです!
ちなみにワークショップのとある場面で、気づくとみんなが作る輪の中心に浜中さんが一人いらっしゃることが! まるでメルツ家の真ん中にいるヘルマンのようだなと、その自然なたたずまいに感心していたところ、その事実に気づいた浜中さんがとても恐縮された様子でみんなと同じように円を描く一人になっていました。先生からは「真ん中にいてもいいんですよ」と声を掛けられるも、「いやいやとんでもない!」と。お人柄!
◆ただただ悲劇の一族というだけではない、日常を家族と楽しく過ごしたり、なんとか生き抜くための驚くような事実が仕掛けられたり、それでも避けられない過酷な運命が待ち受けていたり。そこに生きた人間の営みが生き生きとユーモアも交えながら描かれる本作。
その戯曲を舞台に立ち上げるために丁寧に稽古を進める稽古場には、演出の小川さんのほかにもうひと方、心強いエキスパートが! 翻訳を手掛けた広田敦郎さんです。この日も途中で台詞の変更がありましたが、そこでも「なぜなのか」その背景も含めた丁寧な説明がありました。こうして芝居の構築と共に日々ブラッシュアップされる台詞。馴染みのない単語も登場する戯曲ですが、こういった稽古を経て、俳優がそれらを共有したうえで届けられる芝居なら、その核となるメッセージはそういった壁を超えてしっかりと受け止められるのではないか。それを確信して稽古場を後にしました。
この壮大な戯曲、作品HPでは
家系図や
トム・ストッパードの紹介読み物など作品の理解の手助けとなるものが用意されています。また、『レオポルトシュタット』戯曲も掲載された
『悲劇喜劇』11月号(10月7日発売)は、なんとなんと「特集:トム・ストッパードと人生」。観劇前に読むもよし、観劇後に読むもよし、いよいよ始まる芸術の秋、文化の秋を充実したものにしてくれること請け合いです!
最後に、『ガラスの動物園』で始まった新シーズン。ともにテネシー・ウィリアムズとトム・ストッパードの自伝的要素を含む戯曲というのも何かの縁。劇中に“トム”を登場させ語り部と役を行き来させたテネシー・ウィリアムズ、それとはまた違う距離感で自らを投影させたレオを登場させるトム・ストッパード。そんな視点の違いも面白い。本作は、2020年1月にロンドンで世界初演、現在はブロードウェイでの上演が始まり、2023年1月にはナショナル・シアター・ライブでも日本公開が予定されています。演劇の最前線を新国立劇場で味わえる、なんて素敵なことでしょう!!これを逃す手はない!
あらすじ
20世紀初頭のウィーン。レオポルトシュタットは古くて過密なユダヤ人居住区だった。その一方で、キリスト教に改宗し、カトリック信者の妻を持つヘルマン・メルツはそこから一歩抜け出していた。街の瀟洒な地区に居を構えるメルツ家に集った一族は、クリスマスツリーを飾り付け、過越祭を祝う。ユダヤ人とカトリックが同じテーブルを囲み、実業家と学者が語らうメルツ家は、ヘルマンがユダヤ人ながらも手に入れた成功を象徴していた。しかし、オーストリアが激動の時代に突入していくと共にメルツ家の幸せも翳りを帯び始める。大切なものを奪われていく中で、ユダヤ人として生きることがどういうことであるかを一族は突き付けられる......
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人