日本の劇作家の新作をお届けする新国立劇場のシリーズ企画【未来につなぐもの】第二弾は、劇作家・横山拓也さんと演出家・大澤 遊さんのタッグによる『夜明けの寄り鯨』。
非常に丁寧に心情をくみあげ、会話を積み重ねる作家──これまでにも小川絵梨子芸術監督がその魅力を熱く語っていた横山さんが満を持して新国立劇場初登場にワクワク。ちなみに本作の上演が発表された時、「寄り鯨ってなんだろう」それが最初に頭に浮かんだことでした。
和歌山県の港町を舞台にした架空の場所、“戎町(えびすまち)”。そこを25年ぶりに訪れた女性と地元の青年の出会いから始まるものがたり。
小島 聖さん 池岡亮介さん
主人公の三桑真知子(みくわまちこ)には小島 聖さん。45歳になる三桑が25年前、大学の仲間と訪れた戎町を再訪した理由は、その旅のメンバーだった「ヤマモト」を探すため。その手掛かりは、ヤマモトが描いた旅のしおりにある地図と彼女の記憶。記憶の不確かさと心に残る痛みの確かさ。若気の至りとはまた違う、あの日あの時の自分への後悔。絶妙な佇まい、目線、声のトーンで三桑を演じる小島さん。三桑の記憶の海を漂うような揺れに共感。
三桑が浜辺で偶然出会う青年・相野由嶺(あいのよしみね)には池岡亮介さん。相野は町の人気スポットである現在休館中のえびす水族館に勤めていたが……という若者。サーフィンをしながら彼自身も探し物をしているという相野は、浜辺にたたずむ三桑にぐいぐい話しかける。はじめは怪訝な表情を浮かべる三桑同様に、いったい彼は何者?と思いつつも自然に受け入れてしまうのは池岡さんが持つ柔らかさや明るさによるところも大きい! もちろんそれだけでなく相野が抱える思いもにじませる独特の存在感を過不足なく表現。
こうして三桑の過去(記憶の世界)を二人でたどる旅が始まります。
回想シーンといっても現在と切り離されたものではなく、現在を生きる二人が過去の景色に入り込むような(そこを生きる人たちからは見えない)不思議な感覚。時折、三桑は“当時の三桑”として同級生たちと会話をするものの、相野はそこにも忌憚なくチャチャを入れる。言葉にするとややこしいのですが、百聞は一見に如かず。観るとすんなり入り込め、いつの間にか自分も二人とともにそこに居るかのような感覚が生まれます。また、記憶の世界ではあるもののファンタジックなものではなく、やり取りは生々しく、身につまされることも多々あります。ただ、その核心部分はあいまいで、三桑自身「自分の中で修正された記憶かもしれない」と語る。それも記憶というもののリアルなのだと改めて感じます。
三桑、相野と25年前の出来事との距離感(伝われ!)
では、ここからは25年前の様子を。
旅のメンバーは、大学の専攻コースが同じ5人。
三桑のほかに、この旅のお宿“民宿いづみ”の娘でもある和泉景子(森川由樹さん)と恋人の波須川永嗣(はすかわえいじ・阿岐之将一さん)、新美紗里(にいみさり・岡崎さつきさん)、ヤマモトヒロシ(小久保寿人さん)。付き合いの深さはそれぞれですが、ヤマモトは人付き合いが苦手なミステリアスな存在。
5人がまず向かったのはえびす水族館、そこでクジラショーを見たことが……。
左より)三桑(小島 聖さん)、景子(森川由樹さん)、永嗣(阿岐之将一さん)、ヤマモト(小久保寿人さん)、紗里(岡崎さつきさん)
明るくたくましさを感じさせる景子と軽やかな永嗣
二人はなんだかんだバランスよく生きていきそうな雰囲気
紗里は真っ直ぐながら頑なな一面も
地図に居場所を求めたヤマモト
こちらは民宿いづみを経営する照彦(荒谷清水さん)、美雪(楠見 薫さん)夫妻、景子の両親
関西小劇場界を代表する俳優の荒谷さんと楠見さん、おふたりが登場するともうそれだけで世界観が出来上がっています。港町で自然と対峙して生きてきた強さとおおらかさは、都会の人には武骨で粗野に映ることも。でも、それも含めてとても魅力的な夫妻です。
お父さんの関心事は
娘の彼氏はどちらの学生なのか?
女子部屋での恋バナ
教室ではあまり話したことがなかったけど、意外に気が合う?
男子部屋の様子
相野くんも思わず口元を押さえてしまうほどの青春胸キュンエピソード「めちゃめちゃ甘酸っぱいやつ!」も!
◆三桑が25年の時を経てヤマモトを探す理由、その根底、過程には、この25年の間の「変化」が大きく横たわります。セクシュアリティや捕鯨、クジラやイルカのショー……、たとえばそれらに対する地域、世界、個人のとらえ方の変化。
過去の会話に対して、現在を生きる相野が口にする「(その発言)アウトですよ」という言葉。確かに今の価値観に照らし合わせるとアウトなのですが、当時は、ノリで?悪気なく?“みんな”そうだったじゃん?いろんな言葉を並び立てて悪意はなかったと心の中で言い訳をしてしまうことも多々あります。ただ、仕方なかったでは済まされないことも。
民宿での調理担当のお父さんは漁師でもある
戎町では座礁した鯨を恵みとして食している
ただ本作は、その変化や誰かを糾弾するのではなく、三桑や相野が現在から過去を見つめることや、5人の大学生と旅先で暮らす人々の会話によって「変化」をシンプルに舞台に上げるのです。(たとえば、こどもの頃に見たイルカショーの楽しい思い出を否定するわけではないということ)
三桑世代にとっては、その変化を実体験として感じている分だけ刺さり、沁み、えぐられる瞬間もあるのですが、同時に優しさや生きていくことへの肯定感も感じます。そこには横山さんの戯曲はもちろん、大澤さんの演出の妙もあるのでしょう。いくつかのシーンを通した後、俳優たちと車座になって一つの動きの裏にある動機や、台詞と感情、芝居が結びついているかを丁寧に確認していく大澤さんの姿勢から、登場人物の一人ひとりにたっぷりと愛情を注いでいる様子が伝わります。
ひと通り、返し稽古が終わると冒頭からの通し稽古に。
過去の自分を過去の三桑に重ね、現在の自分を現在の三桑、もしくは相野に寄せて見ていたような気がします。そこに過去と現在があり、やがてはこの作品の中の現在も過去になるということ。そう思うと一段と「未来につなぐもの」というシリーズタイトルが胸に響きます。どの世代にも感じるところのある作品ですが、たとえば20代の方には生まれた頃や生まれる前、40代の方には青春時代の、社会や価値観に触れる面白さや痛みがあるのではないでしょうか。その質感はとてもリアル。
演出:大澤 遊さん
こちらは座談会の後のゲームの様子
この集中力とそこからの解放で稽古場の空気がイイ感じに緩みます
稽古の前にはキャストスタッフの座談会(おしゃべり)とゲーム。まずはそれぞれの日常を自由に語る時間です。演出の大澤さんの「誰でもいいのでなにか」との言葉に口火を切ったのが小島 聖さん。夕方のラジオの話題に始まり、続いて荒谷さんが「昨日、脚がつってね」と。そこから睡眠や夕飯のおかずの話や入浴剤の話題へ。その話題の移ろいの過程も、前の人の話題に乗っかったり、変えたり、意外なところで繋がったり。テンポも誰かが話した後にふと間が空いたり、空(くう)を見たり、そうかと思えば、すぐに次の話し手が話し出したり。予定調和ではないけれど、自然に生まれる和。稽古場を後にするときには、稽古開始前のその柔らかく、穏やかな空気感が作品に少なからず影響を与えているような気がしました。
そしてもうひとつ。会話で積みあがる心の機微、その台詞だけでも心に届くのですが、なんだか無性に「みなさんがマスクを外した芝居、表情が見たい」と思いました。つまりそれは本番がとても楽しみだということです! ちなみに冒頭の疑問、「寄り鯨って?」の答えは、「座礁した鯨」のこと。それが意味・暗示するものは……ぜひ劇場で味わってください。
ものがたり和歌山県の港町。手書きの地図を持った女性が25年ぶりに訪れる。女性は大学時代、この港町にサークルの合宿でやってきて、たまたま寄り鯨が漂着した現場に居合わせた。まだ命のあった鯨を、誰もどうすることもできなかった。
ここは江戸時代から何度か寄り鯨があって、そのたびに町は賑わったという。漂着した鯨は"寄り神様"といわれ、肉から、内臓、油、髭まで有効に使われたと、地元の年寄りたちから聞いていた。
女性が持っている地図は、大学の同級生がつくった旅のしおりの1ページ。女性はその同級生を探しているという。彼女はかつて、自分が傷つけたかもしれないその同級生の面影を追って、旅に出たのだ。地元のサーファーの青年が、彼女と一緒に探すことを提案する。
おけぴ取材班:chiaki(撮影・文)監修:おけぴ管理人