ミュージカル『エリザベート』おけぴ観劇会にて配布物する紙面用にルキーニ役の成河さんにお話をうかがいました。すると……紙面には収まりきらない興味深いお話の数々!!というわけで、観劇会スペシャルインタビューとして紙面用のお写真や舞台写真とあわせてご紹介します。
成河さんは本作には2016年に続いて2度目のご出演。ルキーニ役として前回も新鮮な印象を残しましたが、再演となる今回も「あれ?『エリザベート』ってこんな感じだったかしら」と作品を新鮮に見せてくれる。そこに感激し終演後の成河さんを直撃!
【史実のルキーニとエリザベートの真実】
──改めて『エリザベート』を鑑賞する際のポイントについて。 ミュージカル『エリザベート』は史実とファンタジーの絶妙なバランスが魅力です。ルキーニで言えば、彼は25歳でシシィを暗殺してから11年間という年月を監獄で過ごし、11年後に自殺、首を吊って亡くなりました。そんな1つの史実、ルイジ・ルキーニという男が首を吊ったところから、この物語は始まります。そして、そこで語られるのは“誰も知らない真実 エリザベート”の物語。
このルキーニの自殺、エリザベートの真実については、前回公演時のトークイベントでたくさんお話ししましたよね。(おけぴレポ:
豚まん編、
ドーナツ編、
鶏サブレ編)
実はこの作品の中で明確に自殺をするのはルキーニだけ、ルドルフも自殺のような描かれ方をしていますが、そこは諸説ありますので。その意味では、ルキーニが首を吊ることに始まり、最後にまた首を吊る。そういった演劇の王道ともいうべき円環構造という面白さもある作品です。
【時代の大きな転換期】
──史実という点においては、本作が生まれたウィーンと日本ではその認識がだいぶ違うかもしれませんね。物語のもうひとつの軸とも言えます。 史実という点からもう一つお話しすると、エリザベートが生きた時代やその後の時代についての歴史的なダイナミズムを感じることもできます。エリザベートの刺殺、ハプスブルク家の崩壊、きっとルキーニが手をくださなくとも誰かが王侯貴族や君主制に対して一撃を加えたと思います。そして、君主制が終わりサラエボ事件が起き、第一次世界大戦へと突入していく。エリザベートが生きていたら、ルドルフが生きていたら……そんなことも言われますが、それでも様々な政治思想が生まれた混迷の時代、歴史の大きな転換点だった。とても基本的なことですが、それが根底にあるということは日本での上演となると忘れがちなポイントです。
そこからさらに、君主制ってなんだったのだろう。2つの大戦を経た先にいる、多種多様な政治思想、主義主張にあふれた現在に生きる僕らは、この君主制の最後の姿を見て何を思うのか。そして、これからの社会はどうあるべきなのか。そんな示唆に富んだ歴史劇という側面もある作品。だからこそこれほどまでに息の長い人気を保つのではないかな。そして、夢のようなエンターテイメントが繰り広げられる中で「いやいや、おとぎ話じゃないんだよ」とお客様に言うことこそがルキーニの仕事なんです。僕はそのことだけを考えています。ルキーニにとっては法廷劇でしかないから。
【楽曲がたっぷりとした印象に】
──前回との違いは。 ご覧になるとお気づきになるかと思いますが楽曲(のテンポ)の変更が大きいですね。いろんなところでテンポをゆっくりにしています。最近の傾向では珍しいですよね。ミュージカルに限らず、何かとテンポを上げていくのが主流。テンポを落とすと、台詞も歌も難易度が上がるんです。稽古場ではみんなでヒーヒー言っていました。もう無理かも……となりかけるくらい(笑)。でも、「いや、やっぱりそこに込められた作曲のリーヴァイさんの意図をしっかりと届けよう」とくじけずにみんなで取り組んできました。大劇場ならではの重厚感を目指してやっています。こんな風に、リーヴァイさんも演出の小池(修一郎)さんも常にクリエイションを続けていらっしゃいます。素直に見習いたいと思う素敵な姿勢です。金管との不協和音やリエゾン…カフェの場面の歌唱は苦労した~~(笑)。でも、作品を届けるにあたっては必要な苦労です。
【狂言回しとしてのルキーニ】
──「実在したシシィ暗殺の犯人」というところでは現実と物語を繋ぐルキーニですが、本作の中では“狂言回し”という役割を担います。 狂言回し、楽しいですよ。マルチキャスティングなので毎日新鮮!特にトートは真逆だし(笑)。最近は(井上)芳雄は戦車で古川(雄大)くんはF1カーと例えています。ルキーニはトートに操られているとも言えますが、ルキーニがトートを彼の法廷劇に召喚したとも言えます。だからルキーニはある意味でトートという存在を乗りこなさなければいけない。その乗り心地?使う神経やその後の疲労がなんとなくそんな印象なんです。
──そんな狂言回しルキーニの支配力に圧倒されました。 ルキーニにとっては、あたかも自分が演出家であるかのように裁判長と傍聴人に向けてお芝居を見せている3時間5分。そう見えないかもしれないけれど(笑)、実は戯曲に書いてあることに忠実にやっているだけなんですよ。僕はそういうタイプです(笑)。狂言回しとしては、基本は常に逆を持ち込むことを考えています。華やかだったら淡々と、綺麗に対して汚い、甘美だったら辛辣に……。舞台を見て、前のシーンが落ち着いていたら盛り上げますし、華やいでいたら水を差す(笑)。要するにツッコミ役なんです。そうやっていると自然にライブ感が生まれます。
──それによって怒涛の展開の中にポーズ(間)や余白、静寂が生まれます。 ルキーニはそうやって流れを裏切っていけばいい。逆に言うと裏切らなかったら話にならない役。ほかの役とはまたちょっと違いますね。例えばフランツ・ヨーゼフ、ハプスブルク帝国を支える気概と気品を持ち合わせ、その上での葛藤や心情を表現する役のような僕らにはない非日常の積み上げが必要な役とは全く異なるものです。逆に、ルキーニを心理的、心情的に作ってしまうと、それは作品の中で邪魔になるというか。せっかくの史実を生きた人物が小さくなると思うんです。基本は物語の構造・骨格を作る。それを考えています。それについても小池さんはもちろん、Wキャストの育(山崎育三郎さん)とたくさん話をしてきました。じゃあ、ルキーニはどんな人物なんだろう。それを考えるためにあるお芝居、答えを出さずにやっています。
──キッチュのシーンで、それが色濃く表れているように感じます。 キッチュの手拍子についてもいろんな反応があっていいと思うんです。でも、ルキーニがコントロールできるとも思うんです。そこでも逆のものを持ち込む。盛り上げておいてひっくり返す醍醐味があるのかな。
──「インペリアルテアトル」という言葉も盛り上がると同時に、皮肉たっぷりにも聞こえてきます。 インペリアルテアトルは言いたかったんです(笑)。世界観にも合いますし、(劇中で)揶揄できるでしょう。それについても小池さんと相談して決めました。ハプスブルク帝国のお芝居、つまり「インペリアルなテアトル」をやっていますよ。もちろん帝国劇場へようこそ!という意味もあるし。べつに喧嘩を売るわけではないのですが、演劇としての役割としては、帝国劇場で「ミルクすらない!」という市民が困窮するお芝居をご覧になっていることから何を思いますかという問いかけまで、真剣に訴えるシーンだと思っています。どう受け取るかはみなさんの自由です。ルキーニはそういう存在。
だから……僕は鳥を使うことをやめました。本来の目的は自由になれない鳥が羽ばたいてみたけれど墜落するという比喩。台詞にもありますが、それを視覚的にも見せているんです。いろんなところに飛んでいこうとする鳥が落ちるというのは、すごく強烈で辛辣な表現です。だからこそその姿が記憶に焼き付くのです。でも、いつの間にか、そこにハプニングを期待するような風潮が生まれてしまい、時に笑いが生まれる。それはどうなんだろうなということを話し合い、僕は台詞だけで伝えてみることにしました。
こうして少しお話をしただけでも『エリザベート』は、ルキーニにとっては法廷劇、トートとエリザベートのラブロマンス、ハプスブルク家を中心とする歴史劇など、たくさんの見方ができる作品です。ぜひ、それぞれの視点から楽しんでください。みなさんにはどんな物語に映ったか、僕はそこに興味があります!
【後記】
成河さんのお話をうかがい、歴史の大きな転換点、劇中で短いやり取りですが語られる「クリミア戦争」について調べてみました。
シュヴァルテェンベルク侯爵の♪我が国はロシアに~というところで語られる、クリミア戦争もまた歴史上の重要な局面です。ロシアとフランス・オスマン帝国(トルコ)・イギリスを中心とした同盟軍およびサルデーニャの間の戦争。結果、ロシアは敗れるのですが、外交で存在感を発揮できなかったオーストリアもこれをきっかけに国際的地位を失っていったのです。それに対して、台頭したのがイタリア統一へと進むサルデーニャやのちのドイツ帝国へ繋がるプロイセン。あの時から変革の胎動は始まっていたのですね。
成河さんにご協力いただいた「おけぴまくあいマップ」はこちら↓(裏面の人物相関図や過去の観劇会配布物は
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舞台写真提供:東宝演劇部
おけぴ取材班:chiaki(文)おけぴ管理人:撮影